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塵壺360号「三春藩フランス商人との蚕種紙商取引契約不履行事件」令和3年7月発行




「三春藩フランス商人との蚕種紙商取引契約不履行事件」

2021年のNHK大河ドラマ「青天を衝け(せいてんをつけ)」でその生涯が描かれ、さらに2024年には新しい一万円札に肖像が使われる「渋沢栄一」。

一橋家家臣、幕臣、明治初頭の官僚を経て実業界に身を投じると、創設に関与した企業は500を数えます。

欧米列強諸国の経済的強大さに対抗するため、日本に近代産業を早急に根付かせて発展させる必要があるという理念を持ち東京株式取引所(現略称: JPX株式会社日本取引所・東京証券取引所)、大阪株式取引所(現JPX・大阪取引所)の設立等をしています。

さらに、民間実業界の総力を挙げて近代社会発展に寄与する為に「東京商法会議所」など、さまざまな経済団体を組織して政府に実業界の要望を積極的に伝えています。    
開国後、海外貿易は諸外国に支配されており、幕府はじめ諸藩や商人皆一様に外国の商社を使うしかなく、金相場相違も相まって外国の商人の独壇場でした。

これを危惧したのが、渋沢はじめ、小栗上野介(幕府勘定奉行「神戸商社」)、坂本龍馬(亀山社中・海援隊)、三野村利左エ門(三井創始者)、岩崎弥太郎(三菱創始者)など幕末の日本で活躍した先進的な経済人でした。

彼らは欧米諸国が日本に対しては武力によるものではなく、経済(商い)による侵略(交易)だということを見抜いていました。







三春にも、武士と外国商人との商いの難しさを物語っている一例があります。

幕末の慶応3年10月、三春藩が関連した「フランス人商人蚕種紙取引引き渡し条約不履行事件」が発生します。

これは、三春藩士奥村清酒が江戸藩邸在府中、藩邸藩重役の秋田斎(いつき)、小野寺金兵衛らが、同じく三春藩士(藩士の家来の陪臣?)渡田虎雄の周旋で横浜駐留のフランス商人と絹や和紙等の商いをしますが、不慣れな武家商売で齟齬をきたして契約不履行となり、国際訴訟事件にまで発展してしまいました。

この頃の日本に来る外国の商人の中には、開国したての新天地で一旗揚げようという胡散臭い輩が多数いたと記されています。

全国の三百諸藩、とくに東国の諸藩は、「出島」で取引経験のある長崎や大阪に貿易の為の藩邸を有する西国の雄藩とは違い外国との商取引は不慣れの為、各所で商い不履行が発生して賠償金騒ぎをおこしています。

三春藩は、この事案について藩費をもって決済して商取引に加わった藩関係者を厳に処しました。奥村清酒は最も重く、知行召し放し、永蟄居、兄奥村権之助に預けとなります。
また、縁坐法によって清酒の父俊蔵の従兄弟にあたる秋田斎も隠居、その他一族数十人がその咎を受けています。

もちろん周旋した渡田虎雄も藩から追放されたということは言うまでもありません。






これらの採決扱いは、江戸留守居役年寄(江戸家老)目付小野寺市太夫公忠でした。

このころ「参勤交代の廃止」、「鳥羽伏見の戦い」の発生などで全国諸藩は国表への帰郷との沙汰が発布されましたので、三春江戸藩邸でも撤収作業が終わり、市太夫は、江戸藩邸留守居役として一人残り、残務整理をしていました。

追放された渡田虎雄とその一味は、今回のフランス商人との条約不履行事件での採決を不服・逆恨みをして、警備手薄な三春藩邸に一人在邸する高齢の市太夫を襲撃し、市太夫は非業の死を遂げてしまいます。

この事件は、武士の海外貿易という商いの不慣れの中で藩の不祥事の処断をめぐって渡田らの私怨を買い、非業の死を遂げ、藩政に殉じたともいえるものでした。






因みに、時間は少し戻りますが、水戸・薩摩脱藩浪士によって大老井伊直弼が討たれた『桜田門外の変』の時に外桜田門の内側にある「内桜田門」の警固を担当していたのは、小野寺市太夫の嫡男小野寺舎人(とねり)でした。

   「疫病退散祈願」  蒼龍謹白 さすけねぇぞい三春!  拝



| ryuichi | 04:37 | comments (x) | trackback (x) | 🌸「塵壺」 三春昭進堂 |