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三春物語99番 日清・日露の書簡 「ふるさと」 ~戦場からの手紙~
先ほど、カネサン書店の社長から一冊の本を手渡されました。

昨年に発表された「日清・日露の書簡 ふるさと」と題された、三春在住の伊藤氏の著書でした。

内容は、伊藤さんの曽祖父の弟である 日本陸軍大尉 伊藤卯三郎さんが、日清戦争から日露戦争を生き抜いてきた時期の、家族に宛てた三百通の書簡をまとめたものす。

そこには、自らも瀕死の重傷を負った、戦場での悲壮な体験や、故郷三春への思い、家族そして部下への気遣い等が記載されています。
当時の中級以下の軍人の大多数は、農家の次男以下の方々が従軍していました。

跡取りは長男と規定されていた時代、貧しい農家の次男以下の子供たちは、よほど裕福な農家でなければ、耕す農地は貰えず、

軍人になるか大店へ奉公に出るかしない限り、生きてゆく術がありませんでした。

日清・日露戦争当時は、まだ、「戊辰の役」で朝敵の汚名を受けた東北諸藩の出身者は、御国(日本)のためという大義名分もありますが、家族そして郷土の汚名(朝敵)返上という思いが強かったと聞き及んでいます。


.農民兵は、軍隊生活を格別に辛いものとも受け止めず、人も嫌がる軍隊も何一つ不自由なことがありません、と受け止める農民兵士の姿があります。


当時の日本は、「軍隊教育が学校教育の延長の意味」を持ち、特に「戊辰の役」で敗戦地域の農民を対等に扱ってくれる社会のない中で、「軍隊では都会人もインテリも労働者も、また農民もまったく平等な扱い」をしたことが読み取れます。


しかも「階層秩序のきびしい農村社会の序列の中で、その序列を変え得る手だて」としては、「軍隊において占めた階級、星の数」があったことが強調されている。

このような「軍隊につよい憧れを抱かせ、志願までせしめた」農民兵士の生まれた根本的な原因は、東北の農民の「底知れぬ生活の貧しさ」にあるとされています。

命をたいせつにし、それを守り貫く願いは、未来に繋がる願いである。その願いがどんなにか細いものであっても、それをふとらし、はぐくんでいく営みが、現代に生きる意義だということを、戦場からの手紙の中にある「心の絆」が、声を限りにさけんでいるようです。


これらの文章は、農生産への意欲、愛するものとともに生活したいという平和、そして命への渇望の表現ではないであろうか。

「あるべき人民」の姿が、現実の農民の「魂」の中に存在するはずであり、それを掘り起こすのだという観点が色濃く刻まれている。当時の「軍隊を支える農民像」は、いわば戦前の農民の現実態であったように感じえません。


この本を読み進むうちに、そうした思いと共に、職業軍人である卯三郎さんの子孫である、筆者の「平和」を願い「幸福を求める」願いが主人公である卯三郎さんのその息遣いとともに生の声として伝わってきます。


三春に住む後輩として、時の過ぎるのを忘れ読み進むうちに、いつの間にか ほほを涙が伝っていました。
 
「国家の存在感が薄くなった今日から見れば、当時の人々の絆の固さは、その暗い世相さえ払拭しているように感じます・・・・中略・・・国家の求心力は権力や経済力ではなく、まして軍事力でもなく、文化や伝統ある歴史に求めるべきであることを多くの人々は知っています。現在を相対比できるのは過去に他なりません」

   筆者のあとがきから






鯨魚(いさな)取り海や死にする山や死にする死ぬれこそ海は潮干て山は枯れすれ

大意:海は死にますか 山は死にますか。死にます。死ぬからこそ潮は引き、山は枯れるのです。

『万葉集』 第16巻 第3852番 防人の歌 詠み人知れず


 
 

| ryuichi | 22:54 | comments (0) | trackback (x) | 🌸「塵壺」 三春昭進堂 |
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