2022-02-11 Fri
鷹巣「石の宮様・五龍神社」
鷹巣八雲神社の境内に、「石の宮様」と呼ばれ旧鷹巣領内総鎮守「大元帥明王」と共に村人の崇敬を集める石の社「鷹巣神社」があります。
由来は、平安時代である永保年間の頃、(1083年頃)。
鎮守府将軍陸奥守八幡太郎源義家公の奥州東征の折に、源氏の家臣鎌倉権五郎景政の休息した處ということで村人がその由緒をお祭りして「五郎権現」として祀ります。
後に別当等が「五龍」と改め「五龍大権現」としました。
明明治維新後の廃仏毀釈や鎮守に関する沙汰の折「五龍神社」と改めています。
明治四十四年十二月 田村真記
建久6年(1195)11月19日の条、「…鎌倉権五郎景政が在生に、伊勢大神宮の御殿二十年に一度の造り替えするとき、 かの心の御柱を伐採し、これを造立したてまつる。…景政は源家の忠士たり・・・・」 吾妻鏡より
社が小さな「石の宮様」の意味
昔は大木や巨岩、山など、特異な自然物に神が宿ると考えられおり、崇拝する対象のある神聖な場所に臨時で仮設の祭場を設けて、祈祷や祭事を行っていました。
時代は下がって、鎌倉後期ごろからその神聖な場所に神様を祀るところとして「やしろ」「みや」と呼ばれる社殿が造られるようになります。
これが現在全国にある寺社仏閣の社殿の成り立ちと考えられています。
石の宮様はその過程に於いての社であり、貴重な資料だと考えています。
三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍
2021-12-23 Thu
鷹巣村 総鎮守「大元帥明王」 明治維新により鷹巣神社と改称 由来書
祭神 国常立命 (旧 大元帥明王)
由来
當社勧請之儀者 弘任十己亥年二月二十五日
磐城守山より奉還、同藩管内山中村神主柳沼市太夫神勤仕、己亥歳毎に営来
是即ち、一天泰平国家平穏之神事に御座候
その後、文明十七巳年、藩記山中村神主柳沼玄蕃、神人柳沼山ノ守、同民部代則、祭の折に鷹巣村近郷より寄付方控左書綴奉するとの記しあり。
今般(明治三年頃)
王政御一新に付き、柳沼安芸方を明治二年に譲って以来、田村大和、そして、鷹巣村鷹林和泉の両神主を神勤仕して鷹巣神社頭往右勤請
明治三年 庚牛 鷹巣村 神主 田村大和 (威徳院賢晃改名、さらに大和を経て清見と再度改める)田村清見氏は鷹巣小学校初代校長
※明治新政府が神仏分離令を副布告した際の答弁書とおもわれます。
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2021-11-28 Sun
鷹巣の鎮守様の歴史について
部落の鎮守「八雲神社」の右側、本殿の社の横の所より、山道を上り裏の小高い所に、先祖の方々が鎮守様として奉っていた社があります。
今も石の宮様とお呼びして、大勢の人がお参りをしております。
十坪ほどの広さの所に、間ロ二尺 奥行き四尺の総石造りのお宮が二社並びて祀られ、さらに周りに十三体の小さな祠が奉られています。
石のお宮に、奉られている神様は、
鷹巣神社、祭神 国之常立命『クニノトコタチノミコト」
五龍神社 祭神 大綿積見命『オオーワダッミノミコト」
神の名祥が板札に記されており、日本の神々の辞典に書き記すところによれば、「大綿積見命」とは、伊邪那岐神、伊邪那美神二神の御子で、家宅の守護神であり又農の神であると記されております。
「国之常立命』とは、神の名の国とは天に対する地の意味で、浮脂の如く漂よう水のに固まった所が十地となり、国土となり、その国をお守りする神であり、神世七代の第一代の神と記されています。
部落でこの神様を勧請建立し奉り始めた年代は、弘仁十年と記されて、『嵯峨天皇の時代」その後社を改築、石のお宮の裏の壁には文政五年九月吉日建立村惣氏子と刻まれ読むことが出来ます。
鷹巣村 総鎮守「大元帥明王」 明治維新により鷹巣神社と改称
祭神 国常立命 (旧 大元帥明王)
由来
當社勧請之儀者 弘任十己亥年二月二十五日
磐城守山より奉還、同藩管内山中村神主柳沼市太夫神勤仕、己亥歳毎に営来
是即ち、一天泰平国家平穏之神事に御座候
その後、文明十七巳年、藩記山中村神主柳沼玄蕃、神人柳沼山ノ守、同民部代則、祭の折に鷹巣村近郷より寄付方控左書綴奉するとの記しあり。
今般(明治三年頃)
王政御一新に付き、柳沼安芸方を明治二年に譲って以来、田村大和、そして、鷹巣村鷹林和泉の両神主を神勤仕して鷹巣神社頭往右勤請
明治三年 庚牛 鷹巣村 神主 田村大和 (威徳院賢晃改名、さらに大和を経て清見と再度改める)田村清見氏は鷹巣小学校初代校長
※明治新政府が神仏分離令を副布告した際の答弁書とおもわれます。
然る處に、嘉元乙己年 再造立之遷宮式
十三体の小さな祠 詳細
・三渡神社 天牟良雲命 琴平様
・熊野神社 伊邪那岐命 伊邪那美命 鎮護社地
・天 神社 天穂日之命 鎮護所
・愛宕神社 火産霊命 鎮護所
・山神神社 大山津見命 鎮護所
・地 神社 埴山毘賣命 鎮護所
・荒 神社 久延比呂神 鎮護所
・地 神社 埴山毘売命 鎮護所
・戸隠之神社 磐戸別命 鎮護所
・神明社 撞賢木厳之御魂天疎向津媛命 北之内
・稲荷神社 宇迦之御魂命 鎮護所
・熊野神社 伊邪那岐命 伊邪那美命 鎮護所
威徳院賢晃 傳錦汝 右之通御座候也 明治三年 鷹巣村神主 田村大和(威徳院賢晃改名)
時代が明治となり、明治四年、政府は「神仏判然の令』を下し、神道国家の教化の政策を進めて、国中の神々の社格の律令制を確立し、官幣社、国幣社、府県社、郷社、村社、無格社等のよっての定めにより、部落の鎮守神としての、格付の申し渡しが有ったと記されています。
右の様な世代の流れの中で、鷹巣地区の石のお宮の鎮守様が、国の定めによる村社としては認められず、その筋より、鷹巣地区では、沼沢部落の鎮守様「春日神社」を沼沢と一緒に奉るように、との申し渡しがあったと記録に記されています。
この様な神社の移り変わりのなかで、鷹巣の部落では、部落単独の鎮守の建立の会議を重ね、字瀬山にお奉りされていた「牛頭天王様』を部落の鎮守と定め、泉田地区に社を建立し、明治九年牛頭天王を分霊して「八雲神社」と名祥祭神 は『健速須佐男命』
遷座遷宮して、同十年に奥の院本殿を建立、総工費七百拾四円参拾弐銭五厘をもって完一成と書き記されております。また、明治二十二年御輿を買入し代金 五十七円六十二銭と記され、以て村中の渡御を行なって、明治三十五年には猿田彦装束一通りを整えて、金額武十八円と記されています。
その後、昭和四年十月改築工事により、奥の院の覆社、拝殺の屋根を銅版葺に、改築され、工費二千八百八十五円也と記されております。
さらこ、昭和十四年参道の敷石布設工事を行なっており、以上のことが神社記録に記入されております。
瀬山地区の牛頭天王様の勧請は、七竈の首長橋本刑部左ェ門が、尾恊津島より勧請し奉ると記されていますが、尾恊津島の場所とは、愛知県津島市で、八雲神社の総本社は津島神社と推測されます。
津島神社の祭神は、『健速須佐男命』、「津島牛頭天王」社と奉じ、今日でも「津島の牛頭天王様」と尊称され、全国牛頭天王の総社として三千社の御分社があります。
この様に、鎮守様の歴史を知り、建立、改修工事にと、さらに本殿回りの彫刻のあまりにも見事な荘厳さ、拝殿の銅板葺屋根等の工事記録を見聞した時、先人たちが村中一丸となって完成された神殿造にまことに深い感銘を受けます。
昭和の時代になり、私たち(本年齢90)小学生の頃、春のお祭りの時には小学校四年生より以上の人たちによりお祭りの奉納剣道を行っていました。
鷹巣菖蒲作 影山勇氏文書 参照
三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍
2010-06-05 Sat
三春城下の南一里余、旧鷹巣村にある「鷹巣の子安観音堂」です。
子安観音は本尊・如意輪観音(にょいりんかんのん)です。
意の如く願いがかなう観音様です。
妊婦さんの安産祈願、そして子供の無事の成長に御利益があるとされています。
密教の変化観音の一つで、六観音の一つであり、天道を担当します。
思うがままに宝を取り出し、苦しみを取り除くという如意宝珠(にょいほうじゅ)と、輪宝(りんぽう)と呼ばれる転輪聖王が持つ第一の宝、あらゆる迷いを破砕する車輪型の密教法具を持物とします。
日本では江戸中期以降、二十二夜の月待信仰に取り入れられ女性の厚い信仰を受けました。現在でも女性の墓石の多くに二臂の如意輪観音像が刻まれます。
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2010-04-17 Sat
旧鷹巣村平松鎮守三渡権現
広域農道白岩高屋敷稲荷手前に鎮座します。
普段は気がつかず、探しきれませんが、草木の落ちたこの時期だから見つけることが出来ました。
仏教が日本に伝来する六世紀以前、人々の信仰の対象は自然だったのでしょう。
山や木、そして巨石、さらには風や雷といった自然現象をも神として崇め、祈りを捧げてきました。
その古代信仰の上に、神道や仏教が重なり合い、神仏習合が行われてきた日本の信仰。
明治以後、国策によって神仏離反、そして廃仏毀釈と言った過剰解釈のうえに仏像廃棄が行われましたが、三春の里山では今なお神と仏が共存する姿に出会えます。
やはり様々な祠や石仏が集められています。
祠に入る般若の面ですが、さすがに不気味です
すっかり農村にとけ込んでいます。
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2010-03-27 Sat
三春の蕎麦どころ、蕎麦遊膳「たむら屋」に隣接の氏神様の社と祠です。
たむら屋のそばは絶品です。
当店に来店のお客様に、蕎麦のおいしい店は?と訪ねられるとこの店を紹介しています。
節分も過ぎて暦の上では立春ももうすぐ。
日差しも何やら春めいてきました。よく見れば梅が可憐な花をつけ始め、寒風の中に凛とした気品と香りを放っています。
北国に新しい季節が訪れ、見渡す限り枯れ木色の寂しい野山にもようやく春の兆しが訪れ始めています。
この時期、北国三春は、身の内に芽吹きの力を蓄え、その時を待っているかのようです。風はまだ冷たいけれど、春がもう間近に来ている予感が心浮き立たつような希望を運んでくれます。
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