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下枝脇舘  御舘村下枝 田村四十八舘




下枝脇舘  御舘村下枝 田村四十八舘



三春城主田村氏の重臣、横田盛尊・平内左衛門の居舘

現郡山市中田町下枝にありました。


横田盛尊は、会津城主芦名盛實の出で、盛實の二男綱實で、安積郡横田城に在って横田氏を名乗ります。

其の五世の孫にあたる盛兼の代になって、須賀川城主二階堂遠江守によって横田城は陥落、平姓田村満顕に属します。

以来、代々田村氏に仕え金屋平舘に居住します。

盛兼の孫、盛尊になって下枝脇舘に移居し、後の綱晴の代、天正十八年に三春田村氏の没落により帰農し、柳橋村字篠坂(現中田町柳橋字篠坂)居住します。

以来、その子孫が継承して十四代(明治期)当代の朝右衛門まで横田氏伝来の寶を伝承していまと伝わっています。

三春田村氏没落後に廃城となります。



田村家の家臣達は、田村庄及び小野保(現在の小野町)に、後に云う田村四十八舘を築き、それぞれ本拠として防備の為に領していたが、三春城下にも屋敷を与えられ、三春城の一郭を成し非常時に備えていました。月斎以下重臣屋敷が城近くに配置され三春城の防御の要を成し、常に田村家に近侍する直属の旗本不断衆千騎の屋敷も城近くに集中していました。

三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍




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小野新町城  小野新町 田村四十八舘




小野新町城  小野新町 田村四十八舘

三春城主田村氏の重鎮で田村清顕の一門、田村顕通の居城

田村領の南部の地勢要害の小野新町大字小野新町にありました。

 平姓を名乗る三春田村一族が、郡山市田村(日和田)から三春へ城を築きその拠点を移したのは、永正年間(1504)の義顕の頃、岩城地方の大館城(飯野平城)主岩城常隆も、勢力を伸ばし、小野左右衛門の築いた小野城を攻めて支配下に置いたとされる。

岩城常隆は、三春田村氏との融和の為に娘を、田村義顕と結婚させ、娘婿となった義顕に小野の保を譲った。


三春田村氏初代となる義顕は、次子の顕基=顕定(梅雪斎)を小野城の小野左右衛門の嗣子として小野城に入城させます。

以後、戦国時代の混乱の中で梅雪斎と、その子右馬頭らは田村領南の要衝小野城を守り、この地域を治めます。


三春田村氏は義顕から隆顕、そして清顕と代を重ねていきますが、天正14年(1586)、清顕が急に死去すると、跡取りの居ない田村の家臣団は後継をめぐって分裂します。

田村月斎や橋本刑部等の清顕夫人の生家伊達氏を頼る派閥、梅雪斎やその子である大越城主田村右馬頭などの清顕の母の生家相馬氏を頼る派閥に真っ向から対立します。

天正17年(1589)、その混乱に乗じた岩城勢(清顕の祖母生家)の侵攻によって小野城は落城したといわれる。


尚、谷津作に残る、湯ノ原古戦場は岩城氏の小野城攻略の折に小野田村勢がこの場所にて数日岩城勢の大軍を食い止めた戦いの跡と伝っています。





  小野与力衆

田村兵部人政顕

郡司豊前守敏良  飯豊鴨カ舘の舘主 愛姫侍従おさきの父 
天正17年7月3日下枝城攻の帰路討死

郡司雅楽頭敏貞 郡司豊前守の嫡子 天正17年7月3日下枝城攻めの帰路討死

猪狩中務人親満

野内伊予守正兼

  城下衆
高山蔵人助清実

会田遠江守重信 小塩舘主 天正11年赤沼無量寺の仏像を修理し中興開基といわれる

吉田越後守信綱

吉田将監 包貴

今泉山城守行隆 天正17年5月19日門沢の戦いに活躍、飯豊源松山洞円寺の開基

熊谷下野守直光

神又久四郎房親 鹿股(神俣)城主

大越紀伊守信貫 大越城主

阿生田舘主 大竹築後守秀延 

大倉舘主  先崎主水介徳近  塩釜神社の御幣を運んだとされる。

  城代衆(三十六騎衆)

春山隼人佐忠顕

西牧館主 西牧帯刀 貞苗 山神 小野城代衆(三十六騎衆)

大江左衛門尉輝氏

阿部筑前守忠英

逸見刑部人清高

田母神十郎正堯

草野加賀守直常 塩庭 草野舘主

村上掃部頭義高

村上河内守忠総(信)

二瓶主膳 豊房  槻木内舘主

吉田躑躅 直寛

吉田石見守信弘

吉田宮内少輔赴(元)久

中条越前守光国

国分左京太夫信通

根本若狭守泰重

富沢丹波守匡次

中野道満(入道)景安 皮篭石舘主

宗方左近 康久

宗方内蔵介定英

荻野杢之介泰時

大塚尾張守経玄

鈴木左衛門忠暁

鈴木外記 清則

塩田監物 屋政

草野大学 清光

宗方丹波守時広

吉田入道 直寛

佐藤五郎 常成

郡司内膳 道綱  塩釜神社の御幣を運んだとされる。

郡司玄蕃 屋満

郡司大膳 頼行

先崎周防守常可

宗方弾正 家継

村上源一郎義房

吉田和泉守光広





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皮籠石舘  小野新町 田村四十八舘




皮籠石舘  小野新町 田村四十八舘

高屋敷と称され、天正年間より三春城主田村氏の臣、小野城代衆(三十六騎衆)の中野道満(入道)景安の居舘 ※中道との記載もあり

小野新町大字皮籠石にありました。

三春田村氏没落後に帰農し、代々その舘跡付近に現在も居住しています。

その邸内に老桜と鞍掛石と称する石が残っています。


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村上館 太田村  田村四十八舘 
太田 村上館  田村四十八舘 


旧逢隈村(現郡山市西田町)大字太田に在りました。


村上刑部之介の居舘と伝わっています。





三春昭進堂菓匠蒼龍 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

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鹿島舘 旧高野村大字土棚




鹿島舘 旧高野村土棚 田村四十八舘

旧高野村大字土棚にあり、田村氏の重臣橋本明則が天文元年より居住しています。

明則の子、定明に至るまで新田黒鹿毛舘と相連絡して田村氏の藩屏でした。


鹿島舘の舘上に「鹿島宮(現鹿島神社)」を勧請したことから鹿島舘と呼ばれています。

尚、舘跡より古瓦器の類が多数掘り出されています。

明治期に開墾の折には、埋葬されたような壺の中から、古代の石剣が発見されています




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常葉 朝日城跡  田村四十八館



 常葉 朝日城跡  田村四十八館

常葉町大字常葉の東北に築城されていました。

天正年間戦国期の常葉城主には三春城主平姓田村氏の親族である播磨赤松円心の孫·赤松越前守顕則から後に常葉氏に改名した5代常葉甲斐守貞久まで居城して常葉地方を治めていた


後に常葉甲斐守定貞之が居住して三春田村氏に属しますが、東の相馬義胤の攻略を受け討滅してしまいます。

時代は下って、常葉氏は会津蒲生氏郷に仕へ会津に居住しその子孫は会津に在りましたが、現在は北海道に移住したと伝わっています。




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時田舘  上大越 田村四十八舘




時田舘  上大越 田村四十八舘

三春田村氏四天王の一人大越城主大越紀伊守の臣、時田次郎の居舘

田村市大越町大字上大越字町の東方にありました。


大越城 本城

大越紀伊守信貫 一万石(安積六百石、二千大越、三百五十石牧野) 紀伊守没後息の田村宮内領す 本丸、北ノ丸、西ノ丸、東ノ丸、西北丸


大越紀伊守は現在地に城を築き、大越地内に数多くの館を置きそこに家臣を配置していた。

「大越城」と呼ばれていたが築城の折、下大越白井倉より鳴神明神を遷して城中に祭ったので「鳴神城」とも称された。

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