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三春物語420番「熊耳古内八雲神社」




三春城下北東、熊耳古内にある、古内八雲神社は、農業神、疫神(防災除疫の神)、冥府の神、荒ぶる神の祖とされる、健速須佐之男命を祭神としています。



秋葉神石碑

境内には、山津見神、秋葉神の石碑があり合祀しています。
 
山津見神石碑

山津見神は、山・農・海を司るとされ古くから庶民の信仰を集めてきた。東北地方の山の神の総本山ともいわれる飯舘村虎捕にある山津見神社の分霊を祀っています。





また、枝垂れ桜の古木があり、桜花の頃が絶景です。









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| ryuichi | 06:06 | comments (x) | trackback (x) | 🌸旧要田村::北成田・熊耳 |
三春物語365番「熊耳古道の蚕供養塔」


熊耳の旧道にある、蚕の供養をする供養塔の石碑です。
蚕影山の例祭は、蚕の供養と養蚕の発展と、その恩恵に対する報恩を目的に江戸時代から行われたとされる。
かつて養蚕が盛んな明治時代には、熊耳の外に、他の三春郷の養蚕農家など、近隣から参詣に訪れる人がいたが、今では養蚕農家が大幅に減ってしまい、途絶えています。
蚕影→蚕が天天虫となっています。
中には死死日虫虫になっている供養塔もあったと伝えられています。



| ryuichi | 05:17 | comments (0) | trackback (x) | 🌸旧要田村::北成田・熊耳 |
三春物語300番「南原公園界隈」


南原公園は、灌漑用水の人工池です。
昔は、釣り大会などが開かれていました。


人工池竣工の記念碑









| ryuichi | 15:32 | comments (0) | trackback (x) | 🌸旧要田村::北成田・熊耳 |
三春物語186番 田村四十八舘「熊耳舘」熊耳大井戸


  田村四十八舘「熊耳舘」熊耳大井戸
 三春城下北境に熊耳「舘」という集落があります。
 戦国期以前には百済王朝の末裔と称する大内備前守居を構えていたと伝えられているが、戦国大名田村氏三春入府以降は三春城の出城として、熊耳太郎左衛門が城主を勤める「熊耳舘」がありました。
舘下に、室町時代南北朝期の北朝の年号である貞和・観応年間の供養塔があります。
舘集落と隣接する古殿集落という地名が残り、中世の城郭と屋敷が存在したと思われます。


 旧天神様の「菅原神社」や十一面観音を祀る「古殿観音堂」が舘と古殿の境にあります。
また、この場所には古い伝承が残る「熊耳の大井戸」があります。
伝承には、雄井戸と雌井戸があり、この両井戸水を汚したり、周りの木を伐採すると怪奇現象が起こり「祟り」があるといわれています。
 城攻めの初動に「水断ち攻め」という戦法がありますが、田村四十八舘の「古城絵図」には井戸の有無が記載されていますが、いざ籠城となった場合飲み水確保は重要だと云われていますが、この大井戸も信仰を絡めて、飲料水確保の重要性を認識させていたのでしょう。



尚、後に熊耳村からは、江戸時代中期の漢学者大内熊耳が出ています。

大内熊耳は、元禄期、熊耳村樋渡に生まれて、名は承裕,字は子綽,通称は忠太夫。熊耳とは号です。
百済王族の後裔で、戦国期の熊耳居た豪族、大内備前守の家系の出ということで余氏を名乗っていました。
父弥五右衛門は熊耳村の村長であったいわれます。
17歳で江戸に出て,秋元澹園に師事。その後,上方を経て九州に至り,長崎に遊学します。
ここで中国明代古文辞学の代表ともいうべき『李滄溟集』を見て,自らの文章を磨きます。
長崎に居ること10年余り,江戸に戻ったからは,肥前唐津の土井大炊頭家の江戸詰めの儒員となる。
その文名は高く,当時の代表的文人として重きをなしました。
著作『熊耳先生文集』
また、当代一流の書家としても知られたという。


| ryuichi | 04:59 | comments (0) | trackback (x) | 🌸旧要田村::北成田・熊耳 |