CALENDAR
S M T W T F S
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31      
<<  2021 - 05  >>
CATEGORIES
ARCHIVES
PROFILE
    k1
OTHERS




「馬頭観世音」武部為右エ門・武部八十七 上移の石塔群 





上移の石塔群です。

先の所要があり、移に出向いた折に写真を撮ってきました。






以前、上移の鎌田勝三郎様、そして、同じく移の菅野義徳様にもこの「馬頭観世音」の石碑の写真をいただきご紹介いただいたことがありました。

三春馬の資料にどうぞということで、鎌田様が、平成24年10月に老人会で講演されたときの資料「謎の人物 武部為右エ門・武部八十七」を持参されました。







資料にもありますが、上移曲山地内にある庚申様付近の建立されている「馬頭観世音(大正3年3月17日建立)」の石碑の施主にも武部八十七氏の名前が刻まれています。






鎌田様は、勝三郎様の祖父伊三郎氏が几帳面で、昔の資料を保存していたそうです。


それらの資料を勝三郎様が分析された中にこの資料の中心人物である武部為右エ門・武部八十七親子に出会って興味を持ち調べ始めたそうです。






「謎の人物 武部為右エ門・武部八十七」

明治から大正にかけて上移地区に、武部氏なる人物が住み、商売、畜産業を繁盛させた方の文献を少し、見つけまして、興味を持ち、調べてみましたが、何分にも資料が乏しく、あまり良い結果は得られませんでした。

ほとんどの方が、武部と云う姓を開くのが初めてだと思います。

年代から見て,親子二代に渡り上移地区内住んでいたものと思はれます。

父親と思われる為右エ門氏は八幡神社に神前に供える鏡を納入、通い帖を見て、幅広く商いをやった様子がうかがわれます

三春潘は昔から産馬に力をいれ馬産地として、有名であり馬の競り市を開き、各地区かり多くの馬喰が集まり大層な賑わいを見せ、その頃に庚申坂なる遊郭街が生まれたらしい。

八十七氏は馬産に力を入れ,上道の鍋越地区 現在の佐久間記一氏宅辺りに牧場を開いたらしい。

八十七氏は馬産の成功を願い、曲山地内、俗に云う庚申様は馬産の成功をの場所に「馬頭観世音」を建立したものと思う。
又、八十七氏は上移地区の産馬総代も務められて、明治四十三年には、国有種馬、厩舎の新築にあたりご尽力された方です。


国有種馬は、現在は、その建物はありませんが,上移町のふくだやさんの前の道を少し入った所の高台にありました。






三春町史3を見ますと、慶応4年4月の戊辰の役前夜には町役人として平日帯刀を許された20名の一人に武部為右衛門の名前が記載されています。


また、「三春町役人記(春山文書)」に、町年寄八幡町取締 武部為右衛門年齢58の名前が記載(明治2年8月改正、同年12月罷免)されていますが、武部氏が上記の武部氏と「同一人物なのか?また、同一人物なら移村に移った経緯は判りません。







春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:20 | comments (x) | trackback (x) | 三春ノ信仰1 |
三春城下 神社旧社格 縣社、郷社、村社




三春城下 神社旧社格 縣社、郷社、村社



三春城下に限らず、神社の参道入口に立つ神社名を彫った石柱の最上部に、「郷社」とか「村社」という字がモルタルで埋められているのを見たことがあると思います。


たとえば、三春大神宮は「縣社」。






田村大元神社は「郷社」

そして、八幡神社、八雲神社は「村社」といった具合です。

この「郷社」とか「村社」というのは、かつて神社が国家の統制の下に置かれていた時代の神社の格づけ(社格)に関わるものなのです。







明治維新後、日本は神道を国の宗教として保護するとともに、すべての神社を国の統制下に置きます。そこで全国の神社をその由緒などをもとに格づけしたのです。

諸社として、府・縣社、郷社、村社、そして無格社に格づけされました。








春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 04:26 | comments (x) | trackback (x) | 三春ノ信仰1 |
「苦しみの中に 学びあり」令和2年 三春町各宗派仏教和合会「歳末托鉢」




令和2年 三春町各宗派仏教和合会「歳末托鉢」



三春城下の歳末の風物詩である、三春町各宗派仏教和合会の皆様による歳末助け合い三春城下托鉢が行われました。

歳末助け合いの浄財の托鉢で、お坊さん方は三春城下を托鉢して廻ります。






新町方面は、地元真照寺様の担当で、同寺住職が托鉢に来られました。



今年は、新型コロナ拡散防止ということでマスク着用での托鉢です。







そして、今年の短冊は「苦しみの中に 学びあり」と記されていました。

文字通り、with コロナの時代となって、この中で私たち人類が何を学ぶかということが試練克服の第一歩だと解釈しました。









三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍





| ryuichi | 05:50 | comments (x) | trackback (x) | 三春ノ信仰1 |
令和2年の「えびす講祭」は、12月4日(金)です。



 
商売繁盛 祈願 令和2年 「えびす講祭」 三春昭進堂

令和2年の「えびす講祭」は、12月4日(金)です。

この日は、旧暦の10月20日となります。


三春昭進堂では、恵比須様への商売繁盛 祈願、そして、お客様への感謝の記として、12月4日(金)、翌5日(土)に「えびす講祭」お客様感謝イベントを行います。


この2日間ご来店のお客様には、日ごろの感謝を込めて「一口すあま」をプレゼントいたします。


両日とも、末広がりの八十八名様分を予定しています。









店内にえびす様の掛け軸を飾り、家にあるお金を一升枡に入れて供え、落雁用の魚の木型や旬の野菜なども供え、「えびす様大黒様」に対して、商売繁盛、財運に恵まれ、また子孫繁栄が叶う事を祈願します。





旧暦10月は晩秋ではなく初冬の時期なのであって、この月の行事には1年も、いよいよ終わりに近いという気分が込められている用に思います。
昭和8年生まれの父親は、この日に必ず、商家の小僧や丁稚が足袋を履けるのは、恵比須講の日からといっていました。








恵比須講は商人にとって非常に大事な行事であり、商家の正月のようなものであったようです。


業種によっても異なりますが、多くの商家では春から秋にかけての繁忙期、いわゆる「掻き入れ時」がほぼ済んで一年間の取引状況を総括して次年度への見通しと計画とを立てるべき時期にあたっており、この日に商売の神である恵比須神を祀って繁昌を祈願し、盛大な祝宴を催すことになっていたと伝えられています。





 








商いは、秋に実った果実を交換することに始まったといわれています。

このことから私どもは“手塩にかける”ことを学んでいます。

これこそが商いの原点であると思います。
 




   蒼龍謹白    合掌




春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍




| ryuichi | 04:14 | comments (x) | trackback (x) | 三春ノ信仰1 |
写真集 「三春のお寺」 中村邦夫




写真集 「三春のお寺」 中村邦夫



三春在住のカメラマン 中村邦夫さんから自身の写真集「三春のお寺」を拝領しました。







今回の写真集は、新型コロナ拡大防止の観点から自粛等があり、撮影活動が制約された今年、震災以降に撮りためていた写真の整理をしていると、三春の写真ではお寺や仏教にかかわる行事につながります。


中村さんライフワークでもある「三春城下まちかど写真館」のモチーフにして、その図録のつもりでまとめた写真集で、その出来栄えから問い合わせが相次ぎ、販売になったということでした。






当店のホームページでもご紹介させていただきましたが、やはり問い合わせが数件ございました。



中村さんも写真集の”あとがき”に記されていますが、古より歳時記とともに寺と歩み、暮らす三春の人々を捉えたとありますが、三春人の息づかいそのものが写真に切り取られているようです。









大震災のあと、三春の行事やおりおりの風物をテーマに撮影している。

撮りためた作品をまとめると、寺にまつわる行事が多い。城下町ゆえのことだろう。

三春のお寺は観光寺ではない。

又、宗教に特化した単なる寺でもない。

古来から歳時記とともに寺と歩み、暮らす三春の人々を捉えてみた。


中村邦夫 あとがきより








(写真歷)

1949年 北海道室蘭市出身

1995年 第2 回土門拳文化賞奨励賞受賞

写真集「三春に生きる」出版

2016年福島県写真連盟招待作家

2017年 新宿にて個展「津軽1984-1988」

初版発行/2020.10.27 著者/中村邦夫









義兄である高乾院方丈の祖伸さんがかっこよく映っています!


早速、親戚にも送ってやりたくて、カネサン書店に注文しました。








春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍




| ryuichi | 05:00 | comments (x) | trackback (x) | 三春ノ信仰1 |
三春城下新町 州伝寺の「子育一時地蔵尊」 御霊まつり 



三春城下新町の天翁山州伝寺の「子育一時地蔵尊」 御霊まつり


本年度は、新型コロナウイルスの影響で規模を縮小して、役員の実の法要で執り行います。


子育て地蔵として、我が子を健やかに育てと願う親御さんたちの信仰を集め、八月二十四日には“御霊まつり“が開かれます。

わが子が、災いを被るようなとき一時お地蔵さんに、親代わりとなってわが子を守ってくださいとの願いを込めて参詣するといわれています。

やはり、戦前には出征するわが子を間もてくれることを願う、親御さんたち家族の参拝が絶えなかったといいます。


一時地蔵さんの由来には、いくつかの説があります。

親に先立って亡くなった子供達が、三途の川の”賽(さい)の河原”で、両親や兄弟たちを恋しがり、小石を積み上げ石の塔を築いてきます。
しかし、日が暮れると鬼達がやってきてそれを壊してしまいます。

それを哀れんだ地蔵菩薩が、子供たちを抱いて錫杖(しゃくじょう)の柄に取り付かせ、自分が子供たちの一時の親となって救ってくれると云れています。





私たちが子供のころの夏休みには、州伝寺の山内はラジオ体操の会場となっていました。

その頃は、一旦家に帰って朝食を食べ、その後に州伝寺の本堂に再度集まり、夏休みの宿題をみんなでしていた記憶があります。

そして、この一時地蔵尊祭典の時には、新町の盆踊りがあり、州伝寺の山内で盆踊りをしていたこともありました。

後に、盆踊りは弓町遊郭跡でも開催したこともありますが、本来のせり市場での盆踊りなります。

その頃になると、せり市場での盆踊りも、同24日でしたので、一時地蔵尊祭典に参拝し、綿あめと花火をもらったりしていました。






地蔵菩薩の縁日である8月24日に、死後に餓鬼道に堕ちた衆生のために食物を布施しその霊を供養する法要です。

お盆の施餓鬼とは、釈尊の弟子である阿難尊者が、一切の餓鬼に食物を布施し供養して、死を逃れ長寿を得たことに由来しています。





「賽の河原和讃」にうたわれるように、この世とあの世との境にあって、特に哀れな幼児を助けてくださるので、賽神(サエノカミ)や道祖神信仰と結びついているんでしょう。





春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂

| ryuichi | 04:08 | comments (x) | trackback (x) | 三春ノ信仰1 |
令和元年 鎮守田村大元神社(旧三春藩五万石領内総鎮守「大元帥明王」)の祭礼



三春城下新町の鎮守田村大元神社(旧三春藩五万石領内総鎮守「大元帥明王」)の祭礼を、今週末に控えて、その祭礼に奉納する「長獅子」と「三匹獅子」の練習にも熱がこもってきました。

本年の祭礼は、

7月13日(土) 宵祭り

7月14日(日) 本祭り







梅雨の時期独特の湿った気候、夕方の蜩、楽内のホタル、真照寺下セリ場の旗や大元神社山内の提灯、そして、この三匹獅子や長獅子の太鼓や笛の音を聞こえると「夏が来るんだなあ~」と思います。








300年は続いてきたんであろう、正に初夏の三春城下を彩る風物詩です。









田村大元神社の祭礼には、別火講中の一番組と二番組が各年交替で、獅子掛と祭典掛に分かれて奉仕しています.

今年の獅子掛は、一番組が担当します。

祭典掛は、二番組担当となります。






やはり、先輩が後輩に口伝にて教授しています。

私が現役の頃と同じ風景です。




自分の子供のような年代の者たちが主力となり、この伝統芸能である長獅子舞や三匹獅子舞を引率している光景は力強いものを感じます。




戦国時代、田村義顕公によって三春城が築城されて約500年

以来、三春城下の神事は今も変わらずに受け継がれてきました。

古の三春城下では、夏は疫病がはやり台風や洪水などに見舞われ、生き抜くことが難しい季節でした。

私たちの先祖は、この危険な夏を無事に生き抜くことが出来ますようにと夏に祭礼を行い神さまにに祈りを捧げてきました。

医学科学が進歩した現代にあってもその信仰は変わらず、祭礼に際し疫病・災難・厄除け・縁結び・長寿・商売繁盛そして豊穣などの祈りを神様に捧げています。







春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 05:13 | comments (x) | trackback (x) | 三春ノ信仰1 |