2026-09-10 Thu
越後長岡藩 軍事総督河井継之助 蒼龍窟 終焉の地 只見町塩沢 矢沢邸
塩沢医王寺の蒼龍窟の残骨埋墓所に、「塵壺」の福島民報出版文化賞正賞受賞」を報告してまいりました。
慶応4年(1868年)正月、鳥羽伏見の戦いで始まった戊辰戦争は、会津討伐の軍を編成して、東北、越後に拡大していきました。
朝敵の汚名をうけた会津藩と幕府勢力である東軍は苦しい戦いを余儀なくされていました。
この国難に際して、長岡藩の筆頭家老、軍事総督となった河井継之助は事を平和の裡に解決しようと奔走し、小千谷に陣をかまえた西軍の軍監岩村精一郎と慈眼寺において談判したが決裂します。
ここにおいて長岡藩は参戦に踏み切りました。
奥羽越列藩同盟を結び、善戦しますが、多勢部無勢、5月に長岡城が落ち、一度奪還しますが、再度落城し、その後7月25日の城下での戦いで負傷。
継之助は、親藩会津に逃れ再起をはかるため、千数百名と共に八十里越を会津に向う。
山越えは難渋を極め、山中に一泊して8月5日只見に着き、傷の手当を受けました。
8月12日には、旧幕府御典師、松本良順の理療を受けます。
途中、塩沢村の矢沢宗益宅に投宿する。
継之助は、すでに死期を予感し、従者松蔵に死期の準備を命じ、その夜静かな眠りに入った。
時に慶応4年(1868年)8月16日であった。
河井継之助の墓は、河井継之助かダビに附されたあと、遺骨は一時若松城下に埋葬、終戦後長岡に送られ長岡市内栄涼寺の若井家墓所に葬られた。
塩沢医王寺の墓所は、ダビのあとで拾い残された細骨を村民が集めて建てたものである。
当時西軍の目が光っていたため、文字は刻まず、型式も祠の様式にして西軍の目をごまかすという細かい配慮がはらわれていた。
現在の墓は、昭和12年(1937年)一部補修され、昭和53年(1978年)7月長岡市の篤志家により再補修し整備されたものである。
昭和58年4月1日、只見町の史跡に指定されている。
毎年8月16日塩沢医王寺で墓前祭が行われる。
河井継之助は名を秋義と云い、蒼龍窟と号した。
越後長岡藩牧野家家臣
17歳の時に文武に秀で陽明学を修める誓いを立てる。
27歳の時、江戸に学び斎藤拙堂、古賀茶溪に師事すると共に福地源一郎らとの交流を深め、佐久間象山の門をたたくなど勉学に励みます。
その後一時帰国して藩政に参与するが、安政5年(1858年)ふたたび江戸に赴き、さらに備中松山の山田方谷の教えを受け、横浜、長崎等に遊学して広く世界の動きを見聞していきます。
文久2年(1862年)8月、藩主牧野忠恭が京都所司代および幕府老中となったときには、内外の情勢を説いて献言したが聞き入れられませんでした。
この時、藩の役人を辞職しますが、この際の辞表の理由には「痔が迫り候」と皮肉を込めた時評だったと伝わっています。
慶応元年(1865年)39歳の時、郡奉行となり藩内はもちろん、幕僚だった新潟(現新潟市)及び新潟港や阿賀川流域の水運事業も併せて管理して、藩内でもその非凡な才能は認められていきます。
その後、御番頭、町奉行、御年寄役を歴任し同4年には家老上席となり政務を担当しました。
継之助は、この間大いに藩政を改革し、藩財政を確立すると共に兵制を改革するなど長岡藩をして新式銃やガットリング砲など近代的な装備と調練された軍隊を背景に武装中立を図りました。
三春城下御菓子三春昭進堂 100年
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2026-09-09 Wed
第49回福島民報出版文化賞正賞 高橋龍一さんを祝う会
日時:令和8年9月6日(日)午後3時~
場所:三春町字尼ケ谷『三ツ美屋旅館』
民報出版文化賞受賞お祝い会の謝辞 髙橋龍一
はじめに、このお祝い会の発起人の内藤忠さん、そして田中金弥さんには、身内の様に親身になってご配慮いただき 心より感謝申し上げます。
本日は、「塵壺~春陽郷三春思ひ附阿津免草~」の第49回福島民報社出版文化賞正賞受賞のお祝い会に際しまして、ご多用中にも関わらず福島民報社安斎社長、坂本三春町長はじめ沢山の方々にご
臨席を賜り、温かくも過分なるご祝辞ならびにご厚情を賜り誠にありがとうございます。
「塵壺」が「出版文化賞正賞」の栄誉をいただきましたことも、これも一重に、皆様方の長年にわたるご指導とご支援の賜物と深く感謝し、御礼を申し上げます。
今年、手前どもが営む三春昭進堂が100年目を迎えた時に「正賞」をいただきましたことは何よりの記念となりました。
さらに、過去の受賞者には、第4回受賞に大叔父、髙橋哲夫の名前もあり、大叔父の受賞も私と同年というのも何か因縁めいたものを感じ、ご先祖様、そして神仏という天からのご褒美かなと思っているところです。
「一冊の本が人生を変えることがある」と聞いたことがありますが、平成2年、当三春昭進堂に入社して間もない頃、カネサン書店さんで一冊の本と出合いました。
司馬遼太郎さんの「峠」です。主人公の河井継之助の生き方・考え方が知りたくてボロボロになるまで読み漁りました。
今でもことあるごとに読み返しています。
この本をきっかけとして教科書には乗らない歴史、そして郷土三春や田村の歴史に興味を持つようになりました。
本日、ご臨席賜りました田村大元神社さまや真照寺さまなど、三春城下の寺社仏閣はもちろん、歴代の三春城主、そして滝桜。塵壺や様々な場面で話の中で、たぶん歴民さんの次にお名前を使わせていただいているような気がいたします。
また、新聞や雑誌、そしてテレビなどで紹介されることが多くございますが、小さな三春だからこそ、引き立てていただいているものかとも思っています。
この場を借りて三春に感謝し、御礼申し上げます。
還暦を過ぎても「今日は、どんな面白いことあるのかなぁ」とワクワクしながら目覚めています。「夢見るころは終わった歳だろう」と云われますが、まだ、“トキメキの木は枯れていない”ということなのでしょう。
この塵壺は、新聞折り込チラシの塵壺が原点ですので、私の三春商人人生と常に共にありました。
思い返しますと、和洋菓子と商人修業、三春帰郷、新町睦会、経営塾、新町若連、田村大元神社別火講中、結婚、禅修行、三春分団長、三春小学校学校運営協議会長、そしてチラシや製本での塵壺発行等々、人生の節目となった出来事が多々ありました。
それで潰えればそれまでの運、乗り越えればまた別の運が開けるんだろうと考えながらも、そのたびに周りの方々に支えられ援けられて乗り越えてきたように思います。
今回のお祝い会にご臨席をいただい方々は、その節目々で出会った方々ばかりです。
そして今後の人生を左右するような「ご縁」であり、とても大きな意味がある事だと思っています。
「我以外皆わが師」ということなのでしょう、周りを見渡せば三春商人の発起人内藤忠さんはじめ、商売だけではなく、三春の発展に寄与しまちづくりにも参画し、お手本とする先輩方がたくさんいます。
また、金弥さんのお話にもありましたが、故伊藤寛元町長を要した「三春のまちづくり」で金弥さん、坂本町長をはじめとする職員の方々のがんばりなど、官民一体となったオール三春のまちづくりを、商工会青年部や経営塾、そして消防団等を通じて、目の前で長期的なスパンで見聞きして、その空気感も一緒に肌身で感じれたことはとても有意義だだったと感じています。
この受賞を励みに、今後も三春城下の商人の一人として和菓子屋や塵壺を通じて地域の文化の向上に寄与していきたいと考えています。
そしてもう一つ、これからの未来を担う子供たちへ「見たことのあるオンちゃんが本を出した」ということで、本そのものに親しむことはもちろんですが、「自己表現の一つの形として本の出版」というものを頭の片隅に残ってくれれば幸いです。
そして、古い三春町教育委員会のスローガンから「三春で学んだことを、子供たちが大人になっても誇れる教育」 三春小学校学校運営協議会長当時、何回使ったかわからない言葉ですが“学びとは、学校だけではなく家庭、そして地域の方々から教わることの大切さ”を改めて認識しているところです。
結びに、我が町三春の益々の発展と本日ご臨席の皆様のご多幸とご健勝、商売繁盛を祈念しまして御礼の言葉といたします。
本日はありがとうございました。
【式 次 第】 司会進行: 田中金弥
1、開 会
2、発起人代表あいさつ 内藤忠さん
3、来賓あいさつ 1)福島民報社代表取締役社長 安斎康史 様
2)三春町長 坂本浩之 様
4、受賞者ご夫妻への花束贈呈
贈呈者:相川義朗さん・多田広司さん
5、受賞者・高橋龍一さん あいさつ
6、乾杯のご発声 発声者:郡山市雲龍堂店主 阿部尋子さん
==== 懇 親 ====
*1~4テーブルごとに受賞者と一緒に記念写真撮影、その後
7,テーブルごとの代表者によるテーブルスピーチ
8、受賞者への記念贈呈 贈呈者:元代表区長 大内長久さん
9、お開きの万歳三唱 発声者:友人 村田信一さん
==== お 開 き ====
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2026-08-31 Mon
「塵壺~春陽郷三春思ひ附阿津免草」の第49回福島民報出版文化賞正賞受賞を三春町と三春町教育委員会へ報告の件が、三春町の広報誌令和8年9月号に掲載されました。
坂本三春町長、渡辺教育長、伊藤副町長と記念写真!
教育委員会を通じて、三春町立の学校へ塵壺を寄贈させていただきました。
三春城下御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍 100年
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2026-08-08 Sat
「塵壺~春陽郷三春思ひ附阿津免草~」の福島民報出版文化賞正賞を受賞した記念として三春町長や三春町教育長のご臨席をいただいて受賞の報告と三春町の小中学校へ塵壺を寄贈しました。
「見たことがある饅頭屋のおっちゃんが本を出した!」ということで、未来を担う子供たちに本の内容や本そのものに親しんでもらうことはもちろんですが、「自己表現の一つの形式「として「本の出版」ということも頭の片隅に置いてもらえればと考えています。
三春城下御菓子三春昭進堂 100年 菓匠蒼龍
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2026-07-31 Fri
第49回福島民報出版文化賞において、表彰の栄誉を賜り受賞者一同心より関係者の皆様には御礼と感謝を申し上げます。
私の著書「塵壺~春陽郷三春思ひ附阿津免草~」が正賞を賜り改めて御礼を申し上げます。
今回の受賞は、「塵壺」の由来である、幕末の越後長岡藩、河井継之助の師を求めて遊学した旅日記の如く、一重にお客様はじめ多くの方々からの長年にわたるご指導とご支援の賜物と改めて深く感謝いたしております。
今年、手前どもが営む三春昭進堂が100年目を迎えた年に、この正賞をいただきましたことは何よりの記念となりました。
また、過去の受賞された方々を拝見しますと、第4回には私の大叔父髙橋哲夫の名前もありました。
大叔父が当時63歳、私と同じ年というのも偶然ではなく必然だと思います
それまでどう生きてきたかの集大成として同じご褒美を用意して、次の代に伝えるお役目を新たに天より賜った思います。
未来を想像するお手本は、過去にしかありません。
温故知新、塵壺の歩みを更にひたすらに感謝をこめて次世代へ繋いでいきたいと思います。
さらに、今回の受賞は100年の節目にご先祖様や天からのご褒美と受け止め、感激しているところです。
以前より、当店発行の新聞折込のチラシ「塵壺」の愛読者のお客さまから「そのうち本にまとめるんだばい?」「親戚に送ってやっから~」という声をかけていただいていました。また、先の髙橋哲夫の自由民権運動関連の書籍出版や、三春城下の商人による出版や文化活動の手本となる方々の存在が出版の根底にあったように思っています。
この塵壺は、平成3年より、三春昭進堂販売促進用の新聞折込のチラシ塵壺を毎月一回、旧三春藩領内の市町村へ15000部ほど発行していますが、その中に大きくスペースを使いコラムを記載していています。
三春の歴史や寺社仏閣の話、禅寺で参禅の話、消防団や学校運営協議会さらに矢沢永吉さんなどのライブへ行ったことなど歴史だけではなく、私自身の役職、趣味そして身の回りのことを、思いついたままを書き記したものです。
そのコラムを一昨年、還暦と結婚30年、そして400号を迎えるにあたって、400近いコラムから130まで絞り込んで一冊の本にまとめたものです。
尚、妻への感謝と敬意を表して、発行日は結婚記念日としました。
そのコラムの中で多分私が三春の藩主や寺社仏閣、そして滝桜の名前を一番多く使っているかもしれません。
昭進堂の店名命名からちょうど100年にあたります。
明治末創業の絹製品商社「磐城商会」から、昭和という改元あわせて店名を「昭進堂」としたようです。
三春藩主祈願寺真照寺(堂)さまの門前でお不動様のご加護を受けながら、商いを通じて三春を昭(あか)るく照らしながら進んでいこうという意味で命名したと聞き及んでいます。
塵壺の正賞受賞は、これから三春町長にも報告に上がりますが、様々な方々からわがことのように大変に喜んでいただきました。三春に明るい話題を提供できたかなあと思っています。
「一冊の本が人生を変えることがある」と聞いたことがありますが、平成2年、当三春昭進堂に入社して間もない頃、近所の本屋さんで一冊の本と出合いました。
司馬遼太郎さんの「峠」です。主人公の河井継之助の生き方・考え方が知りたくてボロボロになるまで読み漁りました。現在3冊目です。この本をきっかけとして教科書には乗らない歴史、そして郷土三春や田村の歴史に興味を持つようになりました。
「我以外皆わが師」ということなのでしょう、周りを見渡せば三春の商人で手書きのチラシを配布している酒屋さん、そして団扇に三春盆踊の歴史や由来を記載してお客さんに配布していた呉服屋さんからなどからヒントを得まして、では自分は何をかけるのか?という中で、今興味をもって学んでいる郷土の歴史の発表という形で毎月表現してきたという次第です。
それと同じく、これからの未来を担う子供たちへ「見たことのあるオンちゃんが本を出した」ということで、本そのものに親しむことはもちろんですが、自分でも自己表現の一つの形として本の出版を子供たちの頭の片隅に残ってくれれば幸いです。
今もチラシ塵壺は同じペースで発行しており、本の売れ行きが好調にも気をよくして秘かに続編を企てているところです。
この受賞を励みに今後も三春城下の商人としてお菓子や塵壺を通じて地域の文化の向上に寄与していきたいと考えています。
結びに、郷土福島の文化の向上並びに福島民報社さまの益々のご発展、そして本日ご臨席の皆様のご多幸とご健勝を祈念しまして代表謝辞といたします。
本日はありがとうございました。
三春城下 磐城商会 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍
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2026-07-27 Mon
福島民報社 出版文化賞「正賞」を受賞しました!
第49回福島民報出版文化賞において、「塵壺~春陽郷三春思ひ附阿津免草~」が福島民報出版文化賞の正賞に選ばれました。
今年、昭進堂の店名命名からちょうど100年にあたります。
その記念すべき年に、このような賞に選ばれたことは、素直に嬉しく神仏からの御褒美と受け止めております。
今回の受賞は、ひとえに皆様方の長年にわたるご指導とご支援の賜物と、改めて深く感謝いたしております。
今後ともこの栄誉に恥じぬよう、一層精進してまいる所存ですので、変わらぬご厚誼とご指導を賜りますようお願い申し上げます。
ありがとうございます。
明治末創業の絹製品商社「磐城商会」から、昭和という年号にかわって、お堂(真照寺)の門前で新たな気持ちで昭(あか)るく進んでいこうという意味で命名した店名「昭進堂」と聞き及んでいます。
それから、激動の時代背景と共に紆余曲折を経ながらも、家族スタッフと一丸となって商いに精進し迎えた100年です。
磐城商会「三春昭進堂」として、次の100年を目指して新たな気持ちで商いをしていく所存でございます。
その節目に、幸先もよく嬉しいことが続きます。
本当にありがとうございます。
三春昭進堂 髙橋龍一
福島民報出版文化賞は県内の優れた出版物を顕彰し、出版文化の向上を目指すため、福島民報社が1978年度に創設されました。
還暦祝いと結婚30年、そして当店発行の新聞折込のチラシ塵壺発行400号を迎えられたことを記念して昨年5月「塵壺~春陽郷三春思ひ附阿津免草~」を出版いたしました。
発行済の塵壺のコラム「如是我聞」約400話の中から130話へ厳選して、三春の歴史や寺社仏閣を中心に歳時や、島根県浜田市観音寺での参禅、また、嘗て務めた役職の三春小学校学校運営協議会会長、三春町消防団三春分団長、三春大神宮祭礼三春若連連合会創設、故伊藤寛元町長や元三春町役場の田中金弥さん等の先輩方から教示された「町づくり」関連の話。そして大好きな矢沢永吉さんや木村充輝(憂歌団)さん等のライブ参戦や両国国技館での大相撲観戦等々様々な内容を記載して製本化しました。
塵壺という名称は、幕末の頃の越後長岡藩家老河井継之助が、若い頃に勉学のために師を求めて諸国を遊学した際に記した旅日記「塵壺」から、そして「春陽思ひ附阿津免草」は、幕末の三春城下検断回春堂橋元柳助が風雲告げる城下の様子を慶応3年から明治14年まで記した日記「思ひ附阿津免草(橋元文書)」から、それぞれ敬意を表して命名しました。
印刷も、当初は友人の会社でコピーしてもらったり、城下北町中屋商店の村田社長さんより「うちの印刷機で刷ってやるから持って来なさい」というお言葉に甘えて数年間お世話になりました。後に亀井にある赤井書店の赤井社長さんより「中古の印刷機が手に入ったので使って」と印刷機を譲っていただき自分で印刷していました。
和菓子屋の販売促進のための広告ですので、四季や歳時に合わせたお菓子の提案など告知して売り上げアップを意図していますが、四季を通じて三春城下や田村地域へお客様にお越しいただいて歴史探訪や買い物、旬のイベント等を堪能していただきたいという願いもございます。
コラム「如是我聞」の題材は、三春町史を基に田村兵戦記、奥陽仙道表鑑、奥州茶話記など郷土史資料を基本としていますが、大勢の方々から参考になればということで資料を提供して頂いたものが一番参考になっています。
それらを基に、その場所に足を運んで見聞したり、寺社や史跡のご近所の方にお話を伺ったりしながら記していますが、これが趣味と実益を兼ねたということなのでしょう面白くて仕方がありません。
塵壺の原点は、故渡辺和明さん(担橋わたや呉服店元会長)の考案した「わたや呉服店販促用団扇」に記載の「三春駒之助」というペンネームで和明さんが三春盆踊りの由来を書いたコラムです。
そして発行のきっかけとして、城下大町にあった「マルミ酒店」(後セブンイレブン三春熊耳店、現在は引退)のPR誌「マルミかわらばん」です。
これを初めて見たときに「景気の良い屁理屈を並べた派手な理想論ではなく、とにかく行動しろ!」と今までの自分の甘さを痛感した記憶があります。
古来より三春商人の生き様を見ますと、「経営者自身の自己実現を追求するだけが経営ではなく、お客様や従業員の物心両面での幸せを追求する」、そして「地域社会の進歩発展に貢献することが経営には大切である」と教示され、商人として人生を生きる上で必要な事柄をどれだけ教えてもらったことかわかりません。
先人から受け継いできたものを、未来を担う次世代にどう伝えていくかということを常に考えながら様々な角度から実践していくことがこの恩に報いる方策だと思います。
もう一つ、「塵壺~」を出版した目的に、未来を担う子供たちへの提言もあります。本書の内容もさることながら、見たことのある饅頭屋のおやじが本を出したということで、本や出版というものを身近に感じて、自身の生き方の選択肢のひとつに加えてもらえれば幸いだと思っています。
下山する朝、坐禅・朝課後の接心にて、今回出版した著書「塵壺~春陽郷三春思ひ附阿津免草~」の謹呈に際して、出版を祝し内容を称賛した「塵壺讃」とする佛詩と共に、身に余るお褒めのお言葉とお土産を賜りましたこと、恐悦至極に存じます。
塵壺郷土愛円成
歴史三春文化明
御用多繁中事業
坐禅道力作麼生
穆清
和訳:塵壺見しや 郷土愛一杯 此に円成せり
三春の歴史と文化 これにて明瞭編纂なり
御菓子匠 御用多繁中の大事業たり よくぞ勤めたり
佛法信心者なり 専ら工夫坐禅す その道や作麼生(そもさん) 穆清
塵壺見しや 郷土愛円一成杯なり
三春の歴史と文化 これにて明々白々たり
あゝ菓子匠始め 御用多繁中の大事業たり
佛道言心者たり 専ら工夫坐禅を行ぜり
その道力や作麼生か利他行を打せん
おたり饅頭 幸ちあれと一口召され餡を練る
穆清
今迄、皆さんからの励ましや温かさを何度も感じ、その力があったからこそ、困難な時も諦めずに歩み続けることができました。
人生は長い旅路のようなもので、途中には雨の日も晴れの日もありますが、皆さんの支えがあるからこそ、私はよりしっかりと歩んでこられたのだと思っています。
今後も、皆々様のご厚意にお応えすべく、これまで以上に三春の商人として和菓子屋の家業はもちろん、三春・田村の文化向上に寄与できるよう取り組んでまいる所存でございます。
これからも変わらぬお力添えを賜りますようお願い申し上げます。
尚、第4回(56年度)の正賞には、大叔父の高橋哲夫著「明治の士族」が選ばれています。
蒼龍謹白 さすけねぇぞい三春! 拝
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2026-02-10 Tue
塵壺415号 「塵壺~春陽郷三春思ひ附阿津免草~」 三春昭進堂代表 髙橋龍一 令和8年2月発行
還暦祝いと結婚30年、そして当店発行の新聞折込のチラシ塵壺発行400号を迎えられたことを記念して昨年5月「塵壺~春陽郷三春思ひ附阿津免草~」を出版いたしました。
発行済の塵壺のコラム「如是我聞」約400話の中から130話へ厳選して、三春の歴史や寺社仏閣を中心に歳時や、島根県浜田市観音寺での参禅、また、嘗て務めた役職の三春小学校学校運営協議会会長、三春町消防団三春分団長、三春大神宮祭礼三春若連連合会創設、故伊藤寛元町長や元三春町役場の田中金弥さん等の先輩方から教示された「町づくり」関連の話。
そして大好きな矢沢永吉さんや木村充輝(憂歌団)さん等のライブ参戦や両国国技館での大相撲観戦等々様々な内容を記載して製本化しました。
お陰様で好評をいただき売れ行きも良く、「塵壺Ⅱ」も数年後には発刊しようと企画しているところでございます。
塵壺という名称は、幕末の頃の越後長岡藩家老河井継之助が、若い頃に勉学のために師を求めて諸国を遊学した際に記した旅日記「塵壺」から、そして「春陽思ひ附阿津免草」は、幕末の三春城下検断回春堂橋元柳助が風雲告げる城下の様子を慶応3年から明治14年まで記した日記「思ひ附阿津免草(橋元文書)」から、それぞれ敬意を表して命名しました。
印刷も、当初は友人の会社でコピーしてもらったり、城下北町中屋商店の村田社長さんより「うちの印刷機で刷ってやるから持って来なさい」というお言葉に甘えて数年間お世話になりました。後に亀井にある赤井書店の赤井社長さんより「中古の印刷機が手に入ったので使って」と印刷機を譲っていただき自分で印刷していました。
和菓子屋の販売促進のための広告ですので、四季や歳時に合わせたお菓子の提案など告知して売り上げアップを意図していますが、四季を通じて三春城下や田村地域へお客様にお越しいただいて歴史探訪や買い物、旬のイベント等を堪能していただきたいという願いもございます。
コラム「如是我聞」の題材は、三春町史を基に田村兵戦記、奥陽仙道表鑑、奥州茶話記など郷土史資料を基本としていますが、大勢の方々から参考になればということで資料を提供して頂いたものが一番参考になっています。
それらを基に、その場所に足を運んで見聞したり、寺社や史跡のご近所の方にお話を伺ったりしながら記していますが、これが趣味と実益を兼ねたということなのでしょう面白くて仕方がありません。
塵壺の原点は、故渡辺和明さん(担橋わたや呉服店元会長)の考案した「わたや呉服店販促用団扇」に記載の「三春駒之助」というペンネームで和明さんが三春盆踊りの由来を書いたコラムです。
そして発行のきっかけとして、城下大町にあった「マルミ酒店」(後セブンイレブン三春熊耳店、現在は引退)のPR誌「マルミかわらばん」です。
これを初めて見たときに「景気の良い屁理屈を並べた派手な理想論ではなく、とにかく行動しろ!」と今までの自分の甘さを痛感した記憶があります。
古来より三春商人の生き様を見ますと、「経営者自身の自己実現を追求するだけが経営ではなく、お客様や従業員の物心両面での幸せを追求する」、そして「地域社会の進歩発展に貢献することが経営には大切である」と教示され、商人として人生を生きる上で必要な事柄をどれだけ教えてもらったことかわかりません。
先人から受け継いできたものを、未来を担う次世代にどう伝えていくかということを常に考えながら様々な角度から実践していくことがこの恩に報いる方策だと思います。
もう一つ、「塵壺~」を出版した目的に、未来を担う子供たちへの提言もあります。本書の内容もさることながら、見たことのある饅頭屋のおやじが本を出したということで、本や出版というものを身近に感じて、自身の生き方の選択肢のひとつに加えてもらえれば幸いだと思っています。
今迄、皆さんからの励ましや温かさを何度も感じ、その力があったからこそ、困難な時も諦めずに歩み続けることができました。人生は長い旅路のようなもので、途中には雨の日も晴れの日もありますが、皆さんの支えがあるからこそ、私はよりしっかりと歩んでこられたのだと思っています。
今後も、皆々様のご厚意にお応えすべく、これまで以上に三春の商人として和菓子屋の家業はもちろん、三春・田村の文化向上に寄与できるよう取り組んでまいる所存でございます。
これからも変わらぬお力添えを賜りますようお願い申し上げます。
蒼龍謹白 さすけねぇぞい三春! 拝
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