2026-08-21 Fri
慈眼寺にある会見の間は、戊辰戦争の際、慶応4(1868)年5月2日に長岡藩家老であった河井継之助が、小千谷に本陣を置いた西軍軍監・土佐藩出身で血気盛んな24歳の岩村高俊(精一郎)と講和談判を行った場所です。
司馬遼太郎は「峠」の取材活動で小千谷市を訪ねています。
昭和39年の夏だったが、筆者はにわかにこの寺を訪れたくなり、小千谷へ行った。真昼というのにせまい街路には人通りがまれで、道を聞くのにこまるほどであった。
やっと老人を見つけた。老人は法事の帰りといった風体で、絽の羽織をつけ、麦わらの固い帽子をかぶっていた。
慈眼寺はどこですか、ときくとだまってうなづいてついてきてくれた。
「長岡から継之助がやってきたというのも、こうゆう暑い日だったらしい」と老人は突如いった。
司馬遼太郎「峠」より
河井継之助の風姿を知らんがために慈眼寺に来る 山ねの蝉声をききつつ
昭和四十年八月 司馬遼太郎
河井継之助は、1827年(文政10)に越後の長岡城下に生まれました。
諸国を遊学した後、長岡に戻り、その才知と先見性により、藩の要職を任されるようになります。
幕末の越後長岡藩の非門別、一代限りの家老で、戊辰長岡戦争の軍事総督を務めました。
薩長諸藩と対峙する重大事に家老上席となり、奥羽越列藩同盟の結成に参加し、薩長軍(西軍)と対峙します。
小千谷市平成にある、慈眼寺(じげんじ)の会見の間は、慶応4年(1868年)5月2日、長岡藩家老河井継之助(かわいつぎのすけ)が藩主の嘆願書(たんがんしょ)を持参、小千谷に本陣を置いた薩摩と長州を中心とした新政府軍(西軍)の山道軍軍監岩村高俊(いわむらたかとし)(精一郎(せいいちろう))と講和談判を行った場所です。
現在でも、寺の中に、その会談の部屋が、“河井・岩村会見の間”として当時のまま残されています。
継之助は土佐藩出身の新政府軍監、岩村精一郎と会談し、中立を維持するので長岡藩領に入らないように要求しています。
「内戦で国土を疲弊させるよりも諸藩が団結してあたらしい国づくりをめざすべきだ、と主張し、会津をはじめ旧幕府軍に和睦を結ぶように説得するから、猶予がほしい」と願い出ます。
軍監岩村は、継之助の訴えを拒んで、嘆願書を見ることもなく、無条件降伏をせまったと伝えられ、この談判は30分ほどで決裂します。
しかし、継之助はあきらめきれずに近くに宿を取り、翌朝まであらゆる手立てを講じてを会談再開の手はずを企てますがすべて拒否されます。
これにより意を決した継之助の指令により、長岡藩は会津藩擁する奥羽25藩と越後6藩で結成された「奥羽越列藩同盟」の先陣を切って、北越戊辰戦争の激戦へと運命を辿っていきます。
結局長岡藩はこれ以降、藩を挙げて新政府軍と抗戦することになりました。
長岡藩の態度決定により北越諸藩も隊列に加わり、越後は半年間にわたって広く戦場になりました。
北越の戦いは、小千谷周辺の榎峠や朝日山での戦いなどを経て、7月29日に長岡城が落城するまで続きました。なお河井はこれに先立つ7月24日の戦いで重傷を負い、会津に逃送中の8月16日に塩沢村(現・福島県只見町)で亡くなりました。
河井を尊敬、敬慕してやまなかった長岡出身の日本海軍元帥山本五十六は、太平洋戦争直前、当時の欧米事情にも詳しく、戦略的に見て日独伊の三国軍事同盟や日米開戦に最後まで反対していました。
「私は河井継之助が小千谷談判に赴き、天下の和平を談笑のうちに決しようとした。
あの精神をもって使命に従う。
軍縮は、世界平和、そして日本の安全のため、必ず成立させねばならぬらぬ」
世界海軍軍縮会議予備交渉に出席する際に、郷土長岡の先人河井継之助の小千谷談判を持ち出し友人に語った言葉
河井継之助も山本五十六も、結果的には戦争の最高責任者として敗戦を全て背負いこむことになりますが、その前段でどれだけその戦争を回避しようとしたか・・・
今を生きる、我々は忘れてはいけません。
人間、成敗(成功不成功)の計算をかさねつづけてついに行きづまったとき、残された唯一の道として美へ昇華しなければならない。
「美ヲ済ス」それが人間が神に迫り得る道である。
いま、この大変動期にあたり、人間なる者がことごとく薩長の勝利者におもねり、打算に走り、あらそって新時代の側につき、旧恩をわすれ、男子の道をわすれ、言うべきことを言わなかったならば、後世はどうなるのであろう。
~中略
これ以上は、道がない。むろん、全藩降伏という道はある。しかしながら、わが長岡藩はそれを望まぬ。
瓦全は、意気ある男子の恥ずるところ。よろしく公論を百年の後に俟って玉砕せんのみ
峠より
三春城下 御菓子三春昭進堂 100年 菓匠蒼龍磐城商会
| ryuichi | 03:58 | comments (x) | trackback (x) | 🌸蒼龍窟 河井継之助 |
2022-09-07 Wed
映画「最後のサムライ・峠」を見たということもあって、只見町塩沢にある「河井継之助記念館」へ行ってまいりました
もちろん、河井の骸骨が埋葬されている医王寺にある河井継之助の墓前に参って手を合わせててきました。
この場所は、戊辰北越戦争で長岡が落城し河井自身も重傷を負って再起をかけて会津若松へ転戦の途中、傷が悪化して命を落とした場所です。
お墓には、荼毘・火葬に付した際に取り残した骨を村人がこっそりと埋葬したものが眠っており、薩長を中心とする西軍に見つからないように名前は伏せてありました。
「人というものが世にあるうち、もっとも大切なのは出処進退の四字でございます。そのうち進むと出づるは人の助けを要さねばならないが、処ると退くは、人の力をかりずともよく、自分でできるもの。拙者が今大役を断ったのは退いて野におる、ということで自ら決すべきことでござる。天地に恥ずるところなし」
司馬遼太郎氏が小説「峠」のの中で河井の台詞に使った文章です。
私の大好きな言葉の一つです
開館50年と云うことで以前の姿が懐かしい蒼龍窟終焉の間です。
ここは奥会津です。
温泉パラダイスなんです。
大塩温泉共同浴場・・
八町温泉「亀の湯」
玉梨温泉「せせらぎ荘」
そして、宿泊は玉梨温泉「恵比寿屋」
三島では「テレサ・テン」写真展を行っていました。
では一曲!泣き出してしまいそう~♪
悠大君もつれてこればよかった!
令和4年10月1日に只見線復旧戦線開通ということで、各神社には御祭礼旗が建てられ、陣幕を纏った社・・・等お祝いムードが高まっていました。
丁度この日は、全線開通に向けた試験列車の運行ということもあってそれぞれのポイントでは鉄道写真マニアの方々が多数陣取っていました。
三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍
| ryuichi | 04:39 | comments (x) | trackback (x) | 🌸蒼龍窟 河井継之助 |
2022-06-23 Thu

拝啓、河井継之助殿
映画「峠・最後のサムライ」
幕末、越後長岡(現新潟県長岡市)の一代限りの非門別家老として”戊辰戦争”に際して、長岡藩軍事総督として長岡藩を率いて戦った河井継之助の生き方を描いた作品です。
要所に大塩平八郎や西郷隆盛も学んだ陽明学の学理がちりばめられています。
私と河井継之助との出会いは、約40年くらい前になりますが戊辰の役北陸戦争を描いたNHK大河ドラマ「花神」の中に登場した髙橋秀樹さんの演じる河井が最初でした。
そして、40年前の菓子屋修行中に今後の商売のやり方をあれこれ考えた時期、カネサン書店で司馬遼太郎の「峠」上下巻に出会って衝撃を受け以来読み続けて3冊目となっています。
屋号三春昭進堂に加えて菓匠蒼龍と雅号をつけていますがこれも河井継之助の雅号からいただきました。
三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍
| ryuichi | 04:06 | comments (x) | trackback (x) | 🌸蒼龍窟 河井継之助 |
2022-06-12 Sun
お客様より、越後長岡にある河井継之助記念館発行の河井継之助記念館友の会会報「峠・常在戦場」の25号~27号、そして、只見町文化財調査員飯塚恒夫氏はっこうの「町史 とっておきの話」の河井継之助関連の資料を頂戴しました。
お客様はも河井継之助のファンということで、しばし河井談議に花が咲きました。
来週より上映開始となる映画「峠・最後のサムライ」を待ち望んでいたものでご縁に感謝しながら、拝読しました。
ありがとうございます。
店内には、今から四十年くらい前に只見町塩沢の河井継之助記念館の前身である「河井継之助終焉の間」を管理されていた当主の矢沢翁からいただいた越後長岡藩家老河井継之助退路絵図」を掲げてあります。
三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍
| ryuichi | 04:07 | comments (x) | trackback (x) | 🌸蒼龍窟 河井継之助 |
2022-06-01 Wed
敵軍50,000人、たった690人で挑んだ“最後のサムライ”
脚本・監督:小泉堯史 主演:役所広司『峠 最後のサムライ』
令和4年6月17日(金)公開!
司馬遼太郎の名著が、初の映画化!坂本龍馬と並び称された、“知られざる英雄”河井継之助を描く、歴史超大作!
大政奉還により徳川幕府が終焉。その後、新政府(西軍)と旧幕府勢力(東軍)による戊辰戦争が勃発した。
越後の小藩、長岡藩の家老・河井継之助は、民の暮らしを守るため、東軍・西軍いずれにも属さない、武装中立を目指した。
しかし、談判は決裂。
継之助は徳川譜代の大名としての義を貫き、東軍として戦う道を選ぶ。
『峠 最後のサムライ』では妻を愛し、国を想う継之助の、最後の戦いを描いていく。
「武士の世の中は滅びる。かつてなかった、新しい世の中がやってくる」
「サムライの道を忘れ、行うべきことを行わなかったら、後の世はどうなる?」
「命なんざ、使う時に使わねば、意味がない!」――
継之助の信念がこめられた力強い言葉がちりばめられ、国と愛する人のため、最後まで美しく生き抜いた姿が胸を打つ!

| ryuichi | 04:32 | comments (x) | trackback (x) | 🌸蒼龍窟 河井継之助 |
2020-08-04 Tue
奥会津只見の米焼酎「ねっか」を友人からお土産に頂きました。
しかも、幕末の越後長岡非門別家老河井継之助のラベルの「継ねっか」です。
私が、河井を尊敬、いや”崇拝”することを知っていてのお土産です。
ありがとうございます。
幕末、越後長岡(現新潟県長岡市)の非門別家老で”戊辰戦争”に際して、長岡藩軍事総督として長岡藩を率いて戦いました。
代々家老になる家柄ではない河井家出身の継之助が、その思いと行動力によって家老、そして長岡藩軍事総督という藩の最高指揮者にまでなり、難局を乗り越えました。
画像は、当時世界で3基しかなかった「ガットリング砲」と河井の銅像です。
何故只見町に長岡藩の家老の記念館?と不思議に思うかもしれませんが、薩長等の西軍との戦いで奪われた長岡城を再度奪い返すなど、戊辰戦争電の最大の激闘を繰り返し、約半年間にわたり善戦しましたが、自身も銃弾の倒れ大けがを負い、長岡藩の敗走となり、長岡から栃尾経由で”八十里峠越”を超えて会津若松を目指す途中、この只見の塩沢の医師,矢沢宗益宅で亡くなりました。
追撃する西軍が迫る中、死を悟り、河井は下僕の松蔵に棺桶と薪を用意させ「自分の亡骸を西軍に渡して成らぬ・・・」と云い残し、燃え上がる薪を観ながら息を引き取ったと司馬遼太郎の著書「峠」では締めくくられています。
火葬された河井の遺骨は、大きな部分は松蔵が会津へ運び埋葬され、後に長岡の河井家の菩提寺栄涼寺に改葬されます。
拾い残した遺骨は、村人が現記念館の東手にある医王寺に埋葬され、毎年命日の8月16日には慰霊の墓前祭が開催されています。
私と河井継之助との出会いは約40年くらい前のNHK大河ドラマ「花神」の中に登場した髙橋秀樹さんの演じる河井が最初でした。
子供ながらに、田舎の小さな大名、それも一代限りの家老が、永世中立を称え「会津と薩長の仲立ちをして平和解決を目指す」という壮大な夢に感銘を受け、さらに平和解決が無理となるや当時世界レベルの軍事力にまで仕上げた長岡藩を率いて、徹底的に戦うと・・・これがが始まりです。
それから、10年後カネサン書店で司馬遼太郎の「峠」上下巻に出会って衝撃を受けたことを覚えています。

敵軍50,000人、たった690人で挑んだ“最後のサムライ”
脚本・監督:小泉堯史 主演:役所広司『峠 最後のサムライ』9月25日(金)公開!でしたが、コロナ騒動で延期となりました。
映画は、司馬遼太郎の名著が、初の映画化!坂本龍馬と並び称された、“知られざる英雄”河井継之助を描く、歴史超大作!
大政奉還により徳川幕府が終焉。その後、新政府(西軍)と旧幕府勢力(東軍)による戊辰戦争が勃発した。
越後の小藩、長岡藩の家老・河井継之助は、民の暮らしを守るため、東軍・西軍いずれにも属さない、武装中立を目指した。
しかし、談判は決裂。
継之助は徳川譜代の大名としての義を貫き、東軍として戦う道を選ぶ。
「武士の世の中は滅びる。かつてなかった、新しい世の中がやってくる」
「サムライの道を忘れ、行うべきことを行わなかったら、後の世はどうなる?」
「命なんざ、使う時に使わねば、意味がない!」――
継之助の信念がこめられた力強い言葉がちりばめられ、国と愛する人のため、最後まで美しく生き抜いた姿が胸を打れます。
三春名物「おたりまんじゅう本舗」御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍
| ryuichi | 04:25 | comments (x) | trackback (x) | 🌸蒼龍窟 河井継之助 |
2020-05-24 Sun

【7daysブックカバーチャレンジ】 1Day
[Book Cover Challenge ]
7日間ブックカバーチャレンジとは、読書文化の普及に貢献するためのチャレンジで、参加方法は好きな本を1日1冊、7日間投稿するというもの。
島根県浜田市三隅にある龍雲寺方丈の野原眞承様よりバトンを受領しまして、1日目に紹介させて頂くのは、司馬遼太郎著「峠」上下巻を紹介します。
「峠」という作品は、幕末、越後長岡(現新潟県長岡市)の一代限りの非門別家老として”戊辰戦争”に際して、長岡藩軍事総督として長岡藩を率いて戦った河井継之助の生き方を描いた作品です。
要所に大塩平八郎や西郷隆盛も学んだ陽明学の学理がちりばめられています。
私と河井継之助との出会いは、約40年くらい前になりますが戊辰の役北陸戦争を描いたNHK大河ドラマ「花神」の中に登場した髙橋秀樹さんの演じる河井が最初でした。
それから、10年後、菓子屋の修行中に今後の商売のやり方をあれこれ考えた時期に書店で司馬遼太郎の「峠」上下巻に出会って衝撃を受け以来読み続けて3冊目となっています。
屋号三春昭進堂に加えて菓匠蒼龍と雅号をつけていますがこれも河井継之助の雅号からいただきました。
名前にも龍、そして蒼龍、眞承様のお寺も龍雲寺~龍繋がりの御縁を感じています。

尚、この秋、この峠を原作とした映画「峠 最後のサムライ」が公開される予定です。
春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍
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