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2019-07-06 Sat
要田今昔物語 昭和初期の三春広報参照要田は、天正の三春城主田村清顕時代(約450年前)、熊耳館・熊耳太郎右エ門、笹山舘・笹山五郎右エ門の配下であった。
さらに、元禄11年寅(268年前)の秋田公時代の名主調べには、笹山-佐藤五左エ門、熊耳・岩崎長蔵、南成田-大内仁右エ門、荒和田-橋本善次右エ門とあり、その後天保15年には、南成田・橋本五郎左エ門から秋元四郎に変り、熊耳-安瀬半十郎、笹山-渡辺市郎治となっている。
明治2 2年町村制実施後は、笹山、荒和田、北成田、南成田、熊耳の五旧村が合併し要田村と称した。
熊耳の生んだ人に大内熊耳先生がある。
享保の頃、江戸に上り、荻生祖来の門弟として学問に励み 青年の頃九州は唐津の土井藩,に仕えた幾多の名著のある有名な学者である。
北成田の接骨医の初代橋本六兵衛翁は、藩政時代他藩まで名の聞えた名医だった。
初代から三代まで二本松公と秋田公から扶持を給され、代々六兵衛を継ぎ、当代は橋本氏七代の孫が接骨医を営み、三百年をかぞえる家柄で、村の誇りであるまいか。
春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍
2016-10-15 Sat
南原の大池
熊耳境南原の大池は、旧要田村大字熊耳字南原にあります。
この池は、旧三春藩三代藩主の秋田輝季が水田灌漑用のため池として構築。宝永8年10月の完成と伝えられています。
但し、宝永8年の4月2日に正徳と改元されているので、正徳元年ということになるんでしょう。
徳川の将軍家で言えば第6代将軍徳川家宣の時代です。
工事の担当は、郡奉行代官大金数馬と名主橋本某で、創設当初は100アール(一町歩)でした。
それでも、灌漑面積が3000アール(30町歩)に及び、熊耳から平沢までの水田がその恩恵に浴していましたから、領内最大のため池でした。
この工事に使った人夫は、延べ人数で2万人と称され、徴用使役として藩内の各村から100石から150石まで毎に毎日2人の出役が割り当てられました。
池の完成後は満々たる水を湛え、魚も溜り、水禽も棲みついたので、これを禁漁禁猟地として、歴代藩主が群臣を引具して猟魚を楽しんだと記録されています。
昭和2年、改築を加え、現在の150アール(一町5半歩)に拡められている。
かつては、櫻も植えてあるので春の花見、初夏の若葉や山躑躅、秋の紅葉、冬の雪景色と四季それぞれの趣がありました。
また、周囲の山は、茸狩りの好適地でもあったといわれます。
古い広報三春内コラム参照
春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍
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2014-04-08 Tue
吉高由里子主演のNHK朝の連続テレビ小説『花子とアン』が始まりました。この中に、要田出身の若手の女優さんが出演しています。
佐藤みゆきさんです。
当店スタッフのMの同級生のお姉ちゃんです。
第2週からの、寄宿舎で花子と同室、17歳の上級生役?の”一条高子”役です。
ハリセンボンのはるなと同じような役です。
ちゃんとテロップにも名前が記載されています。
2014年4月7日(月)~12日(土)
<総合> 8:00~8:15/12:45~13:00[再]
<BSプレミアム> 7:30~7:45/23:00~23:15[再] 4/12(土)9:30~11:00[1週間分]
ご期待ください。
ライオン バルサン プロEX TVCM「彼女の恐怖」篇
このCMに佐藤みゆきさんが主演しています。
尚、昨年のNHK大河ドラマ『八重の桜』にも、第42・43回の山川常磐役でも、出演していました。
CX土曜プレミアム『世にも奇妙な物語2012秋の特別編』「心霊アプリ」水田裕美役や、モバゲーのCM「ワンピースグランドコレクション」~チョッパー~篇で、「先生!」と呼びかける看護婦役と云えばわかるかも知れません。
今後の活躍が期待される、期待の女優さんです。
佐藤みゆきのオフィシャルブログ「佐藤みゆきの秘すれば花なり」
経歴
学生時代に知り合ったメンバーと劇団「こゆび侍」にて活動。
上京後、学校栄養士の職に就くが、女優業を選択し3年で退職。
観る者の心に届く声質と、繊細かつ厚みのある表現力で、本格始動から数公演で多くの観客の支持を獲得。
劇団のカラーや作品のジャンルにとらわれず、役を生き、存在感を見せ続け、プロデュース公演へ進出。大きな劇場での活躍もめざましい。
近年は、ドラマ、映画、CMと活動の場を広げつつある、ブレイク必至の本格派女優。
また、2013年より故郷である福島の【今】を10年間記録するドキュメンタリーを製作し、県外へ伝えていくプロジェクト
「1/10 Fukushimaをきいてみる」をスタートさせている。
所属事務所フォセット・コンシェルジュHPより
三春昭進堂 髙橋龍一
2010-06-27 Sun
要田由来
要田は、中通り中部・阿武隈山地の西縁部八島川上流に位置し、熊耳(熊神)、笹山
(篠山)、荒和田(荒渡田)、南成田、北成田の5ヶ村から成る歴史的にも古い、由緒
のある地域です。
熊耳異見
・戦国期の田村四十八舘熊耳舘以前に、百済王朝の末裔と称する大内備前守居を構えていたと伝えられて、その舘のあった場所とされています。
・戦国大名田村氏三春入府以降は、三春城の出城である田村四十八舘の一つとして、熊耳太郎左衛門が城主を勤める「熊耳舘」がありました。
・熊耳山宝樹寺薬師堂、熊野神社に熊王子権現
別当修験 文学院
・王子信仰、全国の熊野信仰において熊野権現を勧請する際に、多くの場合この神が祀られた。
・熊耳の由来には諸説があります。
熊耳(熊神・隈神)を「隈が三っ」と読み下してみると、「日隈」「月隈」「星隈」即ち、太陽、月、星宿(星宿神=北極星)とう自然信仰的な意味が見え隠れして「三隈」という名前につきあたります。
隈とは、境界という意味があります。
さらに、日隈、月隈、星隈のそれぞれの名の由来は、はっきりしたことは分からないが、日・月・星の三光になぞらえて付けられているという。
日、月、星の三位一体の古代信仰「星信仰」の先住部族の正体を解明するとともに、アラハバキ神の変容と象徴性を原点と考えられます。
・熊王子権現隈王子(OUJI)
ハングル以前の朝鮮語
朝鮮というとハングル文字を思い浮かべる人は多いでしょう。
しかし、ハングルは15世紀に作られたもので、古代から存在していたものではありません。
もっと以前には吏読(イト)という、日本の万葉仮名のような文字も存在しましたが、それも半島の中国化によって消滅してしまったのです。
「星信仰」と東国の渡来人
朝鮮百済王朝の末裔と称する大内備前守所領
大和朝廷(シナ人)とは民族を異にする大陸からの渡来人の存在
日立に流れ着く
日立から水郡線沿いに「星信仰」と渡来人の痕跡が地名として残る
・縄文人 蝦夷と呼ばれた土着の民族(狩猟民続)
・弥生人 渡来人(シナや朝鮮など)として大陸から稲作文明をもたらす。(農耕民族)
・土地の占有争いにより戦争の根源なす。
田畑としての土地の確保。狩猟民族は山の民如く移動する民族で土地の概念がない。
農耕民族は、田畑造成のために土地が必要になり、土地の確保のために戦が起こる。
源頼義の息子には新羅三郎義光(甲斐武田家祖)という武将がいます。
この新羅三郎という名前は、この説によれば「新羅の戦士」を意味します。
このことから、源氏は新羅系渡来人の後裔だったのではないかとまでこの説から考えられます。
源氏が朝鮮系だったことは十分にありえると私は考えます。
なぜなら源氏は関東で起こった武士集団だからです。
朝鮮半島からの渡来人が後の武士になったと考えるのなら、武士の棟梁となる源氏もまた渡来人の後裔だったと考えて無理はありません。
いずれにしても、関東を中心とする地域に朝鮮からの渡来人が大量に住み着いたことは歴史的事実です。
・
地名由来
要田、渡来人が稲作文化を伝えた場所
成田(千葉も同じ)稲作の成功した田圃
荒和田(荒渡田)は、稲作の出来が悪かった場所。
笹山(篠山)も同じ理由か?
庄司は、田村庄を統括する田村庄司(田村家とは別)との関連した場所
紀州熊野権現の荘園
2010-06-17 Thu
三春城下の北西二里、旧荒和田村長寿山廣傳寺の参道。
十一面観音大士堂にある「理趣供養塔」です。
理趣供養とは、「理趣分」というお経の功徳で人々が幸せにあるようにと祈願して建立されたものでしょう。
三春付近で初めて見つけました。
理趣分読誦は仏法興隆、国家安泰、世界平和をはじめ檀信徒の家内安全、消災障除、心願成就に功徳をあらわすとされています。
大般若経は全部で600巻もある長いお経ですが、第578巻の「理趣分」というお経があります。
この「理趣分」が、600巻の中で一番重要な部分といわれています。
正式名は不空訳が、「大楽金剛不空真実三摩耶経般若波羅蜜多理趣品」と言い「般若心経」の基と成る経典でもある、玄奘が訳した「大般若波羅蜜多経」600巻から独立した578巻の般若理趣分でその経緯から「般若波羅蜜多理趣品」とも呼ばれる。
医薬の発達していなかった時代は、理趣分によるご祈祷が盛んに行われていました。
仏教には「六趣」という言葉があります。
迷いの6つの世界である「六道」と同じ意味で、特に地獄や餓鬼などの苦しみの世界を「悪趣」といいます。
それに対して「理趣」とは仏の智慧の世界、また、その境地に至る道を意味しますが、『理趣経』はまさにそれを説いているといえます。
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2010-06-16 Wed
三春城下の北西二里、旧荒和田村にあ十一面観音大士堂です。
長寿山廣傳寺の参道にあります。
神仏習合の名残か鳥居をくぐります。
十一面観音菩薩 十一の苦難を転じて仏果を得る
正面に、慈悲の菩薩相、左方には、念怒の瞋相、右方は、白牙の上出相、そして、後方には大笑の相。
多様な表情をあらわす、十一の化仏面を頭上にのせた、十一面観音。
その化仏面にあらわされている衆生の十一の苦難を断ち切り、転じて、仏果を得た功徳とするために、悟りの道へとひたすらに導くとされています。
十一面観音は、十一の面に人々の苦しみを救う力を秘めた観音のことであり、前の三面は慈悲相を表し、左右の六面は忿怒相(ふんぬそう)、後ろの三面は忿怒の極致(きょくち)の大笑をもって魔を払う大笑面です。
玄奘三蔵以降の新訳では、観自在菩薩と訳していますが、
観自在とは、智慧をもって観照することにより自在の妙果を得たるを意味する。
また衆生に総てを畏れざる無畏心を施す意で施無畏者、世を救済するので救世大士ともいう。
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