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古い日本刀のまつわる怪談




古い日本刀のまつわる怪談


NHK朝の連ドラ「ばけばけ」を観ているせいでしょうか、最近、友人からこんな話を聞きました。

歴史のある家には、守り刀として、古い日本刀を大切に子孫に伝えている家も少なくないでしょう。

東京下谷に住む、友人の母方の遠い親戚には、古い日本刀が一振りありました。


叔父さんの話では、この家の数代前の先祖が、浅草の骨董市で買ってきたという代物でした。

戦後に、当該警察署に銃砲刀類登録所持の許可申請をしています。


その言い伝えでは人を斬った刀らしいというのですが、詳細は誰も知りません。

叔父がその刀を置いた部屋で寝ると、非常に寝苦しく、時に金縛りのような状態になることがあるそうです。

別の部屋で寝ると何ともないということで、これは伯父の体調の問題ではなく、刀のせいではないかという話になったそうです。

その友人は、こういうのが好きだから相談しようということになったらしいんです。

「歴史に詳しいからこの刀の由来をわかる?家に置いても気持ち悪いからよかったら貰ってくれる?」というので、ご丁寧にも刀剣所持の許可の変更届の用紙が用意されていましたので、一緒に共に預かってきました。

しかし、内容がないようなので、どうにも気色が悪く直感的に家に持ち帰っては災いに合うと思ったそうです。

その友人は、そのまま懇意にしている浅草のお寺さんに事情を話して預けました。

以来、伯父は金縛りにあうことはなくなったということです。

後でお寺さんから聞いたところによると、たまたまその寺に修行にきていた若い僧が霊感の強い人だったらしく、刀を保管してある場所に3人の人影があるのを見たそうで、いずれも長い刀をぶら下げたサン切り頭の侍の格好だったそうです。

そこで、刀匠の名前から刀について改めて調べたところ、幕末の上野山の戦で、旧幕臣で構成された将軍親衛隊の奥詰銃隊の分派で、彰義隊に加勢に行った幕臣が持って行ったと伝わる刀だったそうです。

結局、お寺さんには、刀剣所持関連の書類も一緒にお願いしてお布施を包んで永代供養していただき保管してもらうことにしました。

友人は、二十年位前にも、先輩から年代物の鎧兜一式を鎧櫃ごと頂戴た経験がありますが、その時と同じです。


やはり、年代物の武具、鎧兜や日本刀には何かありますね。




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| ryuichi | 03:22 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春 怪談 怪奇伝説 |
「源八幡太郎義家の麻疹退治」 笠石八幡




「源八幡太郎義家の麻疹退治」 笠石八幡

根本の笠石八幡








昔、八幡太郎源義家が安倍一族討伐の時、根本村に立ち寄ったところちょうど村では麻疹が大流行で村人たちは大変困っていた。


これを聞いた義家は、「それは大変だ。その悪魔を征伐してやる」と、笠石八幡の場所より南西の天目がけ、馬上より鋼弓に一矢をつがえて射放した。








麻疹の悪魔もその威勢に恐れて退散したのか、重い麻疹も急に快復した。


今も射放した場所には、馬蹄の跡が石についており、放たれた矢は、遠く堀越村の井堀に落下して井戸となったという。


この間を「一矢間(ひとやま)」と伝えられている。









笠石八幡の祠に至る前に、二つに割れた石の胎内くぐりがあって、笠石と呼ばれる巨大な石が載っているところから、笠石八幡と呼んでいたという。













その巨石には



「はしかとて 折ればかろし 笠石の蹄の址や 八幡の家」と刻まれている。
 





| ryuichi | 03:10 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春 怪談 怪奇伝説 |
三春領内総鎮守「大元帥明王社の怪」



田村大元神社は、江戸時代の秋田藩政下では大元帥明王でした。



真言密教にある「大元帥明王悪魔降伏諸畏怖消滅秘密」

国家を守るための調伏呪法が名高く、平将門の乱・元寇(げんこう)などを名だたる危機を救ったとされる。
 
町史を紐解きますと、大元帥明王には、世情不安な時などに、まさに幽玄の世界が登場します。

愛姫の父である田村清顕の亡霊が現われたり、秋田実季(三春初代藩主の父)の生首が漂ったり、「丑の刻参り」の女の変死体が見つかったなど、「大元帥明王の怪」として噂が記録に残っています。







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| ryuichi | 03:33 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春 怪談 怪奇伝説::三春城下 怪談 |
 「寺山観音堂のツブ」


  「寺山観音堂のツブ」



上舞木寺山の観音堂の境内に不動尊が祀られています。

このお不動様は目の神様と言われ、古より目を患っている人々が参詣に訪れていました。境内には、田村三十三清水にかぞえられる観音清水があります。

とても澄み切った清水でこの水で目を洗えば、その患いが早く直るというもので、お参りの人が絶えなかったといいます。






 この清水が注ぐ棚池には、ツブ(タニシ)がおおく生息していますが、他のツブとは少し形が違います。

どちらから見ても、タニシ特有の尖っている部分が無ありません。





これは、その昔、近くに火事があったとき、池のツブが観音堂の屋根一杯に上がってこのお堂に降りかかる火の粉から護り、観音堂は類焼を免れました。

このとき屋根一杯のツブたちは尖ってる部分が焼けて三角形になったと云われ、それ以後、尖っている普通のツブを池へ放しても、いつしか三角に変わり、「観音様のツブ」と呼ばれるようになったと云う言い伝えが残っています。







 

 

かつて、寺山観音の祭礼には、近所の子供たちが棚池払いと称し「願掛けの為に棚池に反しに米を包みお供えしたものを拾い、お宿のお宅に持参しご飯や、お菓子などを頂くのが楽しみだったと聞き及びましたが、その子供らが今では消防団の一員として、寺山観音のツブに成り代わり寺山地区、上舞木はもちろん三春全域を守っています。
   



  

蒼龍謹白            合掌


オブスナさま



| ryuichi | 04:27 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春 怪談 怪奇伝説 |
「五老山 十三塚」 須賀川城主二階堂氏の興亡を描いた軍記物 『藤葉栄衰記』より



お盆なので、怖いお話を一つ・・・・

「五老山 十三塚」 須賀川城主二階堂氏の興亡を描いた軍記物 『藤葉栄衰記』より

岩代国・岩瀬郡須賀川城主の娘が、 政略結婚の犠牲者として、須賀川の新領主二階堂為氏の新妻となったが父と夫の不和のため破鏡のなげきをみることとなり、それを苦にして新妻は自害した。

その後幽霊となって、 毎夜夫のまくらもとに立った。修験行者·陰陽師·諸山の名僧などの加持も、 すべて効果がない。

そのうち為氏も病気になったが、これまた基現の祈祷も、 医者の治療も、一向にききめがない。

そこで、神として頼ることになり、 神社をたててこれを姫宮と称した。

いっぽう菩提を弔うため、 追善の大法要をおこなった。

高台に13の塚をついて、 卒塔婆をたて、その塚のまえで、後の長禄寺開山月窓和尚を請じて供養したという。

そこで幽霊も出なくなり、 為氏の病気も全快した。






上記は、文安4年(1447) のこととされ、 神社は翠ヶ丘公園内の五老山南側にある「三千代姫堂」、そして、十三塚は昭和 28年頃に五老山の林中で6基が発見されています。

なお、同公園内に「十三塚坂」があり、その説明板には「西側の林には、須賀川領主であった二階堂家(天正17年[1589]、 伊達政宗に滅ぼされた)追善供養止めの13の土盛りの塚があった。

現在は雑木に覆われ、場所も判然としない」 とし記されています。



追伸、五老山の由来:天正9年、三春城主・田村清顕方と須賀川城主・二階堂盛義の老臣5人が、この場所で和睦交渉をしたことから、五老山と呼ばれるようになったという。




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| ryuichi | 03:55 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春 怪談 怪奇伝説 |
腹切梅伝説 御家騒動




腹切梅伝説 御家騒動


三春城下大町の紫雲寺、山内に入ると右手に梅の古木があって「腹切梅」と刻んだ小さな石碑がある。

あれは、大正十五年(昭和元年)に、河野広中磐州翁の碑を建てた時、「腹切梅」の主人公滋野多兵衛の供養のために建てたものです。..

今から350年程前の正徳5年6月、三春藩秋田氏3代の藩主輝季が逝去します。
跡取りである幼君はわずかに5才。

世嗣について客分家老荒木玄蕃(3代藩主輝季妹の夫)は、これをしりぞけて自分の子を入れたい野望を抱き、藩士達に連判を強要した。
それにしても幼君が邪魔なので、その毒殺の密計を企て、老女柳瀬と御殿医三宅良庵を抱き込んで、実行の機会をねらっていた.

滋野多兵衛は近習目付役で忠義一徹の侍でした。
荒木の連判には加わらず、幼君の身辺を離れず守護の役を果していた。

同年12月3日早朝、多兵衛が出仕すると、良庵と柳瀬が幼君に食膳をすすめていた。
怪しいとにらんだがどうしようも出来ません。
そこで滋野はとっさに自分のはいていた草履を食膳めがけて投げつけた。

その無礼で、滋野はその場に取り押えられ,重役詮議の上、切腹を申渡されます。

翌日、滋野はその菩提寺境内に設えられた切腹の座に据えられたが、

「何か望みがあるなら」という役人に対し、「乳母に会いたい」と答え、望は内密に聞き届けられた。

多兵衛が平沢田端の農家を訪れた時、乳母は噂で滋野のお仕置(切腹)きを聞き、仏前に供えようと、団子を作っている処だった。
思いも寄らぬ生きての対面に、涙ながらに団子を振舞います。

多兵衛は従客として馳走になり、別れを告げ·紫雲寺裏山の尾根伝えに、切腹の場所に戻った。
その時、乱母が飼い馴らした赤猫が、多兵衝にまつわりつきながらついて来た。

滋野は、処刑検視の役人を前にある城の方を睨み「この恨みは必ず果たしてやる!」と叫び、作法に従って左腹深く短刀をつきさして相果てた。

見守っていた赤猫が飛び出して着て、飛び散った滋野の血をすすって何処にか姿をくらまします。そして傍の白梅は、その翌年から、赤い花に変って咲くようになったという。






腹切梅後日談 「化け猫騒動」

腹切り梅の主人公滋唦兵衛の切腹処刑後、客分家老の荒木内匠は、自分の子である旗本秋田氏に養子に入っていた頼季を家督として幕府に届け藩内にも布告します。

その頃から、御城と家老荒木の屋敷に怪事が頻発するようになりました。

滋野多兵衛の亡霊と怪しい猫が家老や4代藩主頼季公(家老の実子)の夢枕に“猫の怨霊”が現れるようになったと云う、また、御殿や荒木屋敷など処々に同様の“猫の怨霊”が現われるのというもので、御殿出仕の侍達は極度の恐怖に陥っていました。

以来、この荒木屋敷では特に変事が続き、下僕・仲間(ちゅうげん)達や女中たちも相次いで宿下がり(離職)を乞い、長つづきする者がなかった。

奇怪な噂は尾ヒレをつけてひろがり、町内の者もふるえあがっていた。

慌てた城方では、3石7斗の供養料を紫賢寺に寄進し滋野多兵衛の亡霊を鎮めよう としたが一向きめがなく、御殿と荒木屋敷の怪事は納らなかった。

権力をほしいままにして剛腕でならした家老荒木内匠も居た堪れなくなり、南町の御城坂下の屋敷を捨てて、貝山地内·山崎の下屋敷を改築し、浪人者を雇い、番犬数匹を飼い警備を固めていた,

.
ところが、 天明5年 といますから今から約250年ほど前の2月23日早期、御厩(おんまや・現西山医院付近)から火が出て、見る間に焼けひろがり城下町内を民家伝えに家中侍屋敷を総なめに役払っていきます。

火は衰えることなくお城坂にある荒木屋敷、そして御城までも焼き尽し清水に飛び火して御典医良庵(幼君に毒を盛った医者)まで類焼し、三春城下未曾有の大火となった。






家老荒木氏の孫にあたる藩主千季は、馬に乗り単身新町にある祈願寺の真照寺に避雉して辛うじて難を免かれた。
この火事でも滋野の飼い猫が化け猫となり火を導いたのだと、専らの噂だった。

真照寺に伝わる伝説は、天明五年二月、八幡町より火の手が上がります。
すると火達磨となった猫の怨霊が天を駆け廻り、中町から荒町、そして、高乾院の家老の墓所を焼払い、北町を駆け上がり焼き尽くし、三春城(舞鶴城)の御三階や御殿を焼き払ってしまいます。
その後も火の勢いは衰えず、大町から南町へ炎が城下町を飲み込んでいきます。





亀井の黒門(現田村消防署三春分署)に消火の陣頭指揮に出向いた、藩主千季公(家老の孫)は、火勢を避けるために、真照寺へ向かいますが、それを追うかの如く炎は、勢いを増し南町から山中、そして新町をも紅蓮の炎に包んでいきます。

千季公を、真照寺住職が門前(当三春昭進堂前)まで迎えに出たところ、千季公の背後に“猫の怨霊”が見えたので、袈裟の袂で千季公を隠すようにして寺へ導きます。
すると、猫の怨霊が千季公を見失ったのでしょう、三春城下を焼き尽くした火災は、その場所でようやく鎮火したと伝えられています。

この大火後も、祟りの様に度々大火や大雪そして大雨に災害に襲われます。
また、五代治季公、六代定季公と二代続けてと早死にしたこともあり、猫(滋野)の怨霊に夜毎苦しめられた千季公は真照寺へ、弘法大師・興教大師像の中に滋野多兵衛の位牌を納めて奉納し、その怨霊を鎮めたといいます。






以来三春城下での大火の度に、火達磨が如く炎に包まれた“猫の怨霊”が空を駆け廻り、火をつけて回った話が生まれ、昭和のはじめ頃まで大火の度に囁かれたといいます。

以来、三春では猫の芝居を敬遠しつづけて来たと伝えられています。

因みに、滋野多兵衛の墓は紫雲寺に現存していますが、この墓は、滋野の若党だづた北町の万屋(よろずや)德右衛門が、安永9年6月旧主の供養を営み石碑を建てたのである。

戒名·光照院摂誉浄取居士。




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平成版三春怪奇伝説 「八島川小滝の怪談」


八島川小滝の怪談

旧小浜海道。

八雲団地(旧三春病院)を通って、御祭に通じています。

そこから右に別れ、八島川沿いに南成田へ向かって少し行ったところに、農家5、6軒の千代ノ川の村落があります。


この辺りの川には、急に坂道となり、右手に巨岩が重なり小さな滝となり、その間を清流のせせらぎが音を立てている。

旧藩時代には、このあたりの農家の水車小屋があって、谷間一帯には老松雑木が繁り、藤や蔦がはびこり、絶好な狐や狸の棲み処となっていました。


いつの頃か、どこから来たのか、ここに老いた女乞食が棲みつくようになりました。

日中は農家を回って物を乞い、夜になるとこの水車小屋で寝泊まりしていたそうです。

この老婆が、時には持病の癪(しゃく)をお越し、飲まず食わずで寝込むことがありました。

ある秋の事、紅葉が美しかった。

その紅葉林の中で老婆は首をつって亡くなっていた。

見つけた村人達は、その亡骸を後日無縁仏として丁寧に埋葬して、冥福を祈りました。


ところが、その後、夜更けにあの道を通る人は、老婆の呼びかけるしわがれた声を聴くという噂が広がった。

おじけた村人たちは、決して夜更けにあの道を通らなかった。






程を経て、南成田、御祭の両村の人たちは相談して、水車を壊し、老婆の首を吊った木を切り倒して、後生を弔いました。

時代は下がり、村道は改修され、今ではこの怪談話も忘れ去られています。


古い広報三春のコラム「怪奇伝説」参照


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