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「ナニコレ珍百景・宇賀神様の不思議な看板」の直会 白岩高屋敷稲神社




「ナニコレ珍百景・宇賀神様の不思議な看板」の直会 



先の放送された「ナニコレ珍百景・宇賀神様の不思議な看板」の直会を高屋敷稲神社鈴木宮司の計らいで社務所をお借りして行いました。






宇賀神様の話、テレビ出演の話、龍の話等で盛り上がりました。







ご縁があり、良い機会ですので、御初穂とお菓子を奉納しながら社殿にて「二礼二拍手一礼」の作法により“ご縁に感謝”“商売繁盛”を祈願して参拝させていただきました。


また、昭和16年10月に撮影された高屋敷稲荷神社秋季祭礼の全景写真の解説をいただきながら稲荷神社の歴史を拝聴することが出きました。






祭礼の日の撮影です。


社殿はもちろん、最盛期には4000本と伝わる“朱ノ鳥居”、数件の茶店、稲刈り途中の田んぼ、稲荷山の全景、改装前の参道等、そして、芝居小屋が掛けられ役者や大勢の観客が写っています。







拝殿の土手一面に着座する人、芝居小屋の周りを囲む・・・・その人の多さがお分かりいただけるでしょうか?






戦前までは、日本全国はもとより、三春の地より、遠く海外へ移民した人々の成功御礼の建立があり、ハワイ・ブラジル・満州などからの所願成就祈願・御礼の鳥居建立があったとされていたことがうなずける写真です。

この参拝者の人数には驚きです!








「舞木のお稲荷様」、古くは「舞木の“いなっしゃま”」と称され親しまれてきた「高屋敷稲荷神社」

江戸時代飢饉の際に、御仁徳の厚かった時の天皇(東山天皇か中御門天皇、もしくは前年の元禄期よりの領主、守山藩主か?)から3年間年貢を免除してもらったことに感謝した農民達が、庄屋・鈴木権兵衛を中心に、五穀の神として名高い伏見稲荷大社の御分霊を頂いて祀ったのが、高屋敷稲荷神社の始まりとされています。

以来、享保・明和・天保の大飢饉を経て信者が増えました。


後に、嘉永年間(1848〜1854)に、白岩庄屋の青山久助により、高屋敷稲荷神社の社殿(昭和9年以前の社殿)が建て替えられています。








また、別のアルバムには上記の写真の拡大分割写真に交じって、社殿回収の折に保存していいた出征・帰還軍人の無事帰還の祈願・御礼の御札が数枚保管されておりました。






よく見ると帰還軍人 ~ 三春町山中の住所に見知った方のお名前があります。


この方は無事帰還され、生涯三春町のために尽くされ長寿の天寿を全うされた方です。

翌朝、その画像を近所に住む娘さんにお届けして、事の次第を伝えてまいりました。

ここでもまた不思議なご縁がございました。









これも、宇賀神様、そして、高屋敷稲荷神社の御稲荷様の「御利益、福徳のご縁」の賜物と考えております。









今回の御縁の始まりはS様からの「あの祠が気になる~ 掃除していいもんでしょうか?」の一言から始まったものと考えています。

この素敵なご縁を運んでいただいたことに対し、心より感謝申し上げます。









また、高屋敷稲荷神社の鈴木宮司さまには、諸般亘りにお骨折りをいただき重ねて御礼と感謝を申し上げます。









三春名物「おたりまんじゅう」本舗 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍




| ryuichi | 04:25 | comments (x) | trackback (x) | 🌸「商売繁盛祈願」 舞木の稲荷さま~ 高屋敷稲荷神社 |