2026-10-11 Sun
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三春大神宮のライトアップと秋季例大祭、そして、中町若連神輿の川崎とのご縁
三春城下晩秋の風物詩「三春城下ライトアップ」での三春大神宮のライトアップから三春大神宮の紹介。
そして、今回の主題となる、先ごろ行われた三春大神宮の秋季例大祭の模様とお膝元の町会である城下中町の中町若連と川崎市の深い絆・・・・現在の中町若連が誇る本格的な宮神輿・御神輿は、25年前に川崎市の浜川崎で洋品店を営んでいた第一屋洋品店の社長が代表を務める「浜町商店会・浜町睦会」から譲り受けたものです。
しかも、第一屋の先代が三春中町の旧桑原商店の大番頭というご縁で、人と人の絆と心意気が折り重なって無償で譲り受けたものです。
この神輿が中町に譲渡されるという段になって中町若連では、ある程度の謝礼を用意したみたいですが、「これはお金じゃないんだ、人と人の心で譲るんだ!大事にしてくれればそれでいい!」と第一屋さんにピシャッと断られた話しを伺いました。
以来、三春大神宮の祭礼には川崎から有志が連れだってお神輿担ぎに臨場し、夏には中町若連有志が川崎へお神輿担ぎや三春山車太鼓を披露しに出張して・・といった具合に交流を深めています。
昨今のコロナ禍によって数年途絶えていましたが今年四年ぶりにその交流が復活して、川崎に神輿担ぎへ、そして、先の三春大神宮祭礼には川崎からといった具合に熱い絆の復活の模様をお伝えします。
・紅葉の三春大神宮からスタートして、三春大神宮の紹介、紅葉ライトアップ、7つの町内の若連の皆さんが盛り上がる秋祭り、深谷悠大君も新町の花車を引いています。
そして、中町若連の山車と宮神輿のコラボ・・・三春山車太鼓と川崎どっこい神輿甚句のコラボ!
・中町若連と川崎の繋がり説明~ 川崎浜町でも神輿の様子!
・桑原商店の蔵の中に大切に保管してある宮神輿を改めて見入る「お祭り小僧(爺?)二人組!
この御神輿は、浜町睦会会長で第一屋洋品店2代目社長”勝ちゃん”こと橋本勝通さん、そして板金屋の粳田三郎さん、大工の秋元長吉さんが心血を注いで作った御宮造の本格派の御神輿です。
※私も若かりしころ、友人の桑原崇君と二人で一緒に二泊三日の神輿行脚として川崎へ神輿担ぎに出張しています。

古い写真と飲み比べはいかが?
ビフォアー&アフター 35年の時を超えて・・・
この様な流れに則った感じで動画は収録してあります。
以下、詳細説明
オープニング動画・三春大神宮前境内 鳥居前 挨拶・・龍一
三春大神宮の紹介・動画 昼間の景色 歴史・龍一の解説
三春藩3代藩主秋田輝季が貝山岩田より神明宮として現在の神垣山に遷した三春藩五万石藩の神社で、以来、神明宮・シンメサマと呼ばれて領民に親しまれ、明治に入ってからは天照大神を御祭神とする三春大神宮と改称されました。
紅葉の名所 町民の憩いの場
10月には例大祭が行われ、旧三春町内全域を神輿渡御に伴い、長獅子や各地区の山車、花車や御神輿大人、子供御神輿がにぎやかに練り歩きます。
棚織神社
三春大神宮境内末社 棚織神社は、三春地方の織物関係者の勧請により社殿を造成し共同でその祭祀にあたって信仰を集めていました
松尾神社(松尾大明神、松尾名神)
創建年月、沿革は不詳、山城国(京都)松尾大社より八幡町裏町に勧請し明治初頭に現三春大神宮末社笠森稲荷神社境内に合祀されました。松尾大明神を氏神にする秦(はた)氏は、奈良京都を中心に国内全域に亘って、酒造・水路・鉄器・国土開発・養蚕等の技術を伝承
橋本神社
南朝の忠臣橋本正茂を祭神とした、同族神の神社で大正7年ころに作られたものです。
大正7年、正五位を贈られたことからはじまり,橋本姓を名乗る人々によって維持されていました。
動画・三春大神宮秋季例祭の模様 祭礼の紹介 若連連合会 龍一
動画・中町町会の山車と神輿
三春大神宮秋季例大祭の先頭は、やはり、長獅子です。
新町田村大元神社と荒町八雲神社の長獅子が隔年交代勤める
・今年は新町田村大元神社の長獅子
・大神宮お膝元 城下中町の中町若連
川崎市より市内でも一番大きい手作りの御神輿 三春へお輿入れ・譲渡
・この第一屋さんというのは、太平洋戦争後の復興期から高度成長期にかけて日本橋に支店を設けて関東一円に商いを広げていた三春城下中町の衣料品屋「桑原商店」。
その大番頭を務めていた橋本亀義(勝通さんの父)さんとその妻ヨネおばちゃんが、独立して戦後復興景気で賑わう川崎市は復興の原動力ともいうべき大都会川崎は、川崎大師、日本鋼管に程近い浜町通り商店街に職人御用達の衣料品を商う出店した洋品店です。
私も若かりしころ(35年前)、友人の桑原崇君と二人で一緒に二泊三日の神輿行脚として川崎へ神輿担ぎに出張しています。
しかし、浜町でも都市化が進み約25年前にはこの御神輿が廃止の危機となりますが、城下中町の町内会・若連会がこの神輿を引き継ぎ現在に至っています。
この神輿が中町に譲渡されるという段になって中町若連では、ある程度の謝礼を用意したみたいですが、「これはお金じゃないんだ、人と人の心で譲るんだ!大事にしてくれればそれでいい!」と第一屋さんにピシャッと断られた話しを伺いました。
神輿が中町若連に来てからも川崎浜町とは縁が続き、毎年秋の大神宮祭礼には川崎の有志がこの神輿を担ぎにやって来ます。また、夏の浜川崎八幡神社の祭礼には中町若連の有志が神輿担荷に出向いて交流を深めています。
現在の川崎氏浜町二丁目の神輿と中町若連山車太鼓の競演
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| ryuichi | 03:10 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春藩総社神明社(三春大神宮)::三春大神宮 |
2022-11-10 Thu

三春大神宮とシンメイサマ
三春大神宮は、元禄2年(1689)、 三春藩主秋田輝季 (3代)の母正寿院が、日頃信仰厚かった大字貝山字岩田の神明宮を現在地の三春町字馬場に遷して三春藩の総藩社としたとされています。
三春城下では古くから「シンメサマ」と呼び親しんでおり、明治までは神明宮と称した。
「三春神明宮由来」には、
一、 守子と唱ひしもの俗に神明婆という老婦人有り、この者は貝山岩田に住みし伊邪那岐・伊邪那美両神を箱に入守り子をせし為に守子と唱えしや(略)
一、湯立祈祷の験必ず託宣有、神子と申す老婆ありて神の告げなりとて老婆種々の言を陳る(略)
・・・・とあり、神社三春神明宮とオシンメイサマとの関係に関心がもたれるところである。
大神宮の旧社地山字岩田には、今も「神明前」とよばれている所があり、小祠が残されている(現在この場所は畑地となっている) 。
さきの 「三春神明宮由来」によれば、明らかに、オシンメイサマの発祥を伝えているが、今日の三春大神宮と直接結びつけ得るかどうかである。
三春城下および近隣に散在する小祠神明宮の祭礼は9月16日であった。
かつて三春大神宮も同様であったが、現在は10月の体育の日の前日の日曜日に行われている。
また、元禄2年の遷座にあたって奉納された絵馬の中に「湯立神楽の図」があえいますが、由来にいう湯立祈祷の事実を示すものではなかろうか。
大神宮では、代々伝えられてきたという「人形祈祷」を行っていると伝わっています。
この祝詞に一~十までの神明祝詞が入っており、これはオシンメイサマの守子たちもとなえたものである。
オシンメイサマを大神宮に納めたという話や、 お借りしたという話が伝えられている。
三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍
| ryuichi | 03:52 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春藩総社神明社(三春大神宮)::三春大神宮 |
2021-11-11 Thu
旧縣社「三春大神宮」参道、二之鳥居下にある「日独戦争平和記念」石碑です。
第1次世界大戦は、1914年から1918年の間ヨーロッパを舞台にした大戦争でしたが、日本はイギリスとの間に「日英同盟」を結んでいた関係上、イギリス・フランス・ロシアの三国協商(連合国)側に加わって参戦しました。
当時のアジアにおけるドイツ軍の拠点は、中国の山東半島の南側、膠州湾(こうしゅうわん)の青島(チンタオ)にあり、1914年8月23日にドイツに宣戦布告し、 11月7日に青島を占領しています。
日本では、ドイツとの戦争だったので当時は日独戦争と呼んでいます。
戦争の無い、平和が一番です!
11月11日。1918年の第一次世界大戦終戦の日
三春大神宮紅葉ライトアップ 2021
春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍
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2020-09-02 Wed
三春大神宮境内 石造神鏡碑
光舎萬象 惟神准明 権衛造花化 鎮護群生
元禄 元禄辛未歳七月吉旦 花王公忠
輝く社殿と自然 これぞ神明宮 平らけく万象を衛り 民衆を鎮護す 刻まれているそうです。

古写真にも写っています。
明治35年御災害からも復活!
先の大戦で建立された「皇軍全勝日拝碑」が、他の奉納石三方と並んで、石造神鏡の一角にあります。。
いろんな意味でパワースポットです。
春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍
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2020-07-24 Fri
三春大神宮境内散策
参道階段に設置されている三春大神宮別日講中寄進の「常夜灯」にも、昭和6年奉納と記されています。
寄進社名には講中講員である中町・馬場・尼ケ谷の方々のお名前が見えます。
幕田、宗像さん等の見知った方々のご先祖さまのお名前のようです。
早朝、誰もいない三春大神宮の境内で小鳥のさえずりに耳を傾けながら、しばし三春の先人に思いを寄せながら階段を上って弾んだ息を整えています。

春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍
| ryuichi | 04:24 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春藩総社神明社(三春大神宮)::三春大神宮 |
2020-06-26 Fri
三春大神宮の境内に「奉納御大典記念」と記された大きな狛犬があります。
昭和3年、昭和天皇即位「御大典の儀式」を記念して神社本殿の大改修がなされ狛犬の像もこの時に、有志の方々によって寄贈されたものと思われます。
くちが少し空いているのがわかりますか?
狛犬は一対で「阿吽(あ・うん)」を表現しています。
こちらは 「阿(あ)」の狛犬
こちらは「吽(うん)」の狛犬です。
人間は生まれた時には「あ!」と言って生まれ、亡くなるときには「ん~」と言ってなくなるそうです。
輪廻の世界観です。
天国とも称される天上界に居た人間が再び修業の場であるこの世に生まれた時には「あ」といって現実社会を受け入れ、その修業が成就したときに寿命を終えて天上界に帰る、いうなればその修業に満足して天国に行くということなんだと思いますが、その人生に納得しての「う~ん」という声で表現しています。
つまり、満足した人生を送るという人の一生を生き方を説いていると習ったことがあります。
大正15年に大正天皇が崩御され昭和天皇が即位すると、全国各地で昭和天皇陛下即位を御祝いする式典が開かれました。
それを記念して各地に建てられたのが、御大典記念碑です。
この碑は、天皇即位から3年後の昭和3年に建立されています。
また、同年の11月には、天皇陛下の即位を御祝いする御大典(ごたいてん)の式が宮中で盛大に開催されています。
春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍
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2020-06-22 Mon
三春大神宮境内への参道最上部に「壽楽會」が奉納、建立したと記された石造灯籠が一対あります。
戦前の建立らしく、皇紀元二千五百九十六年 昭和拾壹年 と年号が刻まれてあります。
帝都東京では、昭和11年2月26日に皇道派の青年将校が決起し、当時の元老や重臣らを襲った「昭和維新断行・尊皇討奸」を掲げて起こした未曾有のクーデター未遂事件「二・二六事件」が発生した年です。
奉納した方々のお名前を見ますと内藤傳之助、渡邊甚平、渡邊栄一、斧田撫臣、国馬長太郎、岡山又四郎…という三春の名士がお揃いで明記されていますが、その中に深間内久蔵の名前を見つけました。
深間内久蔵(のちに基と改名)氏は、孝明帝が即位した弘化3年、三春藩士深間内基時敬の長男として生まれたかたで、
明治11(1878)年、J.S.ミルの『The Subjection of Women』(1869年英国にて発行)を『男女同権論』の題で翻訳し、明治10年代の男女同権論争に大きな影響を与えた自由民権家です。
また、明治期に、三春は元より田村地方の若者が志を抱いて東京で勉学に励むことを扶けるために設立された学生寮「田村学生寮」建立に尽力され、千三百余圓の私財を投入し建設資金にし、藤泉賢四郎(後の大林組社長大林賢四郎氏が設計施工を請け負ったという記録されています。
明治元年11月、22歳の時に慶應義塾に入社した。義塾で英学を学び、明治9年に、高知立志学舎に英学教育員として招かれた。
立志学舎は、板垣退助・片岡健吉らによって結成された政治結社立志社が、民権思想普及のために設けた学舎で、深間内は自由民権運動の大きな影響を受けることになった。なかでも、女性が演説会に参加する様子をじかに見聞したことは、彼に女性の社会的地位に対する関心を喚起した。
明治維新後の、三春の教育
「日本の唯一の資源は人であり、人を育てるのは教育しかない」
「三春で学んだことを誇れる教育」
かつて三春人は、教育、人間育成ということには驚くほどの力の入れようでございました。
尚、岡山又四郎氏は、音楽家の岡山直先生、そして、元小野町長秋田直孝(旧姓岡山直孝”氏のお父上様になります。
岡山先生は、三春小学校の他に、三春中学校、県立田村高校、そして町外の船引中学校や、伊達小学校、大槻小学校など様々な学校の校歌を作曲し、今も歌い継がれています。

春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍
| ryuichi | 04:29 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春藩総社神明社(三春大神宮)::三春大神宮 |
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