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貝山館跡


貝山館跡

旧中郷村大字貝山字山崎に在り。

回字形の濠跡が今でも確認できます。


貝山藤兵衛が居住





三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:31 | comments (x) | trackback (x) | 田村四十八舘1 |
栗出舘 田村四十八舘 七郷村



栗出舘 田村四十八舘 七郷村



七郷村大字栗出にありました。


三春城主田村氏の臣、門澤左馬之介の居舘と伝わっています。



田村家の家臣達は、田村庄及び小野保(現在の小野町)に、後に云う田村四十八舘を築き、それぞれ本拠として防備の為に領していたが、三春城下にも屋敷を与えられ、三春城の一郭を成し非常時に備えていました。


月斎以下重臣屋敷が城近くに配置され三春城の防御の要を成し、常に田村家に近侍する直属の旗本不断衆千騎の屋敷も城近くに集中していました。

三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:26 | comments (x) | trackback (x) | 田村四十八舘1 |
田村四十八舘 田子森舘  荒和田




田村四十八舘 田子森舘  荒和田


要田村 荒和田に田子森館あり、応永年中、田村持顕築き、持顕より その子 直顕、弟 重顕、その子広顕と続き、以来子孫が相次ぎ領していました。


しかし、天正十八年、田村家の没落の折には、田村姓を橋本に代えて当代当主の時顕は帰農しに野に下り、荒和田村の里正となります。


後に、房に至り、文政六年、秋田氏に仕え 子孫 三春に居る。

尚、その裔の荒和田に居る者は、荒和田を氏とすと云う。





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八幡舘  神俣 田村四十八舘




八幡舘  神俣 田村四十八舘

永禄年間より、神俣太郎左衛門以来、その子孫が世々居住

三春城主田村氏の没落後に帰農してその子孫今でも神俣を称として住居し繫栄しています。

滝根町大字神俣の西部にありました。

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鳴神城(大越城)  上大越 田村四十八舘




大越城( 鳴神城) 上大越 田村四十八舘

三春田村氏重臣で田村四天王の一人と称された大越城主大越紀伊守の居城。


大越紀伊守信貫 一万石(安積六百石、二千大越、三百五十石牧野) 紀伊守没後息の田村宮内領す 本丸、北ノ丸、西ノ丸、東ノ丸、西北丸


大越紀伊守は現在地に城を築き、大越地内に数多くの館を置きそこに家臣を配置していた。

「大越城」と呼ばれていたが、築城の折に下大越白井倉より鳴神明神を遷して城中に祭ったので「鳴神城」とも称された。


小野城主田村梅雪斎の息で、田村家中のお家騒動の折に相馬方として伊達方の田村月斎、橋本刑部らと反目します。


後に、岩城地方の大館城(飯野平城)主岩城常隆に通じ反攻の機会をが策しますが及ばず、鳴神城を退去しました。

以後詳細不明

田村市大越町大字上大越字町の西方、霊泉山脈中にありました。



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下枝脇舘  御舘村下枝 田村四十八舘




下枝脇舘  御舘村下枝 田村四十八舘



三春城主田村氏の重臣、横田盛尊・平内左衛門の居舘

現郡山市中田町下枝にありました。


横田盛尊は、会津城主芦名盛實の出で、盛實の二男綱實で、安積郡横田城に在って横田氏を名乗ります。

其の五世の孫にあたる盛兼の代になって、須賀川城主二階堂遠江守によって横田城は陥落、平姓田村満顕に属します。

以来、代々田村氏に仕え金屋平舘に居住します。

盛兼の孫、盛尊になって下枝脇舘に移居し、後の綱晴の代、天正十八年に三春田村氏の没落により帰農し、柳橋村字篠坂(現中田町柳橋字篠坂)居住します。

以来、その子孫が継承して十四代(明治期)当代の朝右衛門まで横田氏伝来の寶を伝承していまと伝わっています。

三春田村氏没落後に廃城となります。



田村家の家臣達は、田村庄及び小野保(現在の小野町)に、後に云う田村四十八舘を築き、それぞれ本拠として防備の為に領していたが、三春城下にも屋敷を与えられ、三春城の一郭を成し非常時に備えていました。月斎以下重臣屋敷が城近くに配置され三春城の防御の要を成し、常に田村家に近侍する直属の旗本不断衆千騎の屋敷も城近くに集中していました。

三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍




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小野新町城  小野新町 田村四十八舘




小野新町城  小野新町 田村四十八舘

三春城主田村氏の重鎮で田村清顕の一門、田村顕通の居城

田村領の南部の地勢要害の小野新町大字小野新町にありました。

 平姓を名乗る三春田村一族が、郡山市田村(日和田)から三春へ城を築きその拠点を移したのは、永正年間(1504)の義顕の頃、岩城地方の大館城(飯野平城)主岩城常隆も、勢力を伸ばし、小野左右衛門の築いた小野城を攻めて支配下に置いたとされる。

岩城常隆は、三春田村氏との融和の為に娘を、田村義顕と結婚させ、娘婿となった義顕に小野の保を譲った。


三春田村氏初代となる義顕は、次子の顕基=顕定(梅雪斎)を小野城の小野左右衛門の嗣子として小野城に入城させます。

以後、戦国時代の混乱の中で梅雪斎と、その子右馬頭らは田村領南の要衝小野城を守り、この地域を治めます。


三春田村氏は義顕から隆顕、そして清顕と代を重ねていきますが、天正14年(1586)、清顕が急に死去すると、跡取りの居ない田村の家臣団は後継をめぐって分裂します。

田村月斎や橋本刑部等の清顕夫人の生家伊達氏を頼る派閥、梅雪斎やその子である大越城主田村右馬頭などの清顕の母の生家相馬氏を頼る派閥に真っ向から対立します。

天正17年(1589)、その混乱に乗じた岩城勢(清顕の祖母生家)の侵攻によって小野城は落城したといわれる。


尚、谷津作に残る、湯ノ原古戦場は岩城氏の小野城攻略の折に小野田村勢がこの場所にて数日岩城勢の大軍を食い止めた戦いの跡と伝っています。





  小野与力衆

田村兵部人政顕

郡司豊前守敏良  飯豊鴨カ舘の舘主 愛姫侍従おさきの父 
天正17年7月3日下枝城攻の帰路討死

郡司雅楽頭敏貞 郡司豊前守の嫡子 天正17年7月3日下枝城攻めの帰路討死

猪狩中務人親満

野内伊予守正兼

  城下衆
高山蔵人助清実

会田遠江守重信 小塩舘主 天正11年赤沼無量寺の仏像を修理し中興開基といわれる

吉田越後守信綱

吉田将監 包貴

今泉山城守行隆 天正17年5月19日門沢の戦いに活躍、飯豊源松山洞円寺の開基

熊谷下野守直光

神又久四郎房親 鹿股(神俣)城主

大越紀伊守信貫 大越城主

阿生田舘主 大竹築後守秀延 

大倉舘主  先崎主水介徳近  塩釜神社の御幣を運んだとされる。

  城代衆(三十六騎衆)

春山隼人佐忠顕

西牧館主 西牧帯刀 貞苗 山神 小野城代衆(三十六騎衆)

大江左衛門尉輝氏

阿部筑前守忠英

逸見刑部人清高

田母神十郎正堯

草野加賀守直常 塩庭 草野舘主

村上掃部頭義高

村上河内守忠総(信)

二瓶主膳 豊房  槻木内舘主

吉田躑躅 直寛

吉田石見守信弘

吉田宮内少輔赴(元)久

中条越前守光国

国分左京太夫信通

根本若狭守泰重

富沢丹波守匡次

中野道満(入道)景安 皮篭石舘主

宗方左近 康久

宗方内蔵介定英

荻野杢之介泰時

大塚尾張守経玄

鈴木左衛門忠暁

鈴木外記 清則

塩田監物 屋政

草野大学 清光

宗方丹波守時広

吉田入道 直寛

佐藤五郎 常成

郡司内膳 道綱  塩釜神社の御幣を運んだとされる。

郡司玄蕃 屋満

郡司大膳 頼行

先崎周防守常可

宗方弾正 家継

村上源一郎義房

吉田和泉守光広





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