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三春昭進堂の工場に新しい仲間が増えました! 「餅団子(もだん)ミキサー”御影”」



三春昭進堂の工場に新しい仲間が増えました!。


奈良の品川工業社製の「餅団子(もだん)ミキサー”御影”」です!




既存の餅つき機が先の地震で欠けてしまし補修不可能ということで急遽購入です💕
花見だんごや柏餅にはなくてはならない製菓機械です。





名前に”御影”とあるように御影石の臼となっています。


三春城下の当店には、最高の右腕となります。






三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:18 | comments (x) | trackback (x) | 三春昭進堂菓匠蒼龍  |
BABYMETAL 神バンド等のライブサポートメンバーとしてドラム担当青山英樹さんに御来店いただきました。





BABYMETAL 神バンドやJAM Project、吉川晃司さん等でライブサポートメンバーとしてドラムを担当するDrummerの青山英樹さんに御来店いただきました。


お土産に、ご自身が表紙と特集を飾る3月16日発売のリズム&ドラム・マガジン4月号をいただきました。






しかも、サイン入りです!

青山さんはデビュー15周年を迎えた世界に誇る2バスドラマーです。

「青神」と称される青山英樹さん。

なんと、青山さんのおじいさんは、郡山市白岩町の出身です~

そして、お父様は、故青山純氏。

そうです、「青純」と親しみを込めて称された当代のミュージックシーンには欠かせないドラム界の大御所で、山下達郎や竹内まりや、そして、MISIAなど数えきれないアーティストたちのツアーやレコーディング引っ張りだこのミュージシャンでした。






昨年、ファミリーヒストリー~ご先祖様探しの中で当店のHPにたどり着き、ご来店いただきお話をさせていただきました。

以来、福の神「宇賀神様」との関りや高屋敷稲荷神社宮司様のとの懇親等々様々な有難いご縁に恵まれています。


今回もそんなお話をさせていただきました。




三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍






| ryuichi | 04:13 | comments (x) | trackback (x) | 三春昭進堂菓匠蒼龍  |
三春昭進堂に就業した折に製作した古い法被を補修しました。




平成元年、私が三春昭進堂に就業した折に製作した古い法被を補修しました。


襟は、先先々代が、戦後三春昭進堂の再出発した入りに造った法被の残りです。





阪神タイガースのファンです。


法被もた縦じまです。





新しい法被を製作する予定でしたが諸事情により間に合わず、とりあえず古い法被の補修となりました。





さてさて、何処に来て行く気だい?というところでしょうが~




三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:13 | comments (x) | trackback (x) | 三春昭進堂菓匠蒼龍  |
三春昭進堂に巨大な「三春駒」がやって来た!




三春昭進堂に巨大な「三春駒」がやって来た!

酣たけなわプロジェクト「地酒三春駒どら焼き」発売を記念して巨大な三春駒を製作し、店内の配しました!

もちろん政策は城下新町の根本看板店専務です。






子供さんなら乗用も可能ですが、昨今のコロナの影響もかんがみて周囲での写真撮影にしてください。

当三春昭進堂は、旧三春家畜組合セリ市場に隣接する当店にはもってこいのオブジェです。







インスタ映え間違いなし(^^)





春の晴れた日には店頭に出馬します〜







「三春駒」と称される木馬は「高柴村製子育て木馬」と呼んでいました。

江戸時代に書かれた書物には、一切「三春駒」という名は使われていません。

「三春駒」というのは、三春産の馬、つまり本物の三春馬につけた名前とされています。

高柴村でつくられていた「子育木馬」がいつの間にか「三春駒」と呼ばれるようになったと伝えられています。








高柴村製「子育木馬」

三春町を去る約一里、高野村大字高柴にて彫木の馬を作る、之を子育馬といふ。其形態を見るに三寸、四寸、五寸及一寸内外のものとの四種あり。
何れも粗製なれども編幹、四肢能く其度に適ひ、素朴なる真に愛すべく、曾て第四回内国勧業博覧会に出品せしが大に好評を博し、益々人の愛翫する所となれりといふ。
今其製作の元祖たる橋本鶴吉氏の所持する木馬伝来記を見れば左の如し。

夫奥州三春城外高柴村にて製出す木馬は、延暦士四年乙亥年坂上田村麿大滝山(大滝根山のこと)の石窟に住める大多鬼丸といひる夷賊を征し給ふ時、帰依僧延鎮(京都清水寺の開祖)五体の仏像を造り余る材にて鞍馬百疋を刻み贈られしを、将軍鎧櫃に蔵め下向し給ふ。





己に挑戦に及び官兵遠路 に疲れ煩ひしが、何ぞ図らん鞍馬陣営に走り入りしを幸に兵士に賜ひ、之れに乗らしめ大滝山に政登り、意に賊将大多鬼丸を亡ぼし、凱旋の後鞍馬は行方知れずなりぬ。

然るに明日一疋の木馬悉く汗して高柴村に在りしを、軍人杵阿禰といふ者拾ひ、延鎮の作なる百定の一なる由を伝へ聞き、自から九十九を作り補ひ置きしに三年の後、其拾ひし木馬一馬は行方知れずなり、唯九十九のみ有りしを杵阿が子孫之を模作し、里児村童に与ふるに、之を弄ぶもの一人として健かに成長せざるはなく、又子なき家にも之に日に三粒つとの大豆を飼ひば必ず子を得。
殊に這窟、擁疹を軽くすとて何人か「子育木馬」と呼びなせしかば、貴家高堂にも専ら愛し給ふことはなりぬ。
と其聞き伝ふるところなり





附言
三春城外八十余村今名馬を多く出せるも斯かる因縁ある故にや。
又高枝馬村と書せるものあるは恐らく好事家の文字を漫りに索強せしものならんか、其確かなるを知らず

蟠松園 主人

此の子育馬高柴村農夫三家の作に限る。只素朴を旨として時の新工を加へず、然るに何時の頃よりか弘く世に之を知りて便につけてそ求むるもの多し、よりて此素朴の製を見且つ其由来をのべて愈々公にす。







三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:19 | comments (x) | trackback (x) | 三春昭進堂菓匠蒼龍  |
ひな人形 2021




結婚前(30年位前)に、妻の両親の実家のある島根に遊びに行ったとき、津和野へも足を延ばしました。


その時に買い求めた素朴な土の雛人形


いまでも店の真ん中に、一年中飾ってあります。



この時買い求めた雛人形と津和野太鼓稲成神社のご縁が、家内との結婚に結びついたものなんだろうと思います。






入ってすぐに”昇り龍”が目に飛び込んできました。










いただいた縁結びのお雛様です。















三春昭進堂 高橋 龍一


| ryuichi | 04:34 | comments (x) | trackback (x) | 三春昭進堂菓匠蒼龍 ::三春昭進堂髙橋 |
髙橋哲夫著「福島自由民権運動史・その踏査と研究」のあとがきからの発見!



今回の塵壺を調べるにあたって当家出身の自由民権運動研究の第一人者髙橋哲夫氏の著書を数冊読んでいました。

その中の一冊「福島自由民権運動史 その踏査と研究」のあとがきの中に、当家に関する初めて知る記述がありました。

当新町髙橋家の初代民四郎氏は込木柳作から芹ケ沢の土地を譲り受け、その後現在の場所に移って、商いを始めたとは聞いていました。

その商いも様々な商売をしていたと・・・







その中に羽二重(絹織物)工場を経営していた記載されていました。

この事は昭和8年生まれの父も知りませんでした。

さらに、その工場は第一次欧州大戦(第一次世界大戦)後の世界恐慌のあおりを受けて倒産し民四郎とおタリ夫妻は途方に暮れたということも記されていました。

その後、おタリは持ち前の気の強さで果敢に商売を模索して、饅頭屋に落ち着いたという下りに繋がります。

そして、夫である民四郎は商売の失敗が響いたのか遊郭や畜産組合での書記や会計、さらには祭礼での露天商・・・友人たちと昼から酒を呑んでは時事を語り合っていたそうです。







以下は、上記のあとがきよりの文面です。

私の子供の時の古い記憶といえば、いつも最初に浮ぶのが、何か悪いことをして析艦されるときに、きまって裏の家(主家と離れた廃工場)に投げ込まれた思い出である。
その工場には幾つかの機織台が、興妹の巣やほこりにまみれて置かれてあった。

昼でもうす暗いその部屋には、どこかのふし穴から、さっと日光が何本か斜に走っていた。その光をじっと眺めていると、無数の微芥がうごめいていたりしているのを、泣きじ。くった顔で、ぼんやり眠めていたものである。

「裏の家に入れるぞ」これが兄弟たらにとって、一番恐ろしい宣告であったのである。これは、おそらく、私が五、六才の頃のことであるから、大正11年前後であったものと思われる。




すこしものごころついてからわかったのであるが、大正7年第一次欧州大戦の終了によって到来した大恐慌のあおりをうけて、父の経営するささやかな羽二重工場は、ひとたまりもなく倒壊し、それからずっと工場は閉鎖され、子供達の折艦の場と変貌していったのである。

この工場がいつ頃とりこわされたのかは覚えていない。






三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍



| ryuichi | 04:43 | comments (x) | trackback (x) | 三春昭進堂菓匠蒼龍 ::三春昭進堂髙橋 |
2020.5 お陰様で銀婚式を迎えることと相成りました。




お陰様で銀婚式を迎えることと相成りました。

これもひとえに、女房殿のお陰だと思っています。


心より感謝しています。

結婚したのは阪神大震災の年でした。


アッというあの25年でした。

また、その日三春城下は三春小学校の運動会だったように記憶しています。







夫婦二人三脚という言葉がございますが、文字通り三春昭進堂を夫婦二人で切り盛りしてきました。

スタッフも、常時一人から3人に増え、季節アルバイトは4~5人から2人へと経営基盤を固めてkました。


サラリーマンの家庭で育った妻は、妻として、二人の男の子を持つ母として、女将として、私共々三春昭進堂の大黒柱として支えてくれています。

数字に表せ切れないと思いますが、食事も1年365日、一日三食の25年分の外食も入れて9掛けにしても24637食、洗濯も家族分で一日2回だとしたら18250回です。頭が上がりません。

そして〜仕事です。女将として店頭販売から製造、経理~ 本当にお疲れ様です。

子供の世話も加味されると〜〜

感謝の言葉しか出てまいりません







また、昭進堂の古いジンクスやしがらみをすべて改善・改修しながら、新しい三春昭進堂の親戚付き合いも含めた歴史ともいうべきストーリーを歩いてきました。


結婚以来、毎朝、私の大好きな豆を挽いて入れてくれるコーヒー ・・








25年前の写真を見返すと、やっぱり若いっすね~ 









ありがとう💖~そして、今後ともよろしく~









あとは、本当の孫を待つばかりです。







I love you,OK ?

この世界に たった一人のおまえに 俺の愛のすべてを捧げる

抱きしめればせつなくなる 俺のこの腕でいつも幸せにしたい

I love you,OK

振り返れば 長くつらい道も お前だけをささえに歩いた

窓辺にともる灯りのように 俺のこの胸にいつもお前が燃えてる

求め合って生きていたい この世界のすべてが闇に消えても

I love you,OK!

見つめ合えば ただそれだけで解る 誓い合った言葉は

I love you

I love you,OK  矢沢永吉






春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:43 | comments (x) | trackback (x) | 三春昭進堂菓匠蒼龍 ::三春昭進堂髙橋 |