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斎藤 松樹神社(旧妙見菩薩) 相撲大会





大相撲の人気が高まっています。

福島市出身の若元春など三波三兄弟や白熊、そして、先の春場所で優勝した尊富士など目が離せない力士が大活躍です!





斉藤・松樹神社

三春城下の南、斉藤村安養寺の裏山松樹山の山頂に鎮座します。





斎藤 松樹神社(旧妙見菩薩)


戦国時代、元亀元年(1570年)伊藤氏の祖藤原頼位氏が神舘城の峰続きとなる“北ノ月見崎に妙見菩薩を勧請して軍中勝利祈願をしたところと伝わっています。

かつてのお祭礼・縁日は、春・旧暦の四月二十四日。

秋は九月二十四日であったが明治3年に発布された神仏分離令により妙見様は松樹神社と改名され、お祭りも新暦となりましたが、松樹神社のお祭りと言うよりも
「今日は四月二十四日だから妙見様のお祭りが」と今でも話す人が多い様なので、なじみの深い神社だといいます。


松樹神社には古くから釣鐘があって、お祭礼の日は朝早くから叩いて鐘を鳴らしたものでしたが、大正15年11月28日の斎藤の大火事の時・お宮と共に焼け落ちた際に鐘にひヒビが入り、その後は、一つも音が出なくなったといわれます。

尚、この鐘は昭和18年に、大東亜戦争での金属供出令の際に軍に供出して今はありません。









また、妙見様は昔より相撲の神として知られ、秋祭には庄屋を中心として番付をつくり、村中で鎮守である見渡神社とおなじく盛大にお祭りを行ったとのことです。

※見渡神社に相撲の番付らしい絵馬が残っています。

明治なって若連会(後・青年会)の主催で行う様になったとのことです。

大正時代になって、青年会となり二年に一回(青年会の後員任期は二年なので)行う様になりました。

お祭りの当日は高い木戸の両側に美しい絵を描いたぼんぼり沢山建ててにとても華やかだったといいます。

鎮守・見渡神社同様に華やぐお祭りでしたが、近在の村の娘たちは招待されなかったということです。

しかし、相撲好きな人達が遠くの村々からも大勢集まり香具屋(現・露天商・テキヤ)がいっぱい店を並べ大いににぎわったものだったとのことです。

この相撲も先の大戦以降休止となっており、その相撲場跡は淋しく残っています。



斎藤・おらが里・ざっと昔より





三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍

| ryuichi | 03:27 | comments (x) | trackback (x) | 🌸旧中妻村::斉藤 |
三春物語436番「斉藤松樹神社」


斉藤松樹神社

三春城下の南、斉藤村安養寺の裏山松樹山の山頂に鎮座します。




元亀元年、松樹山上館の城主斉藤大善の軍中勝利を祈願して、嫡子藤原頼位が月見崎に勧請したと伝えられている。


尚、月見崎という場所は現在の斎藤交差点の西手、渡辺理容さんの裏山付近となります。

住所は「舘」となります。

旧中妻小学校(現j柏屋さんの菓子工場)の校歌にも「(^^♪ 夕日を浴びる月見崎~ ♪」と歌われていたそうです。







祭神は、妙見大菩薩であったため妙見様と呼ばれています。

近くには、五輪塔があり城主の墓地と推測されています。
 
社殿には、木片の祈願札が多数貼られていますが、先の大戦出兵時の安全祈願が見て取れます。





竹林の風情が雰囲気を創っています




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| ryuichi | 06:08 | comments (x) | trackback (x) | 🌸旧中妻村::斉藤 |
三春物語432番「斉藤鹿島神社」


斉藤鹿島神社





鹿島神宮は武甕槌命(たけみかづちのみこと)を中心に、併せて経津主命(ふつぬしのみこと)と天児屋根命(あめのこやねのみこと)をお祀りしています。


 
 武甕槌命は経津主命とともに、出雲の大国主命に国譲りを求め、反対した建御名方命を諏訪に服従させ、天孫降臨を無事に成し遂げたとされる神様です。


このために軍神や武神として崇められ、時代劇などで剣道場の正面に祀られているのが、鹿島、香取(経津主命)の神様です。

 
 




社殿には、木片の祈願札が多数貼られていますが、先の大戦出兵時の安全祈願が見て取れます。




より大きな地図で 松樹神社 を表示

| ryuichi | 06:06 | comments (x) | trackback (x) | 🌸旧中妻村::斉藤 |
三春物語430番「斉藤安養庵の如意輪観音」
斉藤安養庵の如意輪観音石仏群



三春城下、浄土宗紫雲寺方丈の隠居寺、安養寺は、城下南二里余りの斉藤村にあります。



江戸時代になると民間に「月待ち」という宗教行事が爆発的に流行した。



満月(十五夜)を観賞して楽しむ
「お月見」という行事は、現代でも風流人に
受け継がれ、まだ根絶はしていないが、さらに江戸時代には十五夜を過ぎて
徐々に欠けていく月が出るのを待ち、その月を「講」と呼ばれるグループで
拝んで無病息災を祈るという「月待ち」が盛んに行なわれた。



月は二十二夜、二十三夜、二十六夜などの月齢になると、その光は仏様の慈悲を帯びると
いう俗信から生まれた民間の宗教行事である。



二十二夜の月待ちの本尊として供養塔に彫られたのが如意輪(にょいりん)観音である。


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| ryuichi | 06:18 | comments (x) | trackback (x) | 🌸旧中妻村::斉藤 |
三春物語391番「斉藤村社 見渡権現」




斉藤村社「見渡権現」










宝亀二年(771年)、土地の豪族、伊藤氏の遠祖藤原頼豊が、松樹山と呼ばれる現地に勧請したと伝えられています。

平安期に創られた古社として古い行事を今に伝えています。













祭神は天弁羅雲命で夏季祭礼には「お湯立て」の神事が行われます。

また、奉納される太々神楽は古式をとどめる出雲流で町の無形民俗文化財に指定されています。
















| ryuichi | 05:27 | comments (0) | trackback (x) | 🌸旧中妻村::斉藤 |
三春物語113番 「斉藤大多鬼川の銀魚淵」
西方の方から斉藤の方さ流れる大滝根川に、淵が7つあって、銀魚淵は一番上で西方屋敷のすぐ近ぐにある。
川のそばを通る道は細い山道で、石の間をくぐってやっと歩いていて、川の水は石にぶつかってずない渦巻きになっていたので、渦巻淵とゆうていた。
 昔、この村に左衛門という釣りの名人がいて、いつも釣りをしていたが、今日は夏祭りで天気がいいのだが魚は1匹も釣れねえで昼飯になった。お祭りの赤飯(あかまま)を食うべと思って弁当を開けたとき、白髪の爺さまが出てきて「赤飯をもらいてえ」と言うので、くれたら喜んで食うてしもうと、姿が見えなくなってしもうた。
 左衛門は暑いので笠を顔の上に載せて昼休みしていると、「左衛門、左衛門」と誰かの声がする。笠の間から目を開けてみると、ずない狐が石の上に座って、尻尾を石にぶっつけると、「左衛門」と音が出てる。
 左衛門は「畜生、人を馬鹿にして赤飯を食いに来た狐畜生だったな。今に見ていろ、たまげらかしてくれっから。」と、「畜生」とずない声をあげて狐めがけて笠をぶっつけたら、狐はたまげて、淵さ落ちて、あっちむがいに逃げてってしもうた。
 今日はとんだ目にあった日だと、がっかりしてわげさ帰ろうと釣竿を上げべとしたら、なんぼ引っ張っても上がらねでいたとき、ちょうど西方の方から八兵衛というきこりどのが来たので、手伝ってもろうて、やっと上げたら、今まで見たことも聞いたこともねぇ6尺もあるずない銀魚が上がってきた。
 村中の人が聞きつけて、大勢集まって大騒ぎ。夏祭りが銀魚祭りに変わってしまい、みんなで銀魚の腹をわっつぁいたら、腹の中から赤飯が出てきたので、みんなたまげた。 左衛門は、「昼飯に赤飯を食いにきた白髪の爺さまは、淵の主の銀魚が化けたんだ。」と、大銀魚の頭を淵の近所さ埋めて、みんなで供養したんだ。 それからここを銀魚淵というようになったと。



| ryuichi | 06:43 | comments (0) | trackback (x) | 🌸旧中妻村::斉藤 |
三春物語114番 斉藤「花立て地蔵」
   斉藤「花立て地蔵」
 新学期が始まり、真照寺の水芭蕉が見ごろを迎えると、三春の町に桜の開花を待ちわびて観光で訪れる方を見かけようになります。
観光で訪れる方は、当然三春に不案内で、町民の皆様も道を尋ねられる機会が多いことと思いますが、三春に来たお客様です、笑顔で道案内をしたいものです。
中妻の斉藤に、「花立て地蔵」があります。案内板によると、「この「花立て地蔵」がある場所は、変則十字路になっていていました。道に不案内で困っていた旅人を見ていた村人たちは、文化二年にお地蔵様を建て、その台座となる蓮座に道案内を刻み「導き地蔵」として道しるべとしました。
旅人達は、お地蔵さま温和で優しいお顔と蓮座の道しるべをみて喜び、野の草花を供え、それ以来、お地蔵様の前には、四季折々の花が絶えたことはなく、誰言うとはなしに、「花立て地蔵」と呼ばれるようになりました。」とありました。
そのお地蔵様の温和なお顔を拝見していますと。「人の世は、鏡のようなもので、多くは、こちらが笑えば向こうも笑い、こちらが怒ればむこうも怒るといわれます。」という語を思い出しました。
 どうせ泣いても笑っても一回限りの人生を生きていくのですから、できれば明るく楽しんで生きていたいものです。
しかも、それはただ相手に求めるだけではなく、まず自分からそう努めて方が近道であり賢明です。ことにこれは、なんとしても家庭の雰囲気の中心になる女性にとっては、何よりも大事なことの一つです。
 母の微笑み一つで面白くない気分も和らぎ、むしゃくしゃした気持ちが落ち着くとすればこれほど有り難いことはありません。
 平らでない鏡で見ると、美しい顔も美しくは見えず、長くなったり短くなったり、歪に見えます。心の鏡を明るく、平らなものにしなければなりません。世の中には
些細なことで起こったり、悲しんだりする人が少なくありませんが、そういう場合よく考えてみると、問題は必ずしも相手側だけにあるのではなくて、こちら側にあるもので、よい心の鏡を持つということは、人のためよりも自分のためになるものです。
 怒ったり悲しんだりする心の動き一つが、内分泌の様子を変え、体に害を与えることを思うと、怒って損をするのは自分自身なので大いに心せねばなりません。
 心一つで見るものも聞くものも美しくなり、心の曇りの被害者が、誰よりもまず自分だということを思うと、自分の幸福のためにも、また、周囲の幸福のためにも、何とか自分の心の鏡はいつも綺麗にしておきたいものです。
                   蒼龍謹白・・・・・合掌


| ryuichi | 22:01 | comments (0) | trackback (x) | 🌸旧中妻村::斉藤 |