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三春町公民館より、昭和37年から毎年発行された写真集「三春の文化財」です。




三春町公民館より、昭和37年から毎年発行された写真集「三春の文化財」です。


全20巻の三春の文化財を納めた写真集で、写真を元教育長を務めた本陣本店元社長の故川又恒一氏が担当です。


大城下大町、鳥文の吉田清三さんより「参考にして~」とお預かりしました。






茅葺屋根の龍穏院や形の定まる前の三春駒・・・

今では見れない画像の宝庫です。






文章も大変参考になります。



あいさつとして、当時三春町教育長だった武藤義男氏の文章が記載されています。



「三春の文化財写真集」が、二十年の歳月をかけて、その集大成をみることになりました。

見かけはささやかですが、発刊をつづけていくなかで、三春町の文化財の発見や再評価、さらには全国への紹介など、この写真集の果たしてきた役割ははかり知れません。

このような価値高い写真集二十巻が出来ましたのは、一にかかって企画、編集に参画された同好の方々、とりわけ撮影に精魂を傾けてくださった川又恒一さんのご労苦に負っております。

これらの方々に心から感謝申し上げます。

この写真集は、第二十集をもって完結いたしました。どうか、座右におかれて長くおたのしみいただきたいと存じます。

なお、町には、これに収め切れず割愛した文化財がまだまだ埋もれております。

いずれ機を得て続編を計画したいと思います。





そして、撮影者でありこの写真集発行の中心的な役割を果たした川又さんのあとがきが記載されていますのでご紹介します。



「レンズを通して二十年 文化財写真集に想う」


斎藤地内安養寺の如意輪さん、何という豊かな仏さんであろう。日本女性の優しさと厳しさ、凛としたものを内に秘めたこの仏を、最終のページに収録し得たことは、いま七十歳を迎えた身が浄化される思いです。

ふりかえれば、終戦の後、三春の昔の面影が消えてゆくのを惜しみ、レンズを向けてから三十年余、「三春の文化財」として出版し続けてユ十一年間、それは卒直にいって生易しいことではなく、時に挫折しそうになったこともありました。

しかし、心あるまわりの方がたの励ましと支えを頼りに、撮影からネガの処理、引き伸しから割付と解説まで、助言をいただきながらもひとりで通し得て、いま古稀を迎えた年に最後の第二十集の完結をみることができました。

二十一年前の出版の始めにあたり、当時の町議会議員故橋本久右工門氏・公民館長渡辺利雄氏のご協力は格別のものがありました。

その他、お力添えをいただいた多くの方がた、いまは亡くなられた方がたを含め厚くお礼を申し上げます。

この写真集を三春を愛する心と同じようにいとおしみ、研究の土台にしていただければ幸いです。

写真撮影者

川文恒 一




正に先人達の三春の文化を守るという気概と努力には敬意を表し町の自慢だともいます。





三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍

| ryuichi | 03:15 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春城下歳時・風土記 |
三春盆踊り 思い出のアルバム 2023




三春盆踊り 思い出のアルバム 2023


みはる観光協会主催「三春盆踊り」のイベントの一つ、「思い出のアルバム」での一コマです。


中町若連さんと一緒にぱちり!







踊りや太鼓の参加していただいた方々に無料で撮影、配布しています。


参加された方々に喜ばれるイベントです。



皆様も是非ご参加ください!



仮装はもちろんコスプレでの参加も大歓迎です♪




三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍




| ryuichi | 04:02 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春城下歳時・風土記::三春盆踊り・だるま市 |
令和5年度 三春盆踊り 8月15日(火)、16日(水)に通常開催です。




令和5年度 三春盆踊り 8月15日(火)、16日(水)に通常開催です。






かつては、月明りと提灯で踊った三春盆踊り。


旧盆の盆踊りは、満月の月明かりのもとで踊りました。

月明かりは踊るには十分明るく、しかもムードのあるやわらかい光はロマンチックな「演出効果」をもっていたのです。







「伝統三春盆踊り」は、8月15~16日の2日間、城下大町の四つ角交差点に面して櫓を立てて、盛大に行われます。






16日が盆明けということから、賑やかに踊り歌って先祖を送り出すという意味もあったようです。

月の満ち欠けを基本にした旧暦(太陽太陰暦)では、盆踊りの行われる7月15日(現8月15日)の夜は十五夜で、翌16日は「十六夜(いざよい)」ということになります。

いずれかの夜は月が満ちて満月となり、照明のない時代でも月あかりがその場を照らしてくれたことでしょう。







もともと盆踊りは、お盆に帰って来たご先祖様の霊を慰める霊鎮め(たましずめ)と言われる行事でした。


仄かな明かりを頼りに踊る中で、幻想的な雰囲気が作り出され、盆踊り会場内にいる方々に、亡くなった方々を重ね合わせ、あたかも御霊と一緒に踊っているようだったと伝わっています。

月明りと電球提灯、そして、それらを邪魔しないようにと、世界的な照明デザイナー石井 幹子(いしいもとこ)さんのデザインによる街路灯には、女性をよりいっそう美しくみせる仕掛が画されていて、華やかさを醸し出し、趣ある雰囲気と相まって三春盆踊りの楽しさを演出してくれています。








盆踊りの空間はあの世とこの世の境界であり、踊りの所作には霊と自分自身の親しみを表す所作が必ず含まれているとされています。







三春盆踊りの振り付けは、空を指す手の動きは“あの世”を表し、地面を指す手の動きは“この世”を表しているとされ、最後の手拍子は、お盆にこの世に戻ってきた先祖の精霊や有縁無縁の諸霊を供養敬う気持ちをもって「年に一度のお盆を一緒に楽しみましょう」「また来年も来てくださいね」との思いを表しているとされています。






 盆踊りは、念仏踊りがルーツのようで、もともとは、地獄の責め苦から一時のがれて帰郷した喜びに亡者たちが踊り明かして喜んだという、霊を供養し、ご先祖様に感謝する意味が込められています。







また、もともと伝統ある盆踊りの多くは、戦国時代に戦死者の霊を祀る念仏踊りが始まりとされています。時代が下がり、社会が安定するにつれて風流踊りの影響を受けて、地域の楽しいイベントになったのは江戸時代中期以降とされ、時代とともに華やかさが増していったとされています。







仄かな明かりを頼りに踊る中で、厳かで幻想的な雰囲気が作り出され、踊りの輪の中に、ご先祖の方々を重ね合わせ、御霊と一緒に踊っているようだったんでしょうね







春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:15 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春城下歳時・風土記::三春盆踊り・だるま市 |
滝桜の雪化粧 2023.2.10





滝桜の雪化粧 2023



先の大雪で滝桜も雪化粧です。






三寒四温・・・春を待つ滝桜


大地のパワーを充填中です。






三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍

| ryuichi | 03:49 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春城下歳時・風土記 |
「身代わり地蔵尊祭礼」 三春城下清水 天沢寺



三春城下清水にある萬年山天澤寺山内にある、安寿と厨子王伝説の残る「身代り地蔵尊」堂です。

地蔵盆の昨日、「身代わり地蔵尊祭礼」が開催され、法要と大数珠繰り、そして、ご詠歌がありました。


地蔵尊祭典では、大数珠繰りが行われます。
参集した方々が大数珠を手繰ります。

大きな房が自分の前に来るまでの間は、お地蔵様の御真言「オン・カカカビ・サンマエイ・ソワカ」を一心にお唱え致します。

古来より地蔵盆の大数珠を体に当てると、邪気を払い除け、身を清めてくれると言い伝えられています。





天澤寺山内 「身代わり地蔵尊」

安寿と厨子王の祖母が、三春城下に居たと伝えられて、その子孫がこのお堂を建立して身代わり地蔵尊を安置しました。
 
物語は、平将門の子孫で、相馬藩相馬氏と縁のある岩城判官平政氏は、康保4年に賊将が朝廷に背いたときに、それを討伐した恩賞として奥州の津軽郡、岩城郡、信夫郡を賜って岩城に国守として着任してきました。
 
政氏には2人の子があり、姉は家臣・村岡重額の妻となり、弟の政道は父の後を継ぎました。




この政道が、安寿と厨子王の父親です。

しかし、家臣である村岡の陰謀によって父正道が無実の罪を着せられ西国に流罪となります。

安寿と厨子王、母、乳母の4人は、朝廷に無実を訴えようと京へ向かいますが、越後の直江津にたどり着いた一行は、人買いにだまされ、安寿と厨子王が丹後に、母と乳母は佐渡に売られてしまいます。

 丹後の由良で"山椒太夫"に買い取られた2人は、つらい労働を強いられます。

安寿は、弟の厨子王を密かに逃がしますが、ひどい拷問の末に命を落とします。

一方、厨子王は姉から渡された地蔵菩薩の霊験により身を守られ、無事京都にたどり着きます。




後に、父の無実が晴らされ国守に再任された厨子王は、長い苦難の末、母と再会するというお話ですが、お話の中に2人の災難を身代わりとなって救うお地蔵さまが出てきます。

それは、安寿と厨子王が山椒太夫の屋敷で仕置きを受け、やけどを負ったときのこと。母から預かった家宝の地蔵尊像に祈りを捧げると、不思議や痛みや傷は消えたそうですが、その代りこのお地蔵さまにやけどの傷があったと伝えられています。




 
この話に出てくる地蔵尊像が、天澤寺境内「身代わり地蔵尊」です。

 かつては1月24日の初地蔵と8月24日の地蔵盆には、多くの参拝者でにぎわい、地蔵和讃や御念仏を唱えてお地蔵さまに感謝し、家族の安全を祈願していました。



 
また、戦前には出征兵士の武運長久を願う家族の参拝が絶えなかったといいます。

 今でも参拝する方々やご家族のその身に降りかかる病気や怪我などの災難を身代わりとなって負っていただけるという有り難いお地蔵さまです。

親が子供の代わりに善根を積むことによってを積めず亡くなり、地獄 へ堕ちても、お地蔵 様はやはり身代わり となって地獄 の苦を引き受けてくださるのです。

亡くした我が子のためを思うならば、他の子供たちのためになって善根 (ゼンコン…善い結果をもたらす善い種)を積むことと説かれています。

 こうしたお地蔵 様は「常に衆生の傍らに応現す」と説かれており、心一つでお地蔵 様のご加護をいただけます。
 





春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂




| ryuichi | 03:40 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春城下歳時・風土記::歳時記 |
三春城下新町の天翁山州伝寺の「子育一時地蔵尊」 御霊まつり



三春城下新町の天翁山州伝寺の「子育一時地蔵尊」 御霊まつり

子育て地蔵として、我が子を健やかに育てと願う親御さんたちの信仰を集め地蔵盆には“御霊まつり“が開かれています。

わが子が、災いを被るようなとき一時お地蔵さんに、親代わりとなってわが子を守ってくださいとの願いを込めて参詣するといわれています。

やはり、戦前には出征するわが子を間もてくれることを願う、親御さんたち家族の参拝が絶えなかったといいます。


一時地蔵さんの由来には、いくつかの説があります。

親が子供の代わりに善根を積むことによってを積めず亡くなり、地獄 へ堕ちても、お地蔵 様はやはり身代わり となって地獄 の苦を引き受けてくださるのです。

亡くした我が子のためを思うならば、他の子供たちのためになって善根 (ゼンコン…善い結果をもたらす善い種)を積むことと説かれています。

 こうしたお地蔵 様は「常に衆生の傍らに応現す」と説かれており、心一つでお地蔵 様のご加護をいただけます。
 
親に先立って亡くなった子供達が、三途の川の”賽(さい)の河原”で、両親や兄弟たちを恋しがり、小石を積み上げ石の塔を築いてきます。
しかし、日が暮れると鬼達がやってきてそれを壊してしまいます。

それを哀れんだ地蔵菩薩が、子供たちを抱いて錫杖(しゃくじょう)の柄に取り付かせ、自分が子供たちの一時の親となって救ってくれると云れています。

人々は「地蔵和讃」の御詠歌を唱和、詠じて、親は死んだ子を地蔵に託すことで悲しみを軽減したり、地蔵尊をを敬い賛美して幼子の供養や子供の無事成長を祈ったのでしょう。






私たちが子供のころの夏休みには、州伝寺の山内はラジオ体操の会場となっていました。

その頃は、一旦家に帰って朝食を食べ、その後に州伝寺の本堂に再度集まり、夏休みの宿題をみんなでしていた記憶があります。

そして、この一時地蔵尊祭典の時には、新町の盆踊りがあり、州伝寺の山内で盆踊りをしていたこともありました。

後に、盆踊りは弓町遊郭跡でも開催したこともありますが、本来のせり市場での盆踊りなります。

その頃になると、せり市場での盆踊りも、同24日でしたので、一時地蔵尊祭典に参拝し、綿あめと花火をもらったりしていました。






地蔵菩薩の縁日に、死後に餓鬼道に堕ちた衆生のために食物を布施しその霊を供養する法要です。

お盆の施餓鬼とは、釈尊の弟子である阿難尊者が、一切の餓鬼に食物を布施し供養して、死を逃れ長寿を得たことに由来しています。





「賽の河原地蔵和讃」にうたわれるように、この世とあの世との境にあって、特に哀れな幼児を助けてくださるので、賽神(サエノカミ)や道祖神信仰と結びついているんでしょう。


賽の河原地蔵和讃

これはこの世のことならず

死出の山路の裾野なる

さいの河原の物語

聞くにつけても哀れなり

二つや三つや四つ五つ

十にも足らぬおさなごが

父恋し母恋し

恋し恋しと泣く声は

この世の声とは事変わり

悲しさ骨身を通すなり


かのみどりごの所作として

河原の石をとり集め

これにて回向の塔を組む

一重組んでは父のため

二重組んでは母のため

三重組んではふるさとの

兄弟我身と回向して

昼は独りで遊べども

日も入り相いのその頃は

地獄の鬼が現れて

やれ汝らは何をする

娑婆に残りし父母は

追善供養の勤めなく

(ただ明け暮れの嘆きには)

(酷や可哀や不憫やと)

親の嘆きは汝らの

苦患を受くる種となる

我を恨むる事なかれと

くろがねの棒をのべ

積みたる塔を押し崩す


その時能化の地蔵尊

ゆるぎ出てさせたまいつつ

汝ら命短かくて

冥土の旅に来るなり

娑婆と冥土はほど遠し

我を冥土の父母と

思うて明け暮れ頼めよと

幼き者を御衣の

もすその内にかき入れて

哀れみたまうぞ有難き

いまだ歩まぬみどりごを

錫杖の柄に取り付かせ

忍辱慈悲の御肌へに

いだきかかえなでさすり

哀れみたまうぞ有難き

南無延命地蔵大菩薩


春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂

| ryuichi | 04:39 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春城下歳時・風土記::歳時記 |
三春城下の盆踊り 2022


令和4年度三春盆踊りは令和4年8月15日(月)、16日(火)に開催です。

国、県の行動制限がない夏ということで、来訪される皆様の安全を考慮し、新型コロナウイルス感染症拡大防止を講じたうえで開催をいたします。

何卒、ご理解くださいますようお願いいたします。

「福島県医療非常事態宣言」及び「福島県感染拡大警報強化版(BA.5対策強化宣言)」(令和4年8月12日)

 県内では新規感染者数が過去最多を更新するなど、感染拡大に歯止めがかかりません。医療体制が危機的状況にあることから、「福島県医療非常事態宣言」及び「福島県感染拡大警報強化版(BA.5対策強化宣言)」を発出しています。

 ご来場の皆様には危機感を持って感染対策を徹底いただくようお願いします。




かつては、月明りと提灯で踊った三春盆踊り。


旧盆の盆踊りは、満月の月明かりのもとで踊りました。

月明かりは踊るには十分明るく、しかもムードのあるやわらかい光はロマンチックな「演出効果」をもっていたのです。







「伝統三春盆踊り」は、8月15~16日の2日間、城下大町の四つ角交差点に面して櫓を立てて、盛大に行われます。

盆踊りの期間は、8月15日の晩から行われるのが通例です。








16日が盆明けということから、賑やかに踊り歌って先祖を送り出すという意味もあったようです。

月の満ち欠けを基本にした旧暦(太陽太陰暦)では、盆踊りの行われる7月15日(現8月15日)の夜は十五夜で、翌16日は「十六夜(いざよい)」ということになります。

いずれかの夜は月が満ちて満月となり、照明のない時代でも月あかりがその場を照らしてくれたことでしょう。







もともと盆踊りは、お盆に帰って来たご先祖様の霊を慰める霊鎮め(たましずめ)と言われる行事でした。


仄かな明かりを頼りに踊る中で、幻想的な雰囲気が作り出され、盆踊り会場内にいる方々に、亡くなった方々を重ね合わせ、あたかも御霊と一緒に踊っているようだったと伝わっています。

月明りと電球提灯、そして、それらを邪魔しないようにと、世界的な照明デザイナー石井 幹子(いしいもとこ)さんのデザインによる街路灯には、女性をよりいっそう美しくみせる仕掛が画されていて、華やかさを醸し出し、趣ある雰囲気と相まって三春盆踊りの楽しさを演出してくれています。








盆踊りの空間はあの世とこの世の境界であり、踊りの所作には霊と自分自身の親しみを表す所作が必ず含まれているとされています。







三春盆踊りの振り付けは、空を指す手の動きは“あの世”を表し、地面を指す手の動きは“この世”を表しているとされ、最後の手拍子は、お盆にこの世に戻ってきた先祖の精霊や有縁無縁の諸霊を供養敬う気持ちをもって「年に一度のお盆を一緒に楽しみましょう」「また来年も来てくださいね」との思いを表しているとされています。






 盆踊りは、念仏踊りがルーツのようで、もともとは、地獄の責め苦から一時のがれて帰郷した喜びに亡者たちが踊り明かして喜んだという、霊を供養し、ご先祖様に感謝する意味が込められています。







また、もともと伝統ある盆踊りの多くは、戦国時代に戦死者の霊を祀る念仏踊りが始まりとされています。時代が下がり、社会が安定するにつれて風流踊りの影響を受けて、地域の楽しいイベントになったのは江戸時代中期以降とされ、時代とともに華やかさが増していったとされています。







仄かな明かりを頼りに踊る中で、厳かで幻想的な雰囲気が作り出され、踊りの輪の中に、ご先祖の方々を重ね合わせ、御霊と一緒に踊っているようだったんでしょうね







春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:37 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春城下歳時・風土記::三春盆踊り・だるま市 |