2009-06-20 Sat
御前滝の機織御前三春城下南西を流れる大多鬼川流域には、河にまつわる様々な伝承が残されている。
不動滝の下流、西方郷は、戦国田村時代は、千葉紀伊守が駐屯した田村四十八舘西方舘があり、西方舘毎年正月元旦に奇祭「西方の水かけ祭り」挙行されている。
その集落を流れる大多鬼川の畔に御前滝と呼ぶ滝がある。
御前滝は、昔は滝音がすさまじく、せまい峡谷にこだまして響き、道行く人たちも普通の声では話ができないほどであった。この御前滝には大蛇が住んでいて、滝つぼに石を投げ込むと一天にわかに掻き曇って大雨が振り出すと言われていた。
ここには機織御前の伝説がある。
昔、オトヨという娘が隣村から嫁に来たが、機織ができなかった。縫い物や機織は女として当然の仕事であったが、オトヨは山仕事は男勝りで力もあったものの縫い物は不得手でそのことが心配であった。
そのうちに、村の祭りの日のためにどうしても機織をしなければならない日が来て、姑に「あねよ、うちでも山仕事も片付いたから機を織ってくんねぇか」と言いつけられた。
オトヨはハイと返事をしたものの、できるものでもなく、2日2晩悩み続け3日目の夕方、とうとうハタンを背負ったままこの滝つぼに身を投げてしまった。
その後、村人がそこを通ると滝の中からかすかに機織の音が聞こえるようになった。 村人は哀れなオトヨに同情して滝の岩の上にお堂を建て、供養をした。それから機織の音は聞こえなくなったという。
のちに機織・縫い物の神として、若い女はオサや褄などを供えて信仰したという。滝は御前滝と呼ばれるようになった。
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