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「奥州下国殿之代々之名法日記」 熊野那智大社関連文書 安東氏
「奥州下国殿之代々之名法日記」 熊野那智大社関連文書

安藤又太郎宗季、其御子息師季、其子ニ法季、其子二盛季、其子ニ泰季と申、今の下国殿也。永享十二年(1440)ノ頃。嘉吉元年 

「奥州下国殿之代々之名法日記」米良文書(和歌山県熊野那智大社所蔵)によれば、嘉吉元年(1441)、紀伊国熊野郡那智神社の先達(尻引三世寺別当)が、檀那・安東・安藤氏の嫡流の系図を作成し、御師の実法院に提出している。

熊野那智社の檀那となった氏族は一代に一度は那智社に参詣し、宝前に願文と系図を奉納するのが慣例であり、この系図は、当主の署名・花押に先達の署判を加えた正文が宝前に捧げられ、その写しが御師のもとに残されたものです。
※師季(高季)の父と書かれている宗季が譲状と合わせて、季久であること、高季の子・盛季の父が法季であることがわかる。

 安藤又大郎殿号下国殿、今安藤殿親父宗季と申候也、今安藤殿師季と申候也、

 この史料は、貞和五年(1349)一二月二九日「陸奥国持津先達旦那注進状案」、熊野那智大社文書である。師季が下国と号し、当主は又太郎と名乗っていたことがわかる。
「伝承と史実のあいだに」他 参考

熊野と津軽はこの文書に示されているように結ばれており、安東(藤)氏の祖先は糠部建部に拘わり合いを持ち、それは紀州からあの白浜の地名が残る沿岸を少しずつ北上してきた集団ではなかったのかとも考えられます。

そこに安東水軍という海運水軍構築の形成過程が見え隠れしてきます。

その延長線上に、安東氏の本拠地が古八戸湾であるように思えてしかたがありません。

さらに、その本拠を古八戸湾から下北へ、そして十三港へと時代と共に飛躍させていったように思える。


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| ryuichi | 04:50 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春藩主 安東秋田氏 |