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三春城下新町鎮守 田村大元神社 令和6年夏季例大祭 




三春城下新町鎮守 田村大元神社 令和五年夏季例大祭 



7月14日(日) 夏季例大祭神事 社殿  午前9時

       町内神輿渡御 新町行政区一円 午前10時頃^

還御(神輿が神社に還る) 新町縦町 午後7時 ”庚申坂郭堺区分燈”出立
















旧秋田氏三春藩領内総鎮守であった大元帥明王社7は、田村大元神社の名称が変わり、御神体は「国常立命(くにとこだちのみこと)」となっていますが、旧神号大元帥明王の時代から例大祭時の御神輿渡御では長獅子が先払いとして先頭を練り歩きます。


「大元帥明王」は、敵や悪霊の降伏に絶大な功徳を発揮すると言われています。

その名残で長獅子の髭が災難除けとして町内に配られています。







明治維新後の三春藩解体に伴い、旧三春藩の総鎮守として三春領田村郡内全域と郡山の一部で運営されてきた「田村大元師明王社」を、紆余曲折はあったものの、混沌とした時代が過ぎた、昭和に成って、新町の大先輩たちが、別火講中を組織して、その心意気で一手に担い、今日まで継承してきました。


「別火」、古くは別の日と書きましたが、別火講中とは文字の如く、家と釜戸の火を別ける特別な「ハレの日」を意味しています。

新町の男たちは、家庭や社会から離れ、別火講中の一連の年間行事の中で、講員一同、正に寝食を供にすることにより「田村大元神社」の行事を司り、講中在籍中に実社会では体験出来ないような、様々な体験を通して思慮分別を養っていました。


さらには「真の三春人」となって、実社会においてこの発展に寄与する人間つくりを目的として、新町の先輩たちから、脈々と受け継がれてきた、三春人として、胸を張って誇れる組織だと思います。






世代が変わり薄れつつある事柄ですが、「別火講中」とは「同志、仲間」という意味であると理解してほしいと思います。


決してただ酒を飲んで大騒ぎをする会ではありません。

仲間がいることで「切磋琢磨」互いに良い影響を与え、学び合いながら、人は一人では生きられない。

また、支え合う人・喜びや悲しみを分かち合う人達がいてこそ、自分自身も、成長し、生きることが出来るということを、心に刻み、「別火講中で培った人格と経験を持って社会生活寄与する」という事を学んでいただければと心より思います。  







私は、よく「別火講中はコミニティーの原点だ」と申し上げていますが、別火講中とはまさにコミュニティそのものなのかもしれません。



辞書によれば 「講」とは、民間の金融上の組合、経典を講釈する会、信徒が催す法会や、神仏に参拝に行く団体」とあります。

また、コミュニティー【community】は、「人々が共同体意識を持って共同生活を営む一定の地域,およびその人々の集団。地域社会。共同体。」とあります。







昨今「日本からコミュニティが消えつつある」と言われています。

確かに昔はご近所があり、隣組があり、先輩・後輩があり、それに付随した言葉使い、義理や人情等々人付き合いのスキルがたくさんありました。


現在でも確かに存在はするのですが、個人の権利や自由が叫ばれ、仲間意識は表面的になっているように思われます、しかし、我が新町においては、別火講中があるかぎり、無縁の物の様に思います。





新町の先輩たちが築き上げた、別火講中の、心意気を忘れることなく、両番組力を合わせて、修行の場としての別火講中行事の中で、おのおの意味を見出しながら、時に楽しく、時に厳しく、孫子の代まで、「別火講中」を継承していってくれることを切に、お願いします。




春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍








| ryuichi | 03:29 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春城下新町 |
三春城下新町鎮守「田村大元神社夏季祭礼」 宵祭 





三春城下新町鎮守「田村大元神社夏季祭礼」 宵祭

※ 旧三春藩五万石領内総鎮守「大元帥明王」のお祭でしたが、現在は城下新町の鎮守様 田村大元神社夏季例大祭

旧三春藩の領内総鎮守の祭礼 起源は古く戦国末期より500年余続く祭礼


新町字民をはじめ城下を中心に三春の町民が広く氏子として奉仕しています。

令和6年度

7月13日(土) 宵祭 還御 新町縦町 午後7時ごろ ”庚申坂郭堺区分燈”出立

7月14日(日) 夏季例大祭神事 社殿  午前9時

       町内神輿渡御 新町行政区一円 午前10時頃^

還御(神輿が神社に還る) 新町縦町 午後7時 ”庚申坂郭堺区分燈”出立


旧三春藩領内総鎮守太元帥明王社 (田村大元神社)

本来、太元帥明王は四天王·二十八部衆を従え、悪獣や兵火の災難を除き、国を守り人々を保護する明王であった。

国常立命は記紀神話の神で、日本書紀では天地開闘の最初に出現した国土生成の中心的神として位置づけられている。


八幡神社、能熊野神社、神明宮、秋葉神社に対する篤い信仰を持ち続け、例祭には神輿渡御があり、長獅子、三匹獅子舞を奉納し祭礼を行う。






祭儀は一月元旦歳旦祭、四月二十八日春祭り、例祭は七月二十日(現在は第三の日曜日)、十月二十八日秋祭り、秋葉講祭が四月二十日と十月二十日、他に正月別火講祭奈が行われる。


別火講一番組と二番組が祭りの準備と執行に当たっている。


田村大元神社から勤請された神社と思われる大元神社が大越と船引にある。







坂上田村麿公は、坂上苅田麿公の子として天平宝宇二年(758年))に生まれている。成長して蝦夷征伐に関係し、延暦十六年(797年)には征夷大将軍に任じられている。

田村麻呂は、観音への信仰もあつく、同十七年(798)には京都に清水寺を建立している。朝廷や天皇からの信頼あつく、正三位まで授けられるとともに、参議や大納言などの要職に任じられている。





また、武門に対する信頼もあつく、右近衛大将や兵部卿なども歴任している。
弘仁二年(811)五月二十三目、都にて没している。






延暦年間(782~805)
坂上田村磨、征夷大将軍として征討の途上、磐城国岩瀬郡小山田村今明王壇に図常立命を安置奉斎、武運長久治国平天下を祈願したことに由来する。(社伝による)

永仁三年(1295)
社宝銅製松喰鶴鏡にこの年の墨書銘がある。

歴応年間(北朝年号1338~1342)
坂上田村麻呂・田村将軍の裔田村輝定、之を三春雲集山古城跡に遷し、祠官を置く。
(社伝による)

永正元年(1504)
田村麻呂から26代目の子孫とする田村義顕、居城を田村郡守山字山中(現郡山市)より三春大志多山に移した時、太元明王をも併せ移し、その社殿を同じく大志多山に建立、之を奉遷。

三春城の東舘(後の三ノ丸)の南麓に社地を定め、社地及び門前の町名を守山山中を模して山中とし、守山の泰平寺を移して別当寺とする。

天文年間(1532~1554)
境内末社、八幡宮、熊野宮を勧請。

天文十八年 (1549)
田村氏の変遷により、この年まで田村家領内六十六郷の総鎮守とする。

天文十八年(1549)~慶長三年(1598)
会津蒲生氏による三春支配、景仰奉祀する。

慶長三年(1598)~慶長五年(1600)
会津上杉氏による三春支配、景仰奉祀する。

慶長五年(1600)~寬永四年(1637)
再び会津蒲生氏三春支配、景仰奉祀する。

寬永四年(1637)~寛永五年(1628)
会津加藤氏支配、景仰奉祀する。

寛永五年(1628)~正保元年(1644)
三春城主松下氏支配、景仰奉祀する。

正保二年(1645)
秋田俊季、常陸国宍戸城より三春に移り、本神社を尊崇。
別当を真照寺とする。

寬文十年(1670)
仏殿、本堂火災により焼失。

元禄二年(1689)
秋田輝季、大般若経六百巻を奉献。

天明八年(1788)
秋田倩季、神号額を奉納。

慶応三年(1867)
秋田映季、仁王門(後随神門・表門・八脚門)を建造。
金剛力士像完成(石森の彫工伊藤光雲.同九賀之助の合作)







明治元年(1868)
神仏分離令布告。


明治三年(1870)
大志多山神社と改称。
三月、御神体·突鐘·金剛力士像を真照寺に移し、社殿を破却。
六月一日遷宮

明治四年(1871)
三春藩社詞方より国常立命を祭神として、三春町の鎮守とし、当屋制廃止を命ぜらる。
旧三春藩の総鎮守であった大元帥明王が明治四年の廃藩置県の際に無格社となり、一方三春町の一地域の信仰であった神明社が明治三十三年に県社に列せられた。

明治十二年(1879)
社名を田村大元神社と改称。

明治三十二年(1899)
本殿拝殿を建立。

昭和三年(1928)7月18日、
郷社に列せられる。銅板屋根にする。

昭和十六年(1941)
銅製松喰鶴鏡、国指定重要美術品に認定される。

昭和二十年(1945)
太平洋戦争終結・GHQ、神道指令を出す。

昭和三十六年
阿吽仁王像が氏子によって真照寺からこの随神門に戻された。








春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍



| ryuichi | 03:25 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春城下新町 |
城下新町・夏の風物詩  田村大元神社祭礼、三匹獅子・長獅子の練習



三春城下新町の鎮守田村大元神社(旧三春藩五万石領内総鎮守「大元帥明王」)の祭礼を、今週末に控えて、その祭礼に奉納する「長獅子」と「三匹獅子」の練習にも熱がこもってきました。







梅雨の時期独特の湿った気候、夕方の蜩、楽内のホタル、真照寺下セリ場の旗や大元神社山内の提灯、そして、この三匹獅子や長獅子の太鼓や笛の音を聞こえると「夏が来るんだなあ~」と思います。







350年余は続いてきたんであろう、正に初夏の三春城下を彩る風物詩です。







三匹獅子掛では、年長者が後輩に教えるという新町では当たり前の光景ですが、他では中々見られなくなった光景です。






長獅子舞の練習風景です。







田村大元神社の祭礼には、別火講中の一番組と二番組が各年交替で、獅子掛と祭典掛に分かれて奉仕しています.

やはり、先輩が後輩に口伝にて教授しています。






自分の子供のような年代の者たちが主力となり、この伝統芸能である長獅子舞や三匹獅子舞を引率している光景は力強いものを感じます。

| ryuichi | 03:57 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春城下新町 |
 天翁山州傳寺歴住大和尚


 

天翁山州傳寺歴住大和尚

三春城下天翁山州傳寺は、寛永五年(1638)、松下長綱公が三春城主として二本松城より転封されて間もなく、父重綱公を開基として烏山天性寺第十一世勝岩長全大和尚を開山として建立されました。




山号・寺号

祖父 綱玄院殿天翁長参(柵)大居士
父  州傳寺殿永厳長譽大居士



當寺は、曹洞宗において「片法幢(各地)」として宗門の僧侶・雲水を養成する修行道場




歴住大和尚

開山 勝岩長全大和尚 
本寺烏山天性寺十一世 寛永十三年(一六三六)八月 九日示寂

二世 雲州元龍大和尚

三世 海岸道吞大和尚  
末寺船引満円寺を開山 承応元年(一六五二)十月九日示寂

四世 斧山龍大和尚
末寺船引照光寺を開山


五世 龍骨愚海大和尚 同 船引照光寺二世


六世 釼室雲利大和尚

七世 大祐元慶大和尚

八世 綴山寛補大和尚

九世 中興 一輪通禅大和尚
元禄十五年(一七〇二)寺院再建

十世 悦山易禅大和尚

十一世 享天始元大和尚

十二世 中興 寶厳興隆大和尚
元禄四年越後弥彦山の禰宜髙橋太郎右衛門光宣第三子 慈海(具海)
埼玉加須全久寺第六世
享保十九年(一七三四)五月十五日 再建 法燈をただす
明和五年(一七六八)十月二十六日示寂

十三世 天随口音大和尚


十四世 蜜岩単隆大和尚

十五世 無幻老卵大和尚
庄内大山祐性院より
明和九年=安永元年万徳丈六堂消失 天明の飢饉・三春城下大火 
後・大阪吹田大雄寺~周防洞泉寺~岩国善住寺開山~興聖寺~
文化二年(一八〇五)十一月二日 鶴岡破鏡庵示寂

十六世 佛印寛翁大和尚 福島市陽林寺十六世より晋山


十七世 洞雲全岩大和尚


十八世 東州智海大和尚

十九世 中興 虎云都繡大和尚
文化五年(一八〇八)九月二十六日再建
御朱印高弐拾石 寺領坪数三千余坪 
後年の火災により消失 現存遺構 正面石段 葷酒禁制碑柱 歴代住職墓地燈篭

二十世 高雲得(徳)宗大和尚
糸魚川金峰山大雲寺より文政八年(一八二五)六月晋山 
天保十一年(一八四〇)十月二十四日退山
再度、金峰山大雲寺へ帰山

二十一世 佛智大康大和尚


二十二世 大応玉仙大和尚

二十三世 梥屋慶音大和尚

二十四世 玉掌珍了大和尚


二十五世 桐宗恵文大和尚

二十六世 天外田龍大和尚


二十七世 悟山霊秀大和尚
(詳細別記)


二十八世 徳順吞海大和尚 明治二十年(一八八七)八月
二十二日示寂(詳細別記)

二十九世 中興 泰庀活麟大和尚
明治二十一年(一八八八)二月晋山
明治三十七年(一九〇四)十二月二十九日示寂(詳細後記)


三十世 徳充戒藴大和尚昭和九年(一九三四)十月九日示寂

三十一世 祖田瑞苗大和尚
昭和十七年(一九四二)二月二十八日示寂


三十二世 即如玄亀大和尚  稟命1等布教師
昭和二十八年(一九五三)四月十七日示寂(詳細後記)


三十三世 現住 木童正孝衲 稟命1等布教師
昭和二十八年(一九五三)五月十二日晋山
平成17年十一月二十九日・三十日厳修

三十四世 現住 


| ryuichi | 03:50 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春城下新町::天翁山州傳寺 |
 「曹洞宗大本山總持寺 輪番住職と三春城下」 
塵壺391号 「曹洞宗諸嶽山總持寺 輪番住職と三春城下」 令和6年2月発行
 

曹洞宗諸嶽山總持寺 輪番住職と三春城下

「令和6年能登半島地震」により被災された皆様のご無事と被災地の一日も早い復旧をお祈り申し上げます。

この地震の影響で、輪島市門前町にある曹洞宗の諸嶽山總持寺祖院でも、国の登録有形文化財に指定された建物が全壊するなど大きな被害を受けました。







總持寺祖院は、かつての曹洞宗の大本山「總持寺」で、明治31年に発生した火災の災禍により七堂伽藍の大部分を焼失。

これを機に、本山として神奈川県横浜市鶴見へ移転する際に、移転先が「大本山總持寺」となり、能登の「總持寺」は「總持寺祖院」と改称され別院扱いとなっています。


元亨元年(1321年)、本年700回大遠忌を迎える開山太祖、瑩山紹瑾禅師によって開創され翌年には禅師に帰依された後醍醐天皇は綸旨を下され、勅願所として「曹洞賜紫出世第一の道場」と定められました。


瑩山禅師の跡を次いだ総持寺第2世・峨山韶碩(がざんじょうせき)禅師(1275〜1366)の門下には、五哲とも二十五哲とも言われる有能な弟子が参禅し、彼らが曹洞禅を全国的に広めたことによって更に門下が増えていきました。






そこで、曹洞宗開祖道元禅師の教えの「相承」と優秀な僧を育むために、峨山禅師の死後の「輪番住職制」で運営されるようになります。

もう一方の大本山永平寺は独住制です。

この輪番住職とは、全国末寺の「五院輪番地」(江戸中期記載17,361寺)から1〜3年おきに輪番住職として總持寺の住職を「五院(塔頭庵主も輪番)」と呼ばれる5つの塔頭寺院(普蔵院107ヶ寺、妙高庵86ヶ寺、洞川庵51ヶ寺、伝法庵49ヶ寺、如意庵58ヶ寺)から各塔頭から1名、計5名が選ばれて75日交代で住職を勤めました。


元和元年、徳川幕府より法度が出されて永平寺と並んで大本山となります。明治維新後の諸嶽奕堂(もろたけ えきどう)大和尚以降は輪住を取りやめ独住制となりますが、貞治3年から明治3年まで約500年間、実に5万人近い僧侶が本山住職を勤めました。

輪番住職の交替期(10月2日)には、上番下番の僧呂や寺院関係者1,000人以上も集まり、短期に住職が変わることで、全国の輪住地寺院から衆僧の往来が絶えず、總持寺と門前町は大変な活況を呈したと言われます。






三春城下からは普蔵院輪番地として清水にある曹洞宗録所萬年山天澤寺。そして、三春藩主に秋田氏が入城以降の「僧録(国僧録)」論争とは別に、藩主菩提寺の曹洞宗録所秋田山龍穏院も宍戸以来、總持寺直末三十六門、洞川庵輪番地となっています。


「能州大本山總持寺輪住心得并一回中手控」安政4年(天澤寺蔵)によれば、天澤寺の属する普蔵院末寺の場合は約50年毎、龍穏院は本山末寺三十六門及び洞川庵末寺数により、数年毎に輪番住職に赴任していました。







その際に赴く和尚は、供回りとして伴僧3名、従者1名を含めた滞在・往来費用は、年代にもよりますが180両は必要との記録が残り在勤中の諸経費はすべて自前だったといいますから事前の貯蓄が必要で天澤寺の記録には10年前から蓄えたと記されています。

また、その蓄えにしても末寺数の多さや藩主や大商人など強大な庇護のある有力寺院の僧侶しか本山の住職は務めることができなかったと思われます。


当家の菩提寺である天澤寺歴代住職の位牌堂を見ますと、御位牌には、「前總持 當寺廿一世 悅巖快禅大和尚禅師」または「前永平兼總寧 當寺 随意會中 霊海崐山大和尚禅師」と記されたお位牌を目にすることができます。







この「前總持」とは、悅巖快禅大和尚が總持寺の輪番前住、又は当住が總持寺に赴いた場合の資格を示し、そして、「前永平兼總寧」は、霊海崩山大和尚が永平寺に赴いた際の資格ないし待遇を示したものだと考えられます。

「随意會中」とは、江戸時代に用いられていた曹洞宗寺院の格式(寺格)「三法幢地(常恒会地、片法幢地、随意会地)」の一つで、3年ごとに1回、参加者七十人以上にて結制安吾を執行する資格を持つ寺格を現していると考えられ「今の世にいふ認可僧堂と同義である」と『總持寺史』では解説しています。



       蒼龍謹白  がんばれ能登! 拝 




三春城下清水 曹洞宗 萬年山天澤寺 歴代住職一覧

開 山 榮峯覺秀大和尚 享徳二年九月二十五日
二 世 以心良傳大和尚 長禄二年一月十九日
三 世 越叟祖超大和尚 明応五年一月二十三日
四 世 満室慶湛大和尚 文明十六年七月二十四日
五 世 聖庵慶富大和尚 永正十四年二月十四日
六 世 心叟道存大和尚 広度寺 宗源寺 天文二十年三月二十九日
七 世 天庵瑞長大和尚 観照寺 弘治三年九月十八日
八 世 音室髙威大和尚 東禅寺 常円寺 松岳寺(桂蔵寺) 永禄七年十二月八日
九 世 龍山怒悦大和尚 天正五年八月二十七日
十 世 天山文漢大和尚 長源寺 慶長七年十月二十日
十一世 峰室太雄大和尚 吉祥寺 真福寺 長泉寺 広沢寺 寛永十一年六月八日
十二世 秀巖文譽大和尚 長盛寺 寛永十三年七月十九日
十三世 耕外大作大和尚 龍光寺 万治元年二月一日
十四世 一安徐麟大和尚 全応寺(天真寺)大本山總持寺輪番住職 元禄十五年一月20日
十五世 髙室麟道大和尚 大本山總持寺輪番住職 正徳四年
十六世 揚山玄播大和尚 享保二年四月八日
十七世 實元祖璨大和尚 寛保元年五月十一日 ※法名祖璨實元の記載有(町史9)
十八世 雲洞眞龍大和尚 寛保元年八月二十八日
十九世 天陰黙丕大和尚 宝暦二年九月十一日
廿 世 霊海崩山大和尚 ※霊海崐山の記載有(町史9)宝暦十三年五月二十三日 
廿一世 悦岩海信大和尚 悅岩快禅大和尚(位牌) 
儀岩行信和尚(四家氏家系図)宝暦九年四月八日
廿ニ世 即山重觀大和尚 大本山總持寺輪番住職 明和五年三月二十二日
廿三世 享寛戰貞大和尚 天明五年三月二十二日
廿四世 大空洞牛大和尚 ※法名洞牛大空の記載有(町史9)安永六年三月三日
廿五世 石庵正頭大和尚 天明八年二月十七日
廿六世 瑞巖道光大和尚 享和二年二月二十三日
廿七世 悟山寛了大和尚
廿八世 維石俊巖大和尚 大本山總持寺輪番住職
廿九世 便成正覚大和尚
三十世 快運道寧大和尚
丗一世 祖翁達三大和尚
丗二世 洞巖良宗大和尚
丗三世 佛母信元大和尚
丗四世 天狗米三山大和尚
丗五世 洞山道白大和尚
丗六世 耕眞禾山大和尚
丗七世 孝道戒順大和尚
丗八世 満海龍眉大和尚 大本山總持寺輪番住職
丗九世 全嶺恵玉大和尚 ※金領恵玉の記載有(町史9)
四十世 興山豊隆大和尚 ※興山實隆の記載有(町史9)
四一世 英法瑞雄大和尚 
四二世 東旭天秀大和尚
四三世 玉圓道秀大和尚
四四世 忍嶽賢秀大和尚
四五世 禪戒達堂大和尚



秋田山龍穏院 歴代住職 洞川庵輪番住職誌 總持寺住山記

開山 月泉良印大和尚応永七年二月二十四日夜
第二世 無等良雄大和尚 応永三十五年十月十日寂
第三世 龍谷良清大和尚 永亨十二年七月十三日寂
第四世 圓鑑良昭大和尚 康正元年五月十二日寂
第五世 機外良玄大和尚 文明五年三月十九日寂
第六世 鑑能吞昭大和尚 永正三年正月十八日寂
第七世 雲峰良集大和尚 永正十七年十月二十七日家
第八世 察心守鑑大和尚 天文十五年二日五日寂
第九世 草庵守瑞大和尚 永禄九年二月二十五日寂
第十世 光室源瑞大和尚 天正十七年七月八日寂
第十一世 天室宗龍大和尚 慶長十一年九月五日寂
第十二世 舜庵大堯大和尚 元和六年八月四日寂
第十三世 宏菴源奕大和尚 元和六年四月二十九日寂
第十四世 關室雲察大和尚 寛永十五年十二月十六日寂
第十五世 正眼雲祝大和尚 大本山総持寺輪番住職 寛文七年二月十二日寂
第十六世 本祝松秀大和尚
第十七世 月宮慧閑大和尚  大本山総持寺輪番住職
   (宍戸より三春へ) 元禄六年十月二十三日寂

第十八世 鑑室良亀大和尚 貞享五年三月二十三日寂
第十九世 麟元雲祥大和尚  大本山総持寺輪番住職 正徳四年正月二十五日寂
第二十世 高山本立大和尚  大本山総持寺輪番住職 享保十七年四月十九日寂
第二十一世 大重本孝大和尚 寛延元年十月二十七日寂
第二十二世 海翁祖印大和尚 不詳
第二十三世 泰山活玄大和尚 大本山総持寺輪番住職 寛延四年正月二十日寂
 月泉派 再公文龍穏院  
 一萬九千二百六十八世活玄和  元文二丁巳年八月十二日
 受業師梅峰和尚 奥州之住僧也 嗣法師良悟和尚
  
第二十四世 亮廓普宗大和尚 大本山総持寺輪番住職 明和六年十月十九日寂
 月泉派再公文 
  弐萬参千九百壱拾九世亮廓和尚 宝暦八戊寅年八月七日
 受業師梅峰和尚 奥州之住僧也 嗣法師鐵崖和尚

第二十五世 萬巖普白大和尚 天明六年十一月二十四日寂
第二十六世 萬元一如大和尚 大本山総持寺輪番住職 寛政元年六月十九日寂
 月泉派再公文 弐萬八千九百世 萬元和尚 
 受業師梅峰和尚 奥州之住僧也 嗣法師亮廓和尚

第二十七世 九苞丹山大和尚 文化九年十一月十八日寂
第二十八世 本然量義大和尚 大本山総持寺輪番住職 天保九年七月二十五日寂
第二十九世 祥鳳忍瑞大和海 天保泗年十月十五日寂
第三十世   佛國泰然大和尚 大本山総持寺輪番住職 嘉永六年五月二十一日寂
 無端派海蔵寺 四萬七百三十九世 泰然和尚 天保十四年三月十六日
 授業師徳運和尚 嗣法師同 

第三十一世 耕真禾山大和尚 安政五年人月二十一日寂
第三十二世 至仙卍定大和尚 明治九年入月十六日寂
第三十三世 微岩一筋大和尚 明治三十六年正月二十二日寂
第三十四世 大英大和尚 不 群
第三十五世 大機謙道大和尚 昭和四年三月二十一日寂
第三十六世 大心弘道大和尚 昭和三年八月二十六日寂





三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 04:07 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春城下新町::萬年山天澤寺 |
パフォーマー”不思議の国のアリス”さんにご来店いただきました。




三春大神宮祭礼奉納 新町睦会「新町大宴会」のメイン


パフォーマー”不思議の国のアリス”さんにご来店いただきました。







4年ぶりの開催と、アリスさんも4年ぶりの再出演で子供たちも大喜びです!



三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:59 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春城下新町 |
2023「セリ場」の横をつたう湧き水に居住する沢蟹君の子供たちにご来店いただきました。



今年も、旧三春家畜市場、通称「セリ場」の横をつたう湧き水に居住する沢蟹君にご来店いただきました。


毎年、決まって同じこの時期のご来店です。


道に迷っているんでしょう、元の澤に返してやりました。






安全な場所に逃がしてきましたが、眞照寺の池を中心に鷺(さぎ)が飛来したり、最近強面の野良猫が姿を見せ始めたりと沢蟹くんもひやひやもんでしょう・・・


”沢カニ?” 昔からせり市場横、真照寺側にある大石の隙間から清水が沸いており、沢蟹や蛍、トンボのヤゴなどを見かけます。





また、最近は見ていませんが「ウシガエル」もお出ましになることがあります。

お寺の池で春から秋にかけて生活して子供を産んで、冬眠は道路を挟んだ弓町の山で生活しているんでしょうか?

生態が不明です・・・


何はともあれ、次世代迄残したい小さな風景です。


三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍




| ryuichi | 04:45 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春城下新町 |