2024-12-13 Fri
当店の人気商品「三春田村四十八舘」にバナナが仲間入りしました。
バナナのジュレ(生のバナナを煮詰めたジャム)で味付けしたバターたっぷりのクルミ入りパウンドケーキです。
20年ぶりくらいに復活です。
三春城下御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍
| ryuichi | 03:59 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯::季節のお菓子 |
2024-12-11 Wed
「霧幻鉄道 MUGEN」 三春上映会
只見線を300日撮る男 郷土写真家星賢孝
2025年2月22日(土) 開場13:30上映14:00
鑑賞費:大人/1,000円
場所:三春交流館 まほら 0247-62-3837
主催・三春町映画祭実行委員会
問・佐久間 090-1931-9336 三春昭進堂
福島県・会津若松駅と新潟県・小出駅を結ぶローカル線、只見線のドキュメンタリー。
2011年7月に発生した新潟・福島豪雨の影響で一部不通に陥っていた同線の復活と、そこに関わった地元写真家・星賢孝の姿を映す。
監督を務めるのは『「知事抹殺」の真実』などの安孫子亘。
三春昭進堂でもチケットをお預りしています。
お声がけください。
写真家、星賢考「只見線」 カレンダー 2024
映画『「霧幻鉄道」〜只見線を300日撮る男〜』
先の郡山で開催された上映会の佐久間実行委員長から、星さんのサイン入りカレンダーをいただきました。
来年の2月のは三春交流館まほらでの上映会を企画しているそうです。
只見線も磐越西線、そして磐越東線も同じ赤字ローカル線です。
今後のあり方を考える上で、良いヒントがあるはずだと思います。
三春城下御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍
| ryuichi | 03:40 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯 |
2024-12-10 Tue
本日の火曜日は定休日となっています。
またのご来店をお待ちしています。
三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂
| ryuichi | 03:15 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯 |
2024-12-09 Mon
三春昭進堂のクリスマス・ケーキ 2024 ご予約承ります。
家族や友人と過ごすクリスマスパーティーを華やかに彩る三春昭進堂のクリスマス・ケーキ!
安心・安全をモットーに素材の味を生かし、四季折々の果物、厳選した素材を使っています。
「美味しい」事はもちろん見た目も美しく、素材・技・心をテーマに一つ一つ丁寧に、手作りの味と夢のあるケーキを作っております。
スポンジに、今年は森永の低脂肪の新鮮な生クリームと福島県産イチゴをサンドした、スペシャルクリスマスデコレーションケーキです。
この時期しか作らない幻の逸品です。
たまごは勿論船引の大倉商店特選「大倉たまご屋の玄米飼料たまご」
薄力粉は、神戸増田製粉所の北海道産小麦100%「内麦ゴールド」
北海道産小麦にこだわりました。
適度な弾力としっとりさ、滑らかな口当たりを実現した小麦粉です。
洋菓子屋で修業した和菓子屋が、年に一度一所懸命作るクリスマス・ケーキです。
小麦粉はもちろん、卵、牛乳、バター、砂糖、塩に至るまでとびきりの選りすぐり材料だけで焼き上げたスポンジ。
その品のよい味わいとしっとりやわらかな食感をお楽しみください。
当日売りも若干ご用意する予定でございます。
*おたりばあさんが造る訳ではありませんので、ご注意ください・・・
春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍
| ryuichi | 03:06 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯 |
2024-12-08 Sun
論文「化粧井戸伝説が映す信仰の世界」福島県の事例から 内藤浩誉
『國學院雑誌』創刊百三十周年記念特集
「伝承文化研究の現在」 令和六年十一月
先に取材協力した國學院大學の内藤先生の論文「化粧井戸伝説が映す信仰の世界」が『國學院雑誌』創刊百三十周年記念特集「伝承文化研究の現在」 令和六年十一月に掲載され、内藤様より送付いただきました。
眼の前にある庚申坂新地(弓町新地)について遊郭の元女将さんや、私からすると曾祖父が読み書きそろばんが出来たことから遊郭の帳場のお手伝いをしていたという経緯から、嫁である祖母や、孫の父から聞き及んだ事柄などの話をお伝えしたものです。
店頭に置いておきますので興味のある方はお声がけください。
『國學院雑誌』は、本年で創刊130周年
三春城下御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍
| ryuichi | 03:57 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯 |
2024-12-05 Thu
私は、還暦を迎えた今年度の集大成として、講師として4回講座で戦国時代の三春田村氏を中心とした歴史講座に望んでいます。
田村氏旧臣の多い郡山市中田地域の郷土史研究会の講座です。
このお話をいただいてから中田町地域の神社やお寺、そして、城跡を廻ったりと・・・これも先祖以来のご縁あるめぐり合わせかと・・・・
今回改めて戦国時代の田村の庄を中心とした、御春輩と称する平姓三春田村氏の旧臣衆と向き合っています。
「しっかり講話せよ!」と田村旧臣にお叱りをいただかないよう、あと2回の講座を自分なりに頑張る所存であります。
そして、もう少し戦国の世の田村庄を堪能したいと思います。
いざ出陣じゃ!
「春陽三春郷(旧三春藩領)の歴史あれこれ・塵壺より」
中田町郷土歴史研究会 講演会 於中田ふれあいセンター
令和6年12月4日(水) 毎週水曜日 4回 講演 午後1時30分~
三春昭進堂代表 髙橋龍一 塵壺発行責任者
講演項目
・三春田村氏と南方要害(中田町周辺)武士団
・中世の田村庄と小野保周辺「奥州田村六十六郷・小野六郷」
・三春城主秋田氏
・幕末戊辰戦争と三春藩
参照資料
「田母神旧記」
「田村家臣録」
「田村系譜」
『中田町の文化財』 中田町郷土歴史研究会 1~4
『なかた町史』 中田町郷土歴史研究会 第1集
『仙道田村荘史』青山正
『田村郡郷土史』田村郡教育會
『岩磐史料叢書、岩磐史料刊行會
『三春町史』 三春町
『船引町史』 船引町
『大越町史』 大越町
『滝根町史』 滝根町
『姓氏家系大辞典』 太田亮 姓氏家系大辞典刊行会
中世の商人 坂東屋富松和泉守氏久
室町時代、南奥州から北関東で活躍した豪商・坂東屋富松四郎和泉守氏久(富松という名称は世襲)がいました。
商人でありながら和泉守(前・左衛門尉)という官位を拝領し、当時の営業活動全般が取り仕切られている“座”から奥州諸大名を相手に、熊野新宮参詣を案内できる権利「先達職(せんだつしょく)」を購入し「熊野先達職」を保有していました。
熊野先達職というのは、田村庄を管轄する熊野へ行く際に、旅程にある各関所の通行手形の発給手続きや、道中の宿泊施設の手配など現在の旅行代理店業務をすることで手数料を徴収する観光業者的な役職です。
坂東屋富松は、室町幕府より、もう一つ大事な仕事を任されていました。
それは、室町幕府の将軍職就任や家督継承等の各種慶事の祝い、そして奥州諸氏の京都へ入洛する際の御礼や心配りの付け届け、御祝儀等々を督促・集金して廻ること、さらに、将軍の名前より一文字の拝領や、武将官位の下賜による叙位任官等への勧誘及び申請などを幕府執政に成り代わって行うことでした。
武将官位とは、田村大膳太夫清顕、松下石見守長綱、安東秋田城介實季などに見られる「○○太夫」「○○守」「○○介」のことで「受領名」「官職名」などを指しています。この叙位官位には、幕府への金品の授受が必要とされ、衰退していた室町幕府にとっては正当な財源の一つで、坂東屋富松はその報酬として手数料を取っていました。
伊達政宗の曾祖父である伊達植宗の従四位下・左京大夫職の任官及び陸奥国守護補任には富松氏久が、また、植宗の子晴宗の左京大夫補任やその子輝宗の韓字拝領などの際には富松与一が、さらに天正十六年には豊臣秀吉の奉行衆の一人で富田一白の書状を伊達政宗のもとに伝えて上洛催足の役を務め、翌十七年から十八年には伊達氏による会津葦名侵略に対する秀吉の意向や上方の政情を政宗に伝えたのも坂東屋道有・・・というように、坂東屋富松の事業継承者による仲介がありました。
尚、伊達植宗は、坂東屋富松を駆使して官位取得、さらに奥州探題職就任を目指して、巨大山城・桑折西山城を築城して最新の防御設備をすでに備え、信長より先んじて家臣の城下集住も行い、伊達の領土拡大と武家のみならず民衆にも適用される法令を整備した新たな国づくりを行っています。また、昨今の城ブームの中で“信長より三十年早く城下町を造った武将”として注目を集めています。
「祐玄熊野先達代官職預請文」(青山文書・永享二年)「奥州田村庄熊野先達之御代管領状之事」を見ますと荘園制度の中の熊野新宮領(荘園)で、後の三春藩領の母体となる田村庄の熊野先達との其れなりの関わりが記されています。
室町中期の永享二年(1430)、田村庄熊野先達の代管職を入質して流した田村大蔵祐玄がこの代官職を「坂東屋のつし」から預けられたことに提出した証文が記載されており、今後は先達として参詣の度に一人500文ずつの上分を坂東屋に納めることが記されています。
また、康正二年(1456)「乗々院役者連署奉書」(青山文書・嘉吉元年)には、田村庄司遠末一家(三春田村氏系統?)先達職を湯上坊(磐城守山大元帥明王山内)から買い取った坂東屋道公が田村兵部公へ譲与してその任を安堵したもの。さらに大永五年(1525)の売券では「田村三分一御道者」の先達職を小祭刑卿覚清が蒲倉蓮光坊(蒲倉大祥院?)へ売却の際の請人に坂東屋富松がなっていると記されています。
板東屋富松は、伊達家だけでなく、田村庄田村氏、白川荘白川氏など他の奥州領主の下でも自身の商売として働いているようで、坂東屋富松の南奥州に於ける活躍は現代の総合商社的な役割を担っており、東北北関東の諸大名家への営業活動も、当時の政治経済の中心である京都との文化経済の流通を担って室町幕府とくに政所と深い交渉をもったものとみられています。
これらの活躍は室町時代の中期には始まっており、室町幕府減亡後、豊臣政権とも関係を保ったことから、徳川幕府成立前後まで約百五十年は続いたと思われます。
| ryuichi | 03:19 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯 |
2024-12-04 Wed
伊達天正日記 天正十五年
岩田書院史料選書7
南奥羽戦国史研究会編 「編集担当」 遠藤ゆり子・佐藤貴浩・高橋俊介・戸谷穂高
「伊達天正日記」は、天正15-18年(1587-90)における伊達政宗の動向を、側近が記したものです。
この時期は、政宗が家督を継承してから2年後の21~24歳(数え年)に相当し、政治動向が大きく変化していく南奧羽の戦国末期を知る上で重要な史料だといえます。
比較的、政情の落ち着いていた天正十五年には、本拠米沢近辺での鷹狩や川狩りなどを楽しむ政宗の日常生活や、諸事件への対応といった伊達氏の内政を垣間見ることができる。だが次第に近隣諸氏との戦争が激しくなると、外交上の遣り取りや戦争準備に忙しかった様子を伝える記事が増えるようになる。
天正十七年には会津の蘆名氏を滅ぼし、会津黒川城へと入城した頃の状況が知られ、豊臣政権から上洛を求められていた同十八年三月で日記は終わっている。
(本書 説明文および「解題(遠藤ゆり子執筆」より)
三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂
| ryuichi | 03:32 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯 |
TOP PAGE △