「草川状」三春藩草川文龍市隠の教え

 

「草川状」三春藩草川文龍市隠の教え
先日、三春小学校で学習発表会「はばたけ三春っ子」が開催されました。
  子供たちは、学年ごとに、一年間総合学習で学んだ事柄を中心に、感性豊かに表現し発表していました。
  家ではついつい勉強のことばかりが気になりますが,「はばたけ三春っこ」を拝見していると、様々な行事を伴って学校で友達と過ごす時間というものは,子供にとって大変重要なこと親として教えられます。
  江戸末期、三春藩士の子弟の教育機関として「講所」明徳堂がありましたが、町民の子供たちは、寺子屋に通っていました。
その寺子屋での教科書というべき書物がこの「草川状」です。
作者は、三春藩士草川太郎兵衛。隠居して文龍市隠と号しました。
  文龍は、藩の大目付という役職を勤める傍らに儒学を学び、藩の儒者として諸生に教授していました。
  草川状は二巻から成っており、村の子供向けに「文龍為村之学童訓示条々」、町屋の子供には「文龍為町之学童教授条々」を作成して、隠居後に開いた私塾で子供たちの育成に努めたと記録されています。
  この教科書は、単なる寺子屋の手習本ではなく、実学的側面を持った「教授本」として書かれたもので、三春藩内各地の寺子屋で明治に至るまで用いられました。
  明治維新以降の三春人の活躍には、明徳堂と供にこの文龍私塾の底支えがありました。
  尚、文龍は藩の儒者として「神仏雑記録」を表しています。
  これは、三春領内神仏の縁起研究調査をしてまとめたもので、堀越村明石宮や芦沢村山田釈迦堂再興記など、勧化序や縁起の記述四十数編に及んでいます。
明治中期から、学校が整備されます。児童生徒の人との結びつきや人としての生き方の教えとして「教育勅語」があります。
  「教育勅語」とは、明治23年(1890)に定められ、戦前の日本教育界で基本理論とされたものですが、この教育勅語の元になったのが「六諭・りくゆ」とされています。
  これは明代に中国で書かれたもので、モンゴルの侵攻、支配によって人心荒廃を憂いた、明の皇帝によって広められたとされ、「父母に従う、年上を敬う、隣人を仲良くする、子孫によきことを教える、仕事に励み、悪しきことをしない」の六か条からなっています。
 教育勅語は、十二の徳目として「父母に孝行する 夫婦むつまじく、友とはなかよくし、ものごとには敬意を持って聞き、慈しみのこころをもち、よく学問を学び、自己の才能をみがいて、人格を豊かにし、社会によく奉仕して、法に従い、義のこころをもって社会に貢献する」という意味があるのでしょう。
 この十二の徳目は、中国、韓国でも理想とされてきた儒教理論ではないかと思います。儒教の中心的教えは「礼」と「孝」です。「礼」とは対人関係のマナーに関する教え、つまり礼儀作法の事です。また、人間関係の序列に基づいた、特に上の者に対する下の者の振る舞いの定めです。
「孝」とは親に対する尊敬、親の命令に対する服従を教えるものです。
  昨今、多発する様々な犯罪の背景には、「何をやってはいけないのか」また「何をすればいいのか」など、現在の若者が認識していない事柄が多すぎるように思います。
  老若問わず人間として成長の未熟さが上げられていますが、「教育勅語」の主旨を、今一度よく理解して将来を担う子供たちに教え、育みたいものです。
  そして、子供達よ。君達の澄んだ瞳がすばらしい。君達のその素直さがすばらしい。私達大人も一生懸命頑張って努力した分だけ報われる事を知った。だから君達も一度きりの人生 夢に向かってはばたこう 自分自身のために!


蒼龍謹白 合掌