「人生、後半戦が面白い!」
 


 「酒も煙草も遊びもやらず、それで百まで生きる馬鹿」と云う、昔の洒落た狂歌があります。
これは何も、飲酒と喫煙、そして遊びを“人生の楽しみ・生甲斐”に例えて、楽しみを捨てて長生きしなさいと言っているわけではなく、生きている間は、その人生を十分に楽しんで、養生しながら全うしなさいと示唆(しさ)しているのでしょう。
佛の教えを説いた様々な経典の中には、煩悩を捨てて佛になる方法がたくさん書かれていますが、人は楽しみをはじめとする“喜怒哀楽”そして“四苦八苦”があって生きていることが実感できるのではと思います。
私たちの世代も、様々な出会いと別れを繰り返して齢五十を迎えました。
先輩諸氏には「何を若造が!」とお叱りを受けそうですが、おぼろげながら人生を見通せる入り口の年代に入ってきたように感じます。
日々の暮らしの中、健康で家族が集う。仕事が出来る。美味しいものを食べる。時折、親しい友人とバカ話しをして、ゲラゲラ大笑い。大声で騒いで・・楽しく呑む。そんなありふれた日常が、幸せと云うものなのでしょう。
そして、悲しみや苦しみなど少々のことを打ち負かすためには、生きる楽しみが必要です。子供の成長や家族の笑顔。ご自身の趣味の事もあるでしょう。
よりよく生きるということは、自分自身でなければ見つけられませんし、掴むこともできません。そして感じることもできません。心に引っかかっていることなどは、誰もが持っているものです。
そんな時、人は生きる意味を自力で探さなければ生きていけません。
CMにある“人生後半戦が面白い!”ではありませんが、後半に指しかかろうとしている人生を、ますます充実させるか、年齢と共に徐々に坂を下り自分の足跡を見ながら惰性で生きるか、その分岐点に立った時、冷静に自分を見つめる余裕を人生に前を向いて向き合える自分でありたいと思います。
力を込めて“こうあるべき”としなくても、意識を少しだけ変えて過ごしていくだけで、自分も周囲も変わって行くものですよね‥。
いいことも悪いことも、喜びも苦しみも含めて、生きている、更に言えば生かされているということなのですが、いつしかそれが当たり前になってしまい、そのすばらしさには、なかなか気づきません。その、本当は当たり前のことが多いのが現実です。
人間は自分の過ちを否定したり、自らの良い点を誇張する傾向にあると思いますが、自分が納得することを基準に物事を考える人が多く、自分の視点でしか物事を見られない事が多いですよね。
そんな時、意識をして”客観的に自分を見る”という事が大事なんだろうと思います。
「本当に今のままの自分でいいのかい、今一度振り返ってみたらどうだい」と自分自身の心の中にある鏡に、今の姿を映してみて下さい。どんな姿が映っているでしょうか。
本当の姿を知ることで、当たり前に思っていたことが、実は特別なことなんだと云うことに気づいて、そのありがたさが感じられてくるのでしょう。

「人間なんて、どっかでちゃんと帳尻が合うようになってるのね。それぞれの世代で青さとか未完成な部分がある。そこを恥ずかしがったり隠したがったり、うまくごまかしたりしてきた人は、あとで絶対しっぺ返しが来るよ・・・・」 
                                      矢沢永吉語録より

今年も、残すところあと僅かとなりました。この一年皆様には大変お世話になりました。心より御礼申し上げます。
今年は、富士山の世界文化遺産の登録、オリンピックの東京招致、そして「和食」の世界無形文化遺産登録と、日本が世界から注目を浴びる年となりました。
  来年は、「午年」ですので、三春昭進堂でも「来年も午(うま)くいく年」にしたいと、笑顔と感謝の気持ちを以て「おたりまんじゅう」をはじめ、様々なお菓子をご用意して皆様のご来店をお待ちしています。
来る年も変わらぬご愛顧を賜りますように、宜しくお願いを申し上げます。



蒼龍謹白 さすけねぇぞい三春! 合掌