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田村庄司家と三春田村氏 令和元年
田村庄司家と三春田村氏

鎌倉時代以降、田村荘の領主は藤原仲能系と考えられている田村庄司家であったたことは各種史料によって知られ、応永年間(1394~1427)に没落し、田村庄の支配は平姓田村氏の手に移ったとされてきました。

田村庄司家田村輝顕は、浄野の後裔で始めて田村を称したといわれる古哲から数えて十七代目とされているが、史料によって確認できる上限は直顕であり、輝顕以前の正確な系譜は不明である。
 


田村庄司氏は、一説に鎌倉幕府の評定衆であった田村刑部大輔仲能の嫡流という。

田村荘の立荘過程は不明ですが、建武二年(1335) の「陸奧国宣」が初見となっています。

当荘などの検断職が結城親朝に与えられた。と記されています。


これ以前は、中原親能の猶子で“田村”を号した前刑部大輔藤原仲能が、みちのくに”田村の郷”を支配していたとの記録もあります。

ここで仲能系藤原氏によって立荘されたことで、藤原姓と田村が文面として結びついて、藤原系田村氏という記載になっていったのではないかと考えられます。



先頃の研究では南北朝期の動乱と応永二、三年の田村荘司の乱で藤原姓荘司系田村氏が没落し、代わって平姓三春系田村氏が台頭して地域権力となったとされるとされてきましたが、上記の検証から見れば応永の一揆でみられる田村氏一族は平姓で藤原姓ではなく、平姓荘司系田村氏が平姓三春田村氏に発展し、一族一揆的結合から戦国大名化を遂げたとする。


田村庄司職を継承したとみられる三春田村氏は、田村義顕が大元帥明王社に奉納した大般若経に平義顕とあり、同様に田村清顕発行文書には平清顕とあることから、平姓と考えられます。

つまり、田村庄司家と三春田村氏が同じ平姓の一族であり、応永年間前後に惣領職が移動したと考えられます。



後に田村氏は三春に城を移して時流を巧みに泳ぎ、北畠顕家をしてその定かならぬ去従は「御春(三春)の輩」と嘆かせる行動をとり、次第に勢力を拡大していきます。


田村庄では、庄司家の衰退によって、小国人が分立し独立性を強めた。関東の料所が設定されたため、彼らは関東公方に忠勤を励みつつ、不利益となる外圧に抵抗し、また、分立から生まれる不安定な状況に対処するために、応永11年(1404年)、近隣諸地域の国人領主たちと一揆契約を交わしている。


十五世紀のはじめ、田村一族が中心となって結んだとみられる「一揆契状」があり、この頃の田村庄の国人として、そこには「みよた越前守宗秀」をはじめ、山城守秀遠、宮内少輔季広、伊豆守季春ら田村氏の一族であろう人名が列記されています。



田村氏は、南北朝の内乱に際して陸奥守北畠顕家に従い常に南朝方として宇津峰城に立てこもり、一年余にわたって北朝方の攻撃に耐えたが、ついに正平八年五月宇津峰城は落城し、奥州の南朝方の勢力は失墜します。


以後、陸奥の地は、足利幕府が、奥州管領、羽州管領(探題)を通じて直接支配しますが、関東公方、足利氏満のときに、関東府の支配下に置かれるようになります。
 
南朝方で行動したとはいえ、田村庄司家は一定の勢力を維持できたようです。


田村則義・清包父子のとき「小山義政の乱」が起り、嫡男の田村庄司父子は敗れた義政の遺児若犬丸を匿い、関東公方足利氏満に反旗を翻した。
この乱は、「田村庄司の乱」とよばれている。


応永三年(1396)、鎌倉公方足利氏満みずからが率いる討伐軍によって田村庄司家以下の叛乱軍は、敗走します。

その結果、田村荘の三分の一は、関東公方の料所となり、下総結城氏に預けられます。

時代は下がって、南奥では、白川結城氏朝、および、その猶子直朝が四隣に影響力をふるっていました。

田村直顕は宝徳3年(1451年)から記録に見え、結城氏のもとで代官的な役割をつとめるとともに、娘を結城直朝の孫顕頼に嫁がせるなど、田村庄内での地歩を固めていきます。   

一方、白川結城氏は、永正7年(1510年)、当主政朝(直朝の子)が、有力庶子家小峯家の当主朝脩を攻殺すると、朝脩の父直常が政朝を放逐するなど内乱によって勢力を失い、三春田村氏はここに結城氏の支配を脱し、戦国大名へと成長して行きます。




参考文献
垣内和孝「中世田村氏と蒲倉大祥院」地方史研究第46巻第6号 1996年12月
青山正『仙道田村荘史』、1930年。
田村郡教育會『田村郡郷土史』、1904年。
『岩磐史料叢書』、岩磐史料刊行會、1916年
『三春町史』、三春町、1980年。
『船引町史』、船引町、1982年。
『大越町史』、大越町、1998年。
『滝根町史』、滝根町、1989年。





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| ryuichi | 04:28 | comments (x) | trackback (x) | 🌸戦国大名 三春田村氏::御春輩(みはるのともがら) 田村武士衆 |