2026-01-09 Fri
日比谷公園付近は、江戸時代にがあった場所です。
有楽町門を入って右側、“心字池”の前にあり、日比谷見附跡の石垣の斜前付近の通路沿いに青い説明看板があります。
仙台藩外桜田上屋敷があり、伊達政宗公は寛永13年(1636年)年5月、ここで70年の生涯を閉じました。
仙台藩江戸屋敷は、慶長6年(1601年)、仙台藩祖伊達政宗が徳川家康より江戸屋敷を与えられたことが最初とされており、その際に与えられた屋敷が外桜田上屋敷です。
外桜田上屋敷は政宗から三代綱宗の時代、慶長6年(1601年)から寛文元年(1661年)までの間、上屋敷(大名が江戸で居住し政務を行った屋敷)として使用されました。
その敷地は、東西は“心字池”西岸から庭球場東端まで、南北は日比谷掘沿いの道路から小音楽堂付近まで広がっていたものと推定されています。
仙台藩の江戸屋敷は、で日比谷門北の桜田(現在の日比谷公園)に政宗が暮らす上屋敷と本屋敷、そして、愛宕下(現在の西新橋)に中屋敷、芝の増上寺北側に下屋敷を拝領しました。
愛姫は、慶長8年(1603)江戸へ下りました。
正確には、愛姫がどこの藩邸に住んでいたは、判ってはいませんが、当初は上屋敷に政宗・愛姫夫婦と愛姫の子どもたち、本屋敷に長男の秀宗が暮らし、他の側室や子どもたち、さらに多くの家臣たちは中屋敷や下屋敷に暮らしていたと思われます。
その後、伊達家は1641年に下屋敷を芝から汐留の浜屋敷に替え、明暦の大火後の都市再編により、桜田の代わりに麻布や品川に屋敷を拝領し、浜屋敷が上屋敷になります。
愛姫は政宗の死後、下屋敷で隠棲しますので、芝や汐留の屋敷で暮らしたものと考えられ、死後、松島の陽徳院霊屋(瑞巌寺管理)に埋葬されています。
陽徳院霊屋は、万治3年(1660)に3代藩主綱宗によって造営されています。
愛姫は三春城主田村清顕の娘。
政略結婚により12歳の時に政宗に嫁いで以来、57年、政宗に寄り添った才色兼備の夫人。
後に松平忠輝に嫁いだ五郎八姫や2代忠宗を産んでいます。
愛姫は政宗の死後、落飾して陽徳院を称し、70歳で亡くなるまで17年間、夫政宗の菩提を弔ったそうです。
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| ryuichi | 03:27 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯 |
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