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2010-06-17 Thu
三春城下の北西二里、旧荒和田村長寿山廣傳寺の参道。
十一面観音大士堂にある「理趣供養塔」です。
理趣供養とは、「理趣分」というお経の功徳で人々が幸せにあるようにと祈願して建立されたものでしょう。
三春付近で初めて見つけました。
理趣分読誦は仏法興隆、国家安泰、世界平和をはじめ檀信徒の家内安全、消災障除、心願成就に功徳をあらわすとされています。
大般若経は全部で600巻もある長いお経ですが、第578巻の「理趣分」というお経があります。
この「理趣分」が、600巻の中で一番重要な部分といわれています。
正式名は不空訳が、「大楽金剛不空真実三摩耶経般若波羅蜜多理趣品」と言い「般若心経」の基と成る経典でもある、玄奘が訳した「大般若波羅蜜多経」600巻から独立した578巻の般若理趣分でその経緯から「般若波羅蜜多理趣品」とも呼ばれる。
医薬の発達していなかった時代は、理趣分によるご祈祷が盛んに行われていました。
仏教には「六趣」という言葉があります。
迷いの6つの世界である「六道」と同じ意味で、特に地獄や餓鬼などの苦しみの世界を「悪趣」といいます。
それに対して「理趣」とは仏の智慧の世界、また、その境地に至る道を意味しますが、『理趣経』はまさにそれを説いているといえます。
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2010-06-16 Wed
三春城下の北西二里、旧荒和田村にあ十一面観音大士堂です。
長寿山廣傳寺の参道にあります。
神仏習合の名残か鳥居をくぐります。
十一面観音菩薩 十一の苦難を転じて仏果を得る
正面に、慈悲の菩薩相、左方には、念怒の瞋相、右方は、白牙の上出相、そして、後方には大笑の相。
多様な表情をあらわす、十一の化仏面を頭上にのせた、十一面観音。
その化仏面にあらわされている衆生の十一の苦難を断ち切り、転じて、仏果を得た功徳とするために、悟りの道へとひたすらに導くとされています。
十一面観音は、十一の面に人々の苦しみを救う力を秘めた観音のことであり、前の三面は慈悲相を表し、左右の六面は忿怒相(ふんぬそう)、後ろの三面は忿怒の極致(きょくち)の大笑をもって魔を払う大笑面です。
玄奘三蔵以降の新訳では、観自在菩薩と訳していますが、
観自在とは、智慧をもって観照することにより自在の妙果を得たるを意味する。
また衆生に総てを畏れざる無畏心を施す意で施無畏者、世を救済するので救世大士ともいう。
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2010-06-15 Tue
三春城下の北西二里、旧荒和田村にある曹洞宗長寿山廣傳寺です。
阿弥陀如来をご本尊としています。
本来の仏教は「生・老・病・死」という人間の持つ根元的な悩みを解決していく教え、つまり、病や死といった苦しみをそのまま受け止め、その上でそれを乗り越えていく教えであると考えますと、権力の側に立ち、民衆の悩みにこたえようとしない国家仏教は、本当の仏教とは呼べないのではないでしょうか。
本来の仏教の「救い」とは、悩みの解決を奇跡に頼るのではなく、悩みをありのままに受け入れることからはじまるものだったのです。
歴代住職の墓石群です。
西方極楽浄土の主である阿弥陀如来は、別名 無量寿如来ともいわれ、その寿命は限りないとされ、その光明は十方国を照らすとも言われています。
弥陀の四十八願により「南無阿弥陀仏」と唱えれば、如何なる者であっても、死後、阿弥陀様の極楽浄土へ人々を導き、生まれ変わらせてくださるという、大変ありがたい仏様です。
阿弥陀如来の功徳は、極楽浄土、現世安穏、先祖供養、家内安全、戌年・亥年生まれのお守り本尊などです。
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2010-06-09 Wed
「笹山立石延命地蔵堂」
三春城下の北、旧笹山村立石にある延命地蔵堂です。
立石集落の方々に、祀られています。
地蔵信仰
無仏の世、六地蔵の観念(六道に出現)、境(サヘ)の神(道祖神)の信仰との習合、子供の守護神、賽の河原の信仰等があります。
この世に生を受けたものは、すべて生前の行い、因果に応報して、 「人間」「天」「修羅」「畜生」「餓鬼」「地獄」の六道を輪廻転生すると、されていたのです。
死後の概念がかけ離れていたため、古代日本での仏教受容は、まず優れた学問や芸術をもたらすものとして受け入れられ、 そしてしばらく後、悔過(けか)という作法により、 次第に宗教として受け入れられて行きました。
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近くにある忠魂碑
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2010-04-30 Fri
篠嶽山満円寺
三春城下の北西、一里余りにある旧笹山村近馬場にある曹洞宗のお寺です。
御本尊を愛宕地蔵尊としています。
愛宕地蔵尊は「本尊将軍地蔵尊」と記され、さらに、将軍地蔵尊は修羅闘争の瞋恚を調伏し太平静謐を加え給う云々とされているので、当地方にあっての重要な社であったことが伺えます。
戦国武将の愛宕信仰では、戦場に赴く際「愛宕山大権現守護所」の札を身につけていたという。
三春城下州伝寺の末寺とされています。
境内にある太子堂です。
参道を彩る桜並木
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2010-04-13 Tue
旧荒和田村境にたつ地蔵様や庚申の供養塔です。
地蔵様は、大飢饉のあった享保年間建立です。
この世に生を受けたものは、すべて生前の行い、因果に応報して、 「人間」「天」「修羅」「畜生」「餓鬼」「地獄」の六道を輪廻転生すると、されていたのです。
死後の概念がかけ離れていたため、古代日本での仏教受容は、まず優れた学問や芸術をもたらすものとして受け入れられ、 そしてしばらく後、悔過(けか)という作法により、 次第に宗教として受け入れられて行きました。
禊や祓いによって身を清めるのと同様に、 観音・阿弥陀・薬師等の諸仏の名号を唱え、悔過する事によって 自分に積もった罪障を一掃し、 国家安泰・五穀豊穰を祈り、自らも悪霊の祟りから逃れようとしたのです。
慈愛に満ちた表情で、道行く人々を見守っています。
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