BABYMETAL紅白初出場!「舞木のお稲荷さま」 高屋敷稲荷神社 
 

 今年の紅白歌合戦に、世界的に活躍する人気ヘビーメタルバンドBABYMETAL(ベビーメタル)の初出演が決まり、大晦日のお茶の間で 生の演奏が見られます!
“神バンド”と呼ばれるバックを務めるバンドの迫力あるメタルロックは圧巻です。
 そのドラムを務めるのが、昨年当三春昭進堂に御来店された「青神」と称される青山英樹さん。なんと、青山さんのおじいさんは、郡山市白岩町の出身です~
そして、お父様は、故青山純氏。そうです、「青純」と親しみを込めて称された当代のミュージックシーンには欠かせないドラム界の大御所で、山下達郎や竹内まりや、そして、MISIAなど数えきれないアーティストたちのツアーやレコーディング引っ張りだこのミュージシャンでした。
 この青山さんとご縁がある「舞木のお稲荷様」古くは「舞木の“いなっしゃま”」と称され親しまれてきた白岩町高屋敷にある「高屋敷稲荷神社」
社伝によれば、江戸時代飢饉の際に、御仁徳の厚かった時の天皇(東山天皇か中御門天皇、もしくは前年の元禄期よりの領主、守山藩主か?)から3年間年貢を免除してもらったことに感謝した農民達が、庄屋・鈴木権兵衛を中心に、五穀の神として名高い伏見稲荷大社の御分霊を頂いて祀ったのが、高屋敷稲荷神社の始まりとされ、享保・明和・天保の大飢饉を経て信者が増えました。後に、上記の青山さんのご先祖様にあたる、白岩庄屋の青山久助によって、嘉永年間(1848〜1854)、高屋敷稲荷神社の社殿(昭和9年に建てられた現在の前の社殿)が建て替えられています。
 尚、五穀豊穣をもたらす神様、商売繁盛の神様の使いは狛犬ではなく、狐が祀られています。また、古来より“願いが叶う磐座”と云われている「御神石」は、直接触れ霊力をお受けできる、パワースポットとして知られています。
先ごろ、鈴木宮司から神社の沿革と歴史を拝聴する機会がありました。
拝殿内に掲げられてある昭和16年10月、早川写真館と記された高屋敷稲荷神社の秋季祭礼に撮影された写真額があります。
この写真(拡大写真が社務所のアルバムにあり)には、よく見ると社殿はもちろん、最盛期には4000基と伝わる“朱ノ鳥居”、数件の茶店、稲刈り途中の田んぼ、稲荷山の全景、改修前の参道等、そして、芝居小屋と役者、そして、芝居見物に興じる数えきれないくらいの参詣者が見ることができます。また、当時は4000基と云われた朱塗りの奉納鳥居も写っていました。それにしても、ここに写しだされた参詣者の人数には驚きです!
 撮影された1940年ごろには、雨の日に傘がなくても通れるほど密集していることから「傘いらぬ鳥居」とも呼ばれていたと伝わっていますが、当時は戦争から無事に帰れるよう「武運長久」祈願のため、奉納が多かったのではないかと思います。
 戦前までは、日本全国はもとより、三春の地より、遠く海外へ移民した人々の成功御礼の建立があり、ハワイ・ブラジル・満州などからの所願成就祈願・御礼の鳥居建立があったとされていたことがうなずける写真です。
その鳥居も、太平洋戦争末期になると爆撃の目標になる恐れがあり撤去させられたことや、防空壕の支柱として供出されたとのことで数が減ったとの事。しかし、現在でも、高屋敷の御稲荷様に所願成就を祈念して、また御礼の心で朱の鳥居を奉納される方が多くいらっしゃいます。
また、舞木駅近くに立つ高屋敷様の大鳥居にはこんな話が残されています。
昔、磐城の浜から漁に出た漁船が台風に逢い方角を見失ってしまいました。すると時化(しけ)で荒れた波間の向こうに狐様が現れました。すると漁師の親方が「これは自分の信心する舞木のお稲荷さまの使いじゃ!あの狐様を追って船を漕げ!」と船員を鼓舞して荒波を乗り切ったという伝説が残り、この時助けられた漁師たちは、助けてもらった御礼として高屋敷稲荷神社に大きな朱の鳥居を奉納しました。
その鳥居が舞木駅から延びる参道に今も建てられています。
さあ、大晦日です。紅白歌合戦を見終わったらコロナ対策をして初詣!
 高屋敷稲荷神社はじめ各神社や寺院では、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、新しい「初詣」参拝方式に取り組んでいます。
今年は「三が日」にこだわらず、旧暦小正月(2月26日)までの分散参拝を呼びかけています。

商売繁盛、疫病退散祈願! 蒼龍謹白 さすけねぇぞい三春!  拝