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双六山城  門澤 田村四十八舘




双六山城  門澤 田村四十八舘

七郷村大字門澤にありました。

平貞盛七代の孫である安俊が、源頼朝に仕え、後に門澤○季を称し、奥州門澤深山御座城に居住し、安種に至ります。

時代は下がって、永禄年間に三春城主田村清顕に属し橋本城に移り、其の子満定門澤六郎と称し双六山城に居住します。

天正十七年、岩城城主岩城常隆が大軍を率いて田村領に攻め込みます。

この際に、伊達政宗の援兵茂庭定直と共に奮戦して戦死します。

墓所は、門澤常洛寺(現常楽寺)に在ります。

尚、茂庭定直の墓所は門澤宇堂山飛龍寺にあります。

茂庭定直は、伊達政宗より三春田村の援軍として加勢し、門澤城を守備しますが岩城勢と激戦の上天正十七年に戦死します。



門澤城攻防戦 

天正17年5月27日、 岩城常隆は小野に布陣して門沢を攻めます。

従う勢は竹貫三河守重元・同越後守 同大蔵少輔・ 好間土佐守・白土摂津守・植田但馬守 舟尾右兵術将以下3千余。

27日から門沢城に弓鉄砲を射掛け攻防が始まりました。

門沢勢は、伊達家中の中島右衛門宗意 大町宮内少幡守ら千余人の加勢を受けて善戦しましたが、数に勝る岩城勢に押され町郭を焼かれ、門沢城の外構えを破られます。

門澤勢が、三の丸を固めた中島右衛門尉以下 20余騎は討たれ、 大町 宮野内らは三春に退却します。

この門澤城の攻防戦で田村方は城主以下 400人が討たれ、 岩城勢も 100余人を失います。




三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:07 | comments (x) | trackback (x) | 🌸田村四十八舘2 |