「第一回まんじゅうこわ~い」
 


 三春町観光協会主催の「第一回まんじゅうこわ~い」が開催され、25名の方々に参加いただきました。 この企画は「三春の良さを春だけではなく、一年を通じて感じて貰う」という趣旨の下、今年度より三春観光通年体験型イベントとしてスタート、「法蔵寺写佛と精進料理」「ブルーベリー収穫とお菓子教室」などに続いての企画です。 今回は、真照寺、落語(田部洋靖さん)、そして三春昭進堂がタックを組みました。
まずは「まんじゅうこわ~い」ですので、饅頭がなければ始まりません。
三春町保健センターを借りて、当店女将の指導の下「おたりまんじゅう」造り体験です。 皆様、悪戦苦闘しながらも、いい塩梅の饅頭が包みあがりました。 場所を真照寺本堂に移動して、落語の定番「まんじゅうこわい」三春バージョンでの鑑賞です。 噺家は「独快亭来歌」こと元中学校長の田部洋靖さん。 続けて読んでみてくださいと云われ、全員で「ドッカイッテクカー?」「何処かに行って来っか!」・・・アハハ!!思わず笑いが込み上げて、洒落の利いた芸名でまず手を打つ"ポン!" 真打顔負けの噺ぶりで、三春の各和菓子屋の饅頭や茶舗の名前を織り交ぜ、皆様大いに楽しめましたが、田部先生の多彩さには本当に驚かされます。
つづいて、江戸時代の化け猫騒動のお話を、その現場とも云うべき真照寺の本堂で聞く、「腹切り梅伝説と猫騒動」です。 これは、江戸時代の三春秋田藩政時代に起きた藩主後継者問題による御家騒動にまつわる伝説で、後に尾びれ背びれが付いて事件から70年以上も経った明治期末に伝説化されたものです。 ことの発端は、当時の筆頭家老某は、世継ぎとなりうる幼君を亡き者とし、我が子を藩主に据えて藩の実権奪取を企むことに始まります。
しかし、幼君の傳役滋野多兵衛にその野望を阻まれます。
やがて滋野は筆頭家老によって無実の罪をきせられ、滋野家の菩提寺である大町の紫雲寺境内で、切腹させられます。この時、腹を切り息も絶え絶えの滋野の下へ自身の飼い猫が現れます。
滋野は、その猫の首を刎ね「自分の代わりに怨霊となって恨みを晴らせ!」と言い残して絶命します。
以来、家老や4代藩主頼季公(家老の実子)の夢枕に"猫の怨霊"が現れるようになったと云うもので、以来三春城下での大火の度に、火達磨が如く炎に包まれた"猫の怨霊"が空を駆け廻り、火をつけて回った話が生まれ、昭和のはじめ頃まで大火の度に囁かれたといいます。また、紫雲寺の切腹場にあった白梅が、それ以来紅梅の花が咲くようになりました。
真照寺に伝わる伝説は、天明五年二月、八幡町より火の手が上がります。すると火達磨となった猫の怨霊が天を駆け廻り、中町から荒町、そして、高乾院の家老の墓所を焼払い、北町を駆け上がり焼き尽くし、三春城(舞鶴城)の御三階や御殿を焼き払ってしまいます。
その後も火の勢いは衰えず、大町から南町へ炎が城下町を飲み込んでいきます。 亀井の黒門(現田村消防署三春分署)に消火の陣頭指揮に出向いた、七代藩主千季公(家老の孫)は、火勢を避けるために、真照寺へ向かいますが、それを追うかの如く炎は、勢いを増し南町から山中、そして新町をも紅蓮の炎に包んでいきます。 千季公を、真照寺住職が門前(当三春昭進堂前)まで迎えに出たところ、千季公の背後に"猫の怨霊"が見えたので、袈裟の袂で千季公を隠すようにして寺へ導きます。
すると、猫の怨霊が千季公を見失ったのでしょう、三春城下を焼き尽くした火災は、その場所でようやく鎮火したと伝えられています。 この大火後も、祟りの様に度々大火や大雪そして大雨に災害に襲われます。 また、五代治季公、六代定季公と二代続けてと早死にしたこともあり、猫(滋野)の怨霊に夜毎苦しめられた千季公は真照寺へ、弘法大師・興教大師像の中に滋野多兵衛の位牌を納めて奉納し、その怨霊を鎮めたといいます。 息をのむ話のあとで、先ほど、ご自身で作っていただいた、蒸かし立て熱々のおたりまんじゅうを頂いて、抹茶で一息です。 もう一つ、参加された方々へのサプライズ企画として「化け猫騒動どら焼き」をプレゼントです。
これは、この企画がまとまった先月初めに、真照寺住職より"鎮魂の意味も含めて猫騒動に関連したお菓子を参加されたお客様にプレゼントしてはどうか?"という提案とお題を頂きました。
参加された皆様、本当にありがとうございました。また、観光協会職員の方々はじめ、田部先生、お茶の影点ての瀬川の面川肇様、そして真照寺山岸住職、本当にお世話になりました。

蒼龍謹白 さすけねぇぞい三春!  拝