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軍隊手帳 帝国日本陸軍




軍隊手帳


軍隊手帳とは当時の軍人が所持していた手帳です。

内容としては、その軍人の身分証明書としての意味合いと、軍歴の証明ともなる非常に大事なものだったとされていました。






大東亜戦争期製造のものになりますので手帳には、軍人勅諭や戦陣訓、応召及出征時の心得、などが記載されています。


軍人勅諭とは、明治天皇が陸海軍人に与えた勅諭(天皇の下した諭(ゆ)告)で、軍人に天皇が統帥権を保持することを示し、軍人の徳目などを説いたもので、軍隊の教育はこれを基礎として実行されました。







持ち主は、帝国陸軍軍人として召集され、駆逐艦に護衛された6隻からなる輸送船にて南方戦線へ臨場途中に2回も米軍に攻撃されて乗艦の輸送船は6隻とも撃沈され、5時間も漂流していたところを救援に来た味方駆逐艦に救助された経歴を持つ強運な方で、昭和21年に部位除隊しています。






そして、出征の際に親類縁者、地域の方々からもらった餞別の請書







おなか絵や役職などを見ていますと、ご縁のある様方々からの無事帰還を願う恩心が見えてきます。








三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍





| ryuichi | 03:57 | comments (x) | trackback (x) | 🌸旧中妻村::鷹巣組頭橋本家文書 |
荒了寛和尚の本をいただきました。




天台宗大僧正。天台宗ハワイ開教総長、そして、天台宗ハワイ別院住職の荒了寛和尚の本をいただきました。



荒良寛さんは、1928年、郡山市手代木、遠藤家の生まれです。

そして、お母様は三春町鷹巣の橋本氏出身。





「いい加減を知る―菜根譚」







「ハワイ日系米兵: 私たちは何と戦ったのか 」







日系アメリカ軍部隊のドキメンタリー映画「442」


荒さんがコメントしています。



鷹巣という身近なところにご縁があると聞き及んでより荒良寛和尚が身近に感じられます。






| ryuichi | 03:58 | comments (x) | trackback (x) | 🌸旧中妻村::鷹巣 |
斎藤 松樹神社(旧妙見菩薩) 相撲大会





大相撲の人気が高まっています。

福島市出身の若元春など三波三兄弟や白熊、そして、先の春場所で優勝した尊富士など目が離せない力士が大活躍です!





斉藤・松樹神社

三春城下の南、斉藤村安養寺の裏山松樹山の山頂に鎮座します。





斎藤 松樹神社(旧妙見菩薩)


戦国時代、元亀元年(1570年)伊藤氏の祖藤原頼位氏が神舘城の峰続きとなる“北ノ月見崎に妙見菩薩を勧請して軍中勝利祈願をしたところと伝わっています。

かつてのお祭礼・縁日は、春・旧暦の四月二十四日。

秋は九月二十四日であったが明治3年に発布された神仏分離令により妙見様は松樹神社と改名され、お祭りも新暦となりましたが、松樹神社のお祭りと言うよりも
「今日は四月二十四日だから妙見様のお祭りが」と今でも話す人が多い様なので、なじみの深い神社だといいます。


松樹神社には古くから釣鐘があって、お祭礼の日は朝早くから叩いて鐘を鳴らしたものでしたが、大正15年11月28日の斎藤の大火事の時・お宮と共に焼け落ちた際に鐘にひヒビが入り、その後は、一つも音が出なくなったといわれます。

尚、この鐘は昭和18年に、大東亜戦争での金属供出令の際に軍に供出して今はありません。









また、妙見様は昔より相撲の神として知られ、秋祭には庄屋を中心として番付をつくり、村中で鎮守である見渡神社とおなじく盛大にお祭りを行ったとのことです。

※見渡神社に相撲の番付らしい絵馬が残っています。

明治なって若連会(後・青年会)の主催で行う様になったとのことです。

大正時代になって、青年会となり二年に一回(青年会の後員任期は二年なので)行う様になりました。

お祭りの当日は高い木戸の両側に美しい絵を描いたぼんぼり沢山建ててにとても華やかだったといいます。

鎮守・見渡神社同様に華やぐお祭りでしたが、近在の村の娘たちは招待されなかったということです。

しかし、相撲好きな人達が遠くの村々からも大勢集まり香具屋(現・露天商・テキヤ)がいっぱい店を並べ大いににぎわったものだったとのことです。

この相撲も先の大戦以降休止となっており、その相撲場跡は淋しく残っています。



斎藤・おらが里・ざっと昔より





三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍

| ryuichi | 03:27 | comments (x) | trackback (x) | 🌸旧中妻村::斉藤 |
神宮教院発行「第五百七十二番 神宮教会神風講社 副世話係 選定所」 鷹巣橋本氏文書




神宮教院発行「第五百七十二番 神宮教会神風講社 副世話係 選定所」 鷹巣橋本氏



神宮教会(のちの神宮教)とは、明治の初め、従来の伊勢講(太々講)を基盤とした伊勢神宮の教化活動を担うべく設立された神宮教院・神宮教会です。



さらにそれを母体として成立した神宮教・神宮奉斎会の傘下となる各地方の講社は神風講社と名付けられました







三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍


| ryuichi | 03:41 | comments (x) | trackback (x) | 🌸旧中妻村::鷹巣組頭橋本家文書 |
戦前のインディアン・スカウト  警保局保安課




古い写真より・・・・

戦前の警保局局員集合写真の後ろに古いバイクが写っています。

写真には戦前のインディアン・スカウトというモデルが写っています。

白バイとしても使用されたモデルです。


1901年に創業し、’50年代に幕を閉じるまでアメリカの二大モーターサイクルメーカーとしてハーレーと争い続けたインディアン。





警保局保安課
 
戦前の内務省の内局の一つで警察行政全般を管轄し、内務省官制」では、警務・保安・図書の三課が置かれていました。

警保局長は全国警察の責任者であり、高等警察を所管することで、政治情報の収集などをおこなう一方で戦時体制化が進むと、戦時統制経済の確立から経済警察を掌る経済保安課の設置や従来の図書課から発展した検閲課などが置かれていました。

終戦後、局内の組織改編、1947(昭和22)年に内務省が解体となるとともに、警保局は廃止されます。






この車はなんでしょう・・・・?






三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍


| ryuichi | 04:22 | comments (x) | trackback (x) | 🌸旧中妻村::鷹巣組頭橋本家文書 |
宇賀石の宇賀神様に鳥居が奉納されました。




宇賀石の宇賀神様に鳥居が奉納されました。

本格的な朱の鳥居です。







祭主の御親戚の方の奉納だそうです。



おめでとうございます。





| ryuichi | 04:40 | comments (x) | trackback (x) | 🌸旧中妻村::宇賀石さま |
明治12年発行 「地券」同8年改正




明治12年発行 「地券」同8年改正をお預かりしました。


お客様のお宅に眠っていたもので、参考になればということです。






調べてみると・・・国税庁のホームページに仔細が記載されていました。

下記は、参照要約です。

地租改正法は、明治6年7月、太政官布告第272号として公布され、地租改正条例・地租改正施行規則・地方官心得書、の三法により構成されます。

地租改正では、土地の所有者を確定し、土地の収益を基礎に地価を算出して、その3パーセント(明治10年に2.5パーセントに引き下げる)を、地租として課税することにし、納税は「税金」で行うことが定められました。






地券

地券 明治11年~12年(1878~79)
地租改正に際して、地主に交付された土地の権利証です。地券に表示された地価にもとづいて、その3パーセント(のち2.5パーセント)を、地租として課税しました。

これにより、新政府は毎年一定税率の地租収入が得られるようになりました。




現在より

| ryuichi | 04:14 | comments (x) | trackback (x) | 🌸旧中妻村 |