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塵壺355号「田村大元神社随身門の彫刻」文中、彫刻の作者の名前が伊藤光運となっていますが伊東光運誤りです。
塵壺355号 
「田村大元神社随身門の彫刻」

文中、彫刻の作者の名前が伊藤光運となっていますが伊東光運の表記の誤りです。

訂正いたします。



| ryuichi | 18:44 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯 |
 塵壺355号 「田村大元神社随身門(明王さまの仁王門)の彫刻」 令和3年2月発行
 



  田村大元神社随身門(明王さまの仁王門)の彫刻
 
今年は新型コロナウイルス感染拡大防止の影響により、正月三が日を外した初詣のお陰で、ゆっくりと詣でることが出来ました。その折に久しぶりに荘厳な彫刻の施された随身門をじっくりと眺めてきました。





 現在の田村大元神社の随身門(ずいしんもん)は、三春藩領内総鎮守大元帥明王社(現田村大元神社)の仁王門として幕末の慶応四年(明治元年)に建築された「八脚楼門」総けやき造りの神社外郭の大門です。









 今でも「明王さま」(訛ってミオさま)と呼ばれる田村大元神社は、戦国期の三春田村氏時代から江戸期の秋田氏藩政下まで、仏教・外敵を駆逐し国を守護する大元帥明王を御本尊としてお祀りする三春藩の領内総鎮社で、三春五万石領民の崇敬を受けてきました。

 しかし、神仏混淆(しんぶつこんこう)の大元帥明王は、明治維新後の神仏分離、廃仏毀釈の影響により、明治二年に本殿、拝殿ともに取り壊され、仁王門と中に納まる仁王像の二尊も廃棄の憂き目にあいます。

以後、御祭神も国常立命に代わり、名称も田村大元神社へ改変され仁王門も随身門となっています。





 慶応4年竣工の仁王門自体は竣工間もない新築なので、そのまま「随身門」として残され、仁王様の二尊は、元々明王社別当(管理官)の三春藩主祈願所真照寺に移され、本堂正面の軒下に仮遷宮していました。

 時代は下って、“真照寺の仁王さま”と親しまれていたこの仁王様は、太平洋戦争後の信仰の自由解放に伴って“神仏混淆の禁”も解けたこともあり、昭和43年に三春城下の新町の氏子信徒の熱望と文化財保護の施策とが実を結んで、田村大元神社随身門(仁王門)への帰還の運びとなり“平成の修復”を経て現在のお姿となっています。

 本来、随身門とは、神様・神社を守る守護神として武官姿の随身像(守護神像)を左右に安置し祀った総門のことで、上記の理由から随身像は、拝殿側に遷宮され、拝殿から見て左側が豊磐間戸命(とよいわどのみこと)、右側が奇磐間戸命(くしいわまどのみこと)で、俗に矢大神(やだいじん)・左大神(さだいじん)と呼ばれる随身木造像が鎮座されています。

 随身(ずいじん)とは、御随身(みずいじん)と称し、平安時代以降、貴族の外出時に警護のために随従した近衛府の官人のことです。






境内入口の正面の欄間には、二尊の龍が勇ましい姿で彫られています。

自分の名前に龍の文字がついているものですから、幼き頃よりこの龍たちには特に親しみがあります。







 そして、仁王様が納まる正面左側には「麒麟が行く」でお馴染みの「麒麟」が二躯。

麒麟は中国の想像上の動物です。麒は雄、麟は雌とも言われています。

聖人が出現する前兆として現れるといわれ、麒麟児などと示されるように、文字の意には才能があるという事。






同じく、右側には唐獅子の二躯が和毬と戯れています。

唐獅子とは、百獣の王と言われ、魔除けや護獣を意味します。






 また、入口正面の梁と柱の結合部にある左右には「龍」の姿が・・・左右対称に設えられ口の開閉となれば「阿吽ノ龍」ということでしょうか?










 この「阿」「吽」とは、仏教の輪廻的な意味では、人は生まれたときに“あ”と口を開いて生まれるといい、亡くなるときには“うん”と満足して逝くといわれています。
即ち、生きるということは全て修行であり、一生懸命生きなさいという“命の大切さ”を説いているとされています。






  随身門を入り、奇磐間戸命像の上には「海人(あま)」が彫られた欄間が納まっています。

 物語は、讃岐国(現在の香川県)志度の浦の海人(海女)が、藤原不比等と契って生んだ我が子(房前)を世に出すため、命を捨てて竜宮から宝珠を取り戻したという伝説で、龍女の姿で現れた母の亡霊を、「法華経」の功徳で成仏したことを表しています。
 
我が子の立身のために、死地におもむく深大な母性愛、女性の強さを壮烈に描いた物語です。




 

 同じく豊磐間戸命像上の欄間には、三国志で王佐の才をふるい劉邦を皇帝にした中国漢の国の名軍師「張良」の彫刻です。

 張良が、漢の高祖の臣張良が黄石公の落とした沓をささげて真心を示し、その兵法の奥義を授かるという故事で、この欄間には馬に乗った黄石公、張良は沓を持って龍に乗って追いかける姿が彫られています。





 
これら作者は、伊東光運と伝えられていますが、一説には芹ケ沢の西尾官吉だともいわれます。
 
光運指揮の元で、官吉も一緒に彫刻に取り組んだのかもしれません。

光運は、石森の人で久我之助観吾と称し、父は観正院の法印でした。

木工に秀で、三春大神宮の神馬や田村大元神社本殿・拝殿彫刻等の作品も残っています。







  蒼龍謹白  疫病退散祈願 With三春城下 さすけねぇぞい三春! 拝







◎ 「真照寺節分会」 三春藩主秋田家祈願所真照寺

 令和3年(2021年)は、節分の日が2月2日になります。
 真照寺節分会ですが、新型コロナウイルス拡大防止の観点から「節分会豆まき」は中止となります。
 当日は、事前申し込みによる所願成就の護摩焚きの御祈祷とお札受けのみとなります。

 ※節分の日が、この2日になるのは明治30年(1897)2月2日以来124年ぶりだそうです。

 商売繁盛、厄払い、合格祈願、コロナ退散等々の所願成就の祈祷は、三千円、五千円、一万円などから受け付けています。
前日までに申し込みください。

 尚、今年の初寅は2月23日(火・天皇誕生日)となります。こちらも飲食を伴う直会を取りやめて、コロナ対策を取っての事前申し込みによる所願成就、コロナ退散等の護摩焚き御祈祷とお札受けのみとなります。

問い合わせ・申し込み 真照寺0247-62-2705







| ryuichi | 04:02 | comments (x) | trackback (x) | 🌸「塵壺」 三春昭進堂 |