島根浜田曹洞宗観音寺 朝の坐禅と勤行「只菅打坐」

 

家内の実家である島根県浜田市に帰省の折には必ず、浜田の家の菩提寺である曹洞宗観音寺にご挨拶方々、あさの勤行並びに坐禅に参加させて頂いております。
この観音寺の方丈様の人となりは、「越後の禅僧良寛さん」の様だと形容したほうがわかり易いと思います。
  齢五十を過ぎていますが、大変自分に厳しいお方で、普段の生活にも曹洞宗の戒律を護り、衣食住すべてにあるがまま精進料理しか食せず、生涯独身を連抜いているお方です。
今回の帰省でも、紅蓮山観音寺方丈様の下、朝の坐禅・勤行に参加させて頂きました。
早朝四時前、まだ街が寝静まり、夜が明け切らない中に、お寺に入り、洗足して本堂右側の「室中の間」に叉手当胸にて移動して、文殊菩薩さまにお祠りします。
  壁側に向い座布に「半跏趺坐」にて着坐して、「正身端座」「調身」・体をゆすり腰から徐々に体を整え、「調息」・吐く息は長く、吸う息は短く、腹式呼吸でもなく下腹から息を整え、「調心」・安らかに心を整えます。
  次に手を「法界定印」に結び足の上に置きます、次に口を整え半眼にて頭の天辺から息をするように座して無言のうちに坐禅が始まりました。
  静寂の中、徐々に夜が明けきる様子を半眼にて感じながら只坐ります、「坐禅とは執着心を取り除き、自己の心の中にある不要な物を捨てる事である。
  坐禅は「心を洗う風呂のようなもの。」と教わった事があります、しかし思う様には中々雑念を捨て去り無の境地には至りませんが、時間が経つとともにいつしか体の痛みも忘れ、清々しさを体で感じていくのが判りました。
  優しさの中にもその仏教観と修行で鍛えられた厳しい方丈様のご指導の元で、丁寧に坐禅の所作をご指導いただき、一柱にて「開静」、三拝して朝の読経にはいりまた。
  曹洞宗開祖道元禅師の「普観坐禅儀」にある「坐禅は習禅には非ず、ただこれ安楽の法門なり」の片鱗を見たような気がいたしました。
  曹洞宗の教えに、「三帰依文」「三宝帰依」というものがあります、三宝とは「仏・法・僧」のことで、仏とは、悟った者(お釈迦様)であり、法はお釈迦様の教えを指し、僧はお釈迦様の教えを信じて実践する弟子達を意味しています。
  また、帰依とは任せる、尊敬する、信ずるといった絶対的な心の拠り所を意味し、つまり三宝に帰依するとは、自分自身を真理の方向へ向かわせるという宣誓であり、その正しい方向へ精進努力ための意思表示とされていますが、観音寺での坐禅・朝の勤行に参加させて頂きまして、「南無帰依佛、南無帰依法、南無帰依僧」が自然と思い出され、その意味が少なからず理解できたような気がいたします。
「その時の出逢いが人生を
     根底から変えることがある。よき出会いを」
           相田みつお著「にんげんだもの」より


蒼龍謹白 合掌