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三春城下清水 天狗谷



三春城下清水 天狗谷


天狗谷と呼んでいますが、三春城下清水の天澤寺参道西側の地区を”天狗谷”とよんでいますが、正式な地名ではありません。


元々修験の行者が管理する愛宕地蔵尊を祀ったお堂があった場所とされています。

約350年前、江戸期の三春城主秋田家が宍戸より三春へ移封の際に、愛宕地蔵堂を城下中町へ移築し、秋田より移設した古四王堂(後に真照寺境内へ移築)の御借屋があった場所でした。


春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 05:54 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春城下新町 |
三春物語731番「藩主祈願所真照寺下“幻の霊鉱泉 不動温泉”」


 
 真照寺下“幻の霊鉱泉 不動温泉”

三春城下新町にある古刹、藩主祈願所真照寺下に、昭和初期から戦後まであった“幻の霊鉱泉 不動温泉”をつたえる古い新聞の記事をいただきました。

昭和二年十一月十三日付の福島毎日新聞(現福島民報社)です。

この新聞も、山三 渡邊商店から発見されたものです。






昭和14年4月の花まつり稚児行列での当店南側の旧セリ市場付近で撮られた写真ですが、左上に不動温泉が映っています。




郡山市ビックiにある昭和30年代の郡山駅前を再現したのジオラマにある「越後屋旅館」(もしかしたら木村屋旅館かな?)です。

旧不動温泉の三階楼建物を昭和25年ごろ移築。

一層と二層目の屋根の形状が、改築されている様子が見えます。


記事によると、




真照寺の奥ノ院参道に老杉が列なり、昼尚暗い谷間から湧出する薄茶色の天然温鉱泉が湧き出ていた。

昔この鉱泉の傍に掘った井戸の水が不治の難症に適するというもので、諸方より参詣が絶えなかった。

時の三春藩主秋田候も難症に悩んだ為一週間参籠してこの霊鉱泉で沐浴し満願の日に完治したと言い伝えられていた。





ビックiのジオラマ。場所は旧丸井と旧寿泉堂病院の間付近でした。尚、手前の建物は郡山駅です。




時代は下って昭和初期。

この話を聞いた庚申坂新地、娼館島村楼主人飯村政太郎氏は、福島県衛生試験場で成分試験を依頼したところ難病を治癒するに足りる成分が含まれることを発見し試験証明を交付された。

さらに、その適応症について大原病院皮膚科長にして物理学の権威である坂本医学博士に研究を依頼し、婦人病、胃腸症、中風症、リウマチ、神経痛等の難症の治癒し得ることが証明されたので、飯村氏は当時珍しい木造三階楼の湯屋を開業するに至った。

このことを聞き伝えて諸方から入浴者が続々と押しかけ同温泉は非常な賑わいを見せていると伝えています。







不動温泉という名前は真照寺のご本尊の不動明王からとったものです。







昭和八年生まれの父も、この三階楼の湯屋のことは幼い心ながらうっすら覚えていて、物心ついた時には廃業していて、飯村のじいさん一人が住んでいて、一階以外はすべて雨戸が締め切ってあり、渡り廊下の先にある元の浴場は開け放たれていて、時折爺さんの留守を見計らっては探検気分でなかを探索していたそうです。





旧セリ市場での花まつり稚児行列の全体集合写真(セリ市場東手から真照寺参道方面に向かって撮影された。どこかに幼いころの父が映っています)



戦後になって郡山駅前再開発により、郡山駅前の現寿泉堂手前の三角地帯に移築し昭和40年代まで「越後屋?」という屋号で旅館をしていたそうです。







三春城下御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 03:01 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春城下新町 |
三春城下怪奇伝説 「庚申坂弓町新地秘話」



三春城下怪奇伝説

「庚申坂秘話」

“三春庚申坂七色狐、わしの二、三度騙された”  この三春甚句が、風のように日本全国の巷を吹きまくったことがあります。


旧藩時代より、三春城下新町末の庚申坂の色街は有名でした。

大正・昭和となり、場所が庚申坂から新地(弓町)に移転してから最盛期を迎え5件の妓楼に約30名を超える遊女が在籍し、昼夜もない繁盛ぶりだったと伝わっています。





そして、その華やかさの陰には、花街につきもの事柄がたくさんあったことでしょう。


悲恋の恋の花が咲き、心中あり、駆け落ちあり、円満身請けあり、倒産あり・・・数々の秘め事話がを残しています。






今は、妓楼も朽ち果て、その面影をしのぶだけです。

これは、大正の中ごろのお話で、やや生々しいしい昔話ですがある妓楼(店名は秘す)に、越後白根在の小作農家出身の“大和(やまと)”という源氏名の遊女がいました。






越後美人で気立ても優しく、廓でも一二位を争う人気となっていました。

この遊女に入れあげた客の中でも、芦沢村の柏原という百姓いました。

分別盛りの五十を超えた男でしたが、最も足繁く通いつめます。





そして、一年も経たぬ間に、田畑山林まで人手に渡る始末になり果てました。

遊女大和は、この男柏原の身を案じて廓通いを諫めますが、糠に釘打ちでした。

柏原は、いよいよ最後の手段として北海道への駆け落ちを迫りますが、大和に強く拒まれます。






そして秋の色ずく頃でした。
いつもの様に登楼してきた柏原に対し、酒席の中で大和は素っ気なさを装って柏原を帰そうとして座がシラケてしまいます。

その翌朝、まだ夜の明けきらない早朝四時半ごろ、“恋心余って憎さ百倍”・・・柏原はかねてより用意していた出刃包丁をふるって寝ている大和の鼻柱に斬りつけます。

“無理心中”とばかりに、悲鳴とともに起き上がった大和に向かい柏原は執拗に斬りつけ、耳下、後頭部、背部と滅多突きにしてしまいます。

医者よ!警察よ!と早朝の花廓は大騒ぎとなってしまいます。





そのどさくさの中で、柏原は凶器の出刃包丁で自分の喉を突き、返す歯で男子のシンボルを切断し、流血の末に苦しみながら死んでいきました。

大和は、案外、傷が軽く、一命をとりとめますが、女の命といわれる顔に深い傷が残ってしまい、再び客前には出ることは出来なくなりました。

この無理心中があってから、この妓楼には不幸が続きますが、この柏原の祟りではと巷では噂が流れていました。




大正十四年発効「三春名所案内」には、遊郭の広告が掲載されています。


古い広報三春内コラム参照

春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 03:11 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春城下新町 |
「千客鰻来」 土用の丑の日。 



「千客鰻来」

令和7年 土用の丑の日 

7月19日(土)  第一丑の日



三春城下新町では、当店の隣にある城下一の魚屋「橋長」さんに、鰻のかば焼きを頼みます。



画像でお分かりになりますか?

国産浜松の鰻を、東京の料亭で修業した社長が、その自慢の腕前を見せてくれます。

裁き、蒸してからのかば焼き・・・・このふっくらとした身と黒あめ色に光るタレ!






当店女将など、知人や実家などにお中元としていそいそと配っています。

もう夕食まで待てません!


当家の分は、一人一匹。






お昼には”うな重”で頂き、夜は残りを肴に冷えたビールで一献!


これでこの夏を乗り切れそうです。







夏土用”あんころ餅” ~御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍~






土用の丑。

暑さが厳しい夏の土用の丑の日に、無病息災を願って身体に良いものを食す風習があります。 力がつくといわれる餅と、邪気を祓う赤色の小豆は悪病・災難を退けるとされます。








当店の土用餅は、柔らかい口当たりのお餅をなめらかな自家製こし餡で絡めてみました。

冷房のない時代に暑さを乗り切るため、様々な知恵を絞ってきたことがうかがえます。

私たちも先人の知恵に倣って、体調には十分注意をし元気に夏を乗り切りたいものです。






北海小豆のこし餡からのぞくお餅も愛らしいた土用餅。

古人の知恵にならった暑気払いの素朴なお菓子で、この夏を健やかにお過ごしください。







数量限定販売です。


あんころ持ちを食べて、暑い夏を乗り切りましょう!


ご自愛くださいませ。









春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂









| ryuichi | 03:12 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春城下新町 |
「最後の説法 大地玄亀大和尚」 石龍木童正孝大和尚著 

「最後の説法 大地玄亀」


塵壺407号  「最後の説法 大地玄亀大和尚」 石龍木童正孝大和尚著 令和7年6月発行

この本は、三春城下新町の曹洞宗天翁山州傳寺第三十三世中興石龍木童大和尚(老師)が、師匠である州傳寺第三十二世大地沙門玄亀大和尚の総見や接心での法話や提唱、そして最後の説法を録音したテープなどから文字を起こして編集され一冊の本にまとめられたものです。

禅に興味を持ち始めたころで、塵壺の参考にしたいと思い30年余前に、石龍老師の下へ、参禅とまではいきませんが、州傳寺歴史や禅の教えを乞いに出頭していた頃に禅の教示と共に手渡された一冊です。






また、州傳寺では、石龍老師より玄亀大和尚の禅僧としての人となりも伺っていました。

玄亀大和尚は、明治24年紀州下津町生まれ、大正3年岸和田梅渓寺住職大洞石雲老師について得度。大正9年鶴見總持寺に安居、5年の総持寺安居の後に送行。以降、埼玉、千葉、小浜等々、そして発心寺専門道場の単頭など参禅、住職、安居などの修業を重ねた禅僧です。

この東北の地に「禅」を根付かせたいという想いから、良寛さまや乞食桃水和尚のように、一切の名利を捨てて禅僧として、自ら悟りを求め努力するとともに、人々を仏道に導き救済するという「上求菩提下化衆生(じょうぐぼだい・げけしゅじょう)」の誓願を立て、三春城下でも檀用の少い州傳寺を選ばれて掛錫されます。



大地玄亀老師



また、本書の著者である州傳寺の前住職石龍木童老師も、玄亀大和尚の教えを下に州傳寺にて法名を継承されています。


仏道というと、普通一般の私たちは、私達の日常の生活とかけ離れた縁遠いもので、抹香・線香臭い陰気なものだと思ったり、あるいは特別な知識階級の人とか、極的保守的なもののように思っている人も多くありますが、玄亀大和尚は、本具仏性として坐禅といい、坐禅とは私達の日常の生活全てのことで、日常の外に仏道や禅はなく、朝から晩まで、晩から朝までする事なす事全てが仏道修行そのものです。


朝起きて顔を洗うこと、掃除をすること、食事を作ること、ご飯を食べること、仕事をすること、商売をすること、勉強すること全てに当てはまり、仏法即日常底、日常底即仏法、禅即生活、生活そのものが仏道であると説かれています。

また、「人」という文字を例えとして仏道を説かれ、一本を取れば必ず倒れる、一本では絶対に立てない、人間もまたその通りで一人では絶対に生活は出来ません。

我見我慢の心を一切捨てて、お互いに支え合わなければなりません。持ちつ持たれつして初めて人間世界が成り立っていきます。

この「人」という文字を学得して初めて幸福な家庭と文化国家が生れて来ます。

この「自他不二の道理」をよく心得て、お互いに和合して助け合う世界には、“闘争”とか、“戦争”とかいう汚い言葉や不平不満の声は無くなって、“有難いない”、“勿体ない”という麗わしいという言葉の下に「尊い汚れのない浄土」が建設されると説かれていました。



石龍木童大和尚から、道元の坐禅は、「只管打坐(しかんたざ)」であると教示されています。只管とは、ひたすら、余念を交えないという意味、打坐とは坐禅です。

つまりただひたすらに坐禅をするという意味で、あるがまま、自然の流れに身を任せ、ただ、ただ坐るだけ。

ひたすらに現実を見つめ、何も求めずに、ただひたすら坐(すわ)ることです。  

そして、禅僧の本懐とは、自分自身を最後の最後まで使い切って、その痕跡すら残さないことである。禅語の「破草鞋(はそうあい)」とは、長年の修行で履き破れた草鞋を、きれいに洗って刻んで、壁の下地に使ったり、そのまま畑に撒いて堆肥にして使い切る。

即ち、一切の妄想、執着を断ち切って、人知れず捨て去られる一足の破れ草鞋のように、自身を使い切り、その痕跡すら知られことも何もひけらかすことなく只々修行に励む大切さをご教示いただきました。


忙しい毎日を送っている私たちは、つい自分を見失いがちですが、そうならないためにも、意識して反省をする習慣をつけなければならないと思いますが、現実にはなかなかできません。

「艱難辛苦を我に・・・・」ではありませんが、人生というのは魂の修行の場だと思います。

いつまでも自分を高めるための良性なプレッシャーを追い求めながら新たな情熱を持ち続け、毎日ドキドキ・ワクワク高揚しながら日々を楽しく暮らして行きたいものです。



仏道というは自己を習うなり  自己を習うというは自己を忘るなり  自己を忘るるというは万法に証せらるるなり 
   
    さあ、坐ろう! 蒼龍謹白 拝  さすけねぇぞい三春!














三春城下御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍





 

天翁山州傳寺歴住大和尚

三春城下天翁山州傳寺は、寛永五年(1638)、松下長綱公が三春城主として二本松城より転封されて間もなく、父重綱公を開基として烏山天性寺第十一世勝岩長全大和尚を開山として建立されました。




山号・寺号

祖父 綱玄院殿天翁長参(柵)大居士

父  州傳寺殿永厳長譽大居士



當寺は、曹洞宗において「片法幢(各地)」として宗門の僧侶・雲水を養成する修行道場




歴住大和尚

開山 勝岩長全大和尚 
本寺烏山天性寺十一世 寛永十三年(一六三六)八月 九日示寂

二世 雲州元龍大和尚

三世 海岸道吞大和尚  
末寺船引満円寺を開山 承応元年(一六五二)十月九日示寂

四世 斧山龍鈯大和尚
末寺船引照光寺を開山


五世 龍骨愚海大和尚 同 船引照光寺二世


六世 釼室雲利大和尚

七世 大祐元慶大和尚

八世 綴山寛補大和尚

九世 中興 一輪通禅大和尚
  元禄十五年(一七〇二)寺院再建

十世 悦山易禅大和尚

十一世 享天始元大和尚

十二世 中興 寶厳興隆大和尚
 元禄四年 越後弥彦山の禰宜髙橋太郎右衛門光宣第三子 慈海(具海)
埼玉加須全久寺第六世
享保十九年(一七三四)五月十五日 再建 法燈をただす
明和五年(一七六八)十月二十六日示寂

十三世 天随口音大和尚


十四世 蜜岩単隆大和尚

十五世 無幻老卵大和尚
庄内大山祐性院より
 明和九年=安永元年万徳丈六堂消失 天明の飢饉・三春城下大火 
後・大阪吹田大雄寺~周防洞泉寺~岩国善住寺開山~興聖寺~
文化二年(一八〇五)十一月二日 鶴岡破鏡庵示寂

十六世 佛印寛翁大和尚 福島市陽林寺十六世より晋山


十七世 洞雲全岩大和尚


十八世 東州智海大和尚

十九世 中興 虎云都繡大和尚
文化五年(一八〇八)九月二十六日再建
御朱印高弐拾石 寺領坪数三千余坪 
後年の火災により消失 現存遺構 正面石段 葷酒禁制碑柱 歴代住職墓地燈篭

二十世 高雲得(徳)宗大和尚
糸魚川金峰山大雲寺より文政八年(一八二五)六月晋山 
天保十一年(一八四〇)十月二十四日退山
再度、金峰山大雲寺へ帰山

二十一世 佛智大康大和尚


二十二世 大応玉仙大和尚

二十三世 梥屋慶音大和尚

二十四世 玉掌珍了大和尚


二十五世 桐宗恵文大和尚

二十六世 天外田龍大和尚


二十七世 悟山霊秀大和尚
(詳細別記)


二十八世 徳順吞海大和尚 明治二十年(一八八七)八月
二十二日示寂(詳細別記)

二十九世 中興 泰庀活麟大和尚
明治二十一年(一八八八)二月晋山
明治三十七年(一九〇四)十二月二十九日示寂(詳細後記)


三十世 徳充戒藴大和尚昭和九年(一九三四)十月九日示寂

三十一世 祖田瑞苗大和尚
昭和十七年(一九四二)二月二十八日示寂


三十二世 即如玄亀大和尚  稟命1等布教師
昭和二十八年(一九五三)四月十七日示寂(詳細後記)


三十三世 現住 木童正孝衲 稟命1等布教師
昭和二十八年(一九五三)五月十二日晋山
平成17年十一月二十九日・三十日厳修

三十四世 現住 



| ryuichi | 16:15 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春城下新町::天翁山州傳寺 |
「岳温泉 あづま館」 三春城下山中明王様門前「柳金商店」


先日、新年会のために岳温泉「あづま館」に出かけました。

岳温泉には、なんやかんやで年間5~6回は訪れています。

母親が本宮出身ということで、幼い頃より来ている温泉場なので、温泉といえば岳温泉が一何初めに出てくるくらい身近な温泉場です。

また、三春城下明王様門前の山中にあった「柳金商店」さんのお陰で、やはり岳温泉一番館である「あづま館」がしっくりきます。


「柳金商店」さん?と思われるかもしれませんね・・・・


「柳金」さんには、あずま館の案内看板が掲げてあり、取次店だったようです。


ご主人の柳金さんこと故柳沼金三郎さんは、三春商人の典型的な方で、店では日用雑貨を商い、外商では冠婚葬祭の引き出物や上記の岳温泉「あずま館」や福島交通観光部での旅行の手配等々今でいう総合商社を一人でこなしていたような方でした。







祖父伝蔵、父民夫の頃より、柳金さんのお世話で、今ではなく待った公衆電話組合、切手販売所組合、たばこ販売所組合、商工会新町支部等の各種総会や忘新年会、そして暑気払いや紅葉狩など、岳温泉あづま館」での各種会合はきりがなかったように記憶しています。


お土産は決まって「湯の華」です。

当分我が家のお風呂には硫黄のにおいが立ちこめる「湯の華」が投入され、家族全員で温泉気分を味わっていました。




私も、子供の頃より家族旅行といえば「あづま館」に年に1回くらいは訪れていました。

また、30数年前の成人式の折にはクラス会をお世話になったこともあります。

柳金さんの紹介で行きますと必ず、当時の女将さんや大番頭さんがお酒やお菓子を持参され、ご丁寧なあいさつをいただいていた記憶があります。

今では懐かしい思い出です。


三春昭進堂 髙橋龍一


| ryuichi | 03:27 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春城下新町 |
萬年山天澤寺の墓地への土手崩落の補修が完了しています。




三春城下清水にある曹洞宗 萬年山天澤寺の墓地への土手崩落の補修が完了しています。

一昨年の長雨により崩落していましたが、きれいに治っています。





安心してお墓参りが出来ます。



秋の落ち葉拾いも快適です。




三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 03:39 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春城下新町::萬年山天澤寺 |