鷹巣 堤屋敷の白山比咩神社「御千度参り」
 

 
 日本各地に残された美しい風土や祭り、暮らしや人々の営みを描くNHK・BSの番組「新日本風土記」。今年初夏のころ、樹齢千年以上の「三春滝桜」を中心に、桜の木が地域に1万本はあるとも言われる"三春"が番組で取り上げられました。
 江戸時代の領主が桜を愛し、守ることを奨励してから数百年の間、三春の春は花見や田植えなど触れ合いの中に優しい時が流れます。
番組では、滝桜を中心に桜と共に生きてきた滝集落の人々や、楽内の一本桜に見守られ、城下へ行商に向かい続けてきた野菜売りのおばあさん(野菜を買っていたのは私です)。
三春藩時代から続く張り子人形の里に伝わる"ひょっとこ踊り"等々、昔から今日まで連綿と続く、桜を中心とした人と人とのつながりが生きる"三春"の春が描かれていました。番組を見て、私たちが描く懐かしい風景の中に三春の伝統や文化が息づいていると強く感じられました。
古より、豊作や病気回復等、災難から逃れたいという切実な想いを神仏に託し、祈りを捧げてきたことが長い歴史の中で豊かな文化になっています。
三春には、次代に伝えたい伝統文化が沢山あります。
そんな一コマを「三春町史」には散りばめられています。
 今回紹介する、「堤屋敷、白山比咩神社の御千度参り」もその一つです。
三春城下の南西へ一里余のところ、旧鷹巣村(現中妻鷹巣)に約十戸の堤屋敷と呼ばれる集落があります。
ここには、戦国武将三春田村氏の出城「田村四十八舘」の一つ「堤舘(佐久間舘)」の南中腹に、田村家臣佐久間盛安が加賀白山神社の分神を勧請した白山比咩神社が祀られています。
この佐久間盛安は、羽柴秀吉と戦った「賤ヶ岳の役」で、柴田勝家の麾下与力として戦い、敗走した佐久間盛政の二男で、三春に落ち延び、三春城主田村義顕の家臣田村隼人の養子となり、堤舘に居城したと伝えられています。
春は旧歴五月十七日、秋は旧暦九月十九日が祭礼で、それぞれ前日の宵に「御千度参り」が行われています。
 夕食が済んだ午後七時過ぎになると、集落の家々から一人ずつ(男女は問わず)各自ロウソクを手に、白山比咩神社の境内に集まります。
一同が揃ったところで、千の数を人数で割った箸を配布します。
灯籠と社殿の四隅にロウソクが灯され、参拝者が各々手にロウソクと箸を持ち、当番で宿となる家の主人を先頭に御千度参りが始まります。
社殿を右廻りに廻りながら、口々に「六根清浄、南無阿弥陀仏」と唱えて社殿正面に来るごとに、拝殿の上がり口に箸を一本ずつ置いて行きます。
参加者数ののべ回数で千回に達する少し前で終了します。
現在は、「御千度参り」が終了すると各々帰宅していますが、古くは社殿にお籠もりして夜を明かしたと町史には記されていました。
また、「御千度参り」の翌日が、「本祭り」で、秋は「つつこ祭り」と称されています。
持ち回りの勤める宿では、各戸で必要とする「オキリカエ(御幣)」を神職から頂いて皆に配布します。
 各家では、赤飯を炊き、新藁で作った「ツツコ」に入れ、オキリカエと供に、白山様や屋敷神である「オブスナさま」に供えると記されていました。
このような地元の見慣れた風景の中にも、新しいキラリと光る何かを見つけて、いつまでも残したい風景や、大切にしたい人々の営みにしていきたいものですね。

蒼龍謹白 拝