ノモンハンの教訓 (彼を知らず、己を知らす)

 

昭和14年5月、外モンゴル・ノモンハンの荒野で展開された日本帝国陸軍とソ連陸軍・蒙古連合軍の戦闘は、重戦車を中心としたソ連軍との戦いで、日本陸軍がはじめて味わう近代戦であり、一方的な大敗北でした。
日本陸軍は日清戦争以来、無敵皇軍の名のもと連戦連勝、負け知らずで奢り昂ぶっていました。
特に満州に駐留していた、日本陸軍各部隊の中で最強精鋭を豪語していた関東軍は、統帥権を持ち出し、陸軍参謀軍令部をも軽んじ、暴走を繰り返していた。
  ノモンハンの戦いは、日本陸軍が昭和20年8月の終戦まで国民にはひた隠しにしたほどの負け戦で、後に戦車(ソ連軍)対火炎瓶(日本軍)の戦いと抽象され呼ばれたように、圧倒的な、近代装備と物量を誇るソ連軍に対し、日本陸軍は、幕末期の銃火器と然程変わりのない明治末(明治38年)制定の旧式装備と、無能で無知織な作戦と指令官のもとで、神懸り的な精神主義で戦いを挑み、結果として戦傷者合わせて参加兵力中87パーセントの一万八千名の兵を失うという一方的な敗北を喫している。
  この事件を、冷静に客観的に見れば、大人と子供の喧嘩のように、負けて当然といえる、また、作戦らしい作戦もなく、食料、薬、そして弾薬さえも十分に用意が無く、悪しき負け戦教訓の代表的なモデルケースと云えるのでははいでしょうか。
  後に、この日本陸軍は、この大敗北を学ぼうとせず、責任を現場指揮官に押し付けて、国民に隠しつづけ、中華事変、太平洋戦争と暴走の果てに突入し、開戦初期を除き、ガダルカナル、インパールなどほとんどの作戦に於いて、このノモンハン事件と然程変わらぬ失敗を繰り返し、尊い人命を無駄に犠牲にしました。
  日本陸軍がこのノモンハン事件の失敗を教訓として冷静に認め、其の対応策などをすこしでも学んでいたら、すくなくても欧米相手に戦争を仕掛けるなどしなかった筈である。
  孫子の言葉に「彼を知り、己を知れば、百戦して危うからず」とあるが、この日本陸軍の場合、「敵を知らず、己を知らず」というるのではないだろうか。
  失敗を認め、その失敗から学び、その対応策を立て、相手の力と、己の力を的確に把握した上で、次の行動の進退を判断する事が大事なのではないだろうか。
  戦国の覇者 織田信長も、誤解を受けているが、運と勘に頼った桶狭間の戦い以降は、決して勘だけに頼らず、むしろ勝ちを確認できるまで戦う事を避けるといった、非常に手堅い方法で生涯戦い抜いたと云います。


蒼龍謹白 合掌