2023-05-13 Sat
旧吉田誠次郎亭別邸 蔵座敷「紫雲閣」
吉田家住宅は、生糸商の吉田誠次郎によって明治30年代に建てられた邸宅です。
吉田誠次郎は、三春在駒板村 (現郡山市中田町駒板) の吉田常三郎の次男として生まれ、三春城下中町の商人釜屋宗像善吾の次女と結婚して養子となりました。
釜屋善吾は三春生糸「三春駒」の商標を取得して、東京や横浜で生糸商を行いました。
後に誠次郎は明治28年に分家して独立して益々生糸問屋として商いを拡げながら、取引先の外国人向けに錦絵や書画そして骨董の販売を行い、さらに金融業に手を拡げて1代で財を築きました。
誠次郎は、分家を機に三春城下に於いて居宅を新築、その邸宅は母屋と隠居として建てられた離れは隣接する紫雲寺に由来する「紫雲閣」と呼ばれる座敷蔵から構成されています。
離れの蔵座敷「紫雲閣」
この紫雲閣は、誠次郎の隠居部屋として建てられました。
誠二郎氏は謡曲、妻は和歌と、ともに風流な嗜みを持っていましたが、紫雲閣の設えは摩訶不思議が広がります。
2階建ての蔵座敷で計4室ありますが、どの部屋も見たこともないような独特の意匠が満載です。
1階の和室の床には、複雑な三角形をした床脇。
2階の茶室には、3本の奇木が床の間を飾り立てています。
柱や床框には龍の彫り物を施すなど、とにかく驚きの連続です。
2階の8畳間に現れるのは、龍の彫り物の巨大な2本の床柱。
柱や長押、天井に至るまで、全て漆塗りの唐風になっています。
ありとあらゆる銘木・奇木や漆を多用した旧吉田家住宅。
福島県の経済をリードした三春商人の明治後期における経済・文化の交流を考察しながら、粋な遊び心を垣間見ることが出来ます。
外観の蔵と内部が別々の構造を成しています。
蔵を先に在って(曳家をして移動した形跡有)、内部を一階部分から創り上げていく・・・
大工、左官、建具屋、漆塗師、そして、建主である誠次郎氏の見識と情熱が作り上げた豪華絢爛な遊び心がいっぱい詰まった建物です。
文化伝承館(国登録有形文化財旧吉田家住宅)について
明治中期、三春商人吉田誠次郎氏は、生糸商として横浜や東京の問屋を通じて海外貿易、さらには金融業、骨董商としても外国人向けに錦絵、書画、骨董の売買なども行い、一代で財を築きました。
明治28年(1895)、紫雲寺の参道脇に自宅を建てました。
敷地300坪に2階建ての主屋と蔵座敷「紫雲閣」がそれです。
三春の商人の蔵は城下町だけあってちょっと独特な配置があります。
商人の力量である「財産」を自慢するように表通りに面して建てるのでではなく、武士に遠慮して店舗屋敷の裏手に建てていましたが明治になってもそれは変わりありません。
この「紫雲閣」のその通りで裏通りにある自宅の一番奥まった場所に建ててあります。
また、その外観は普通の蔵ですが、内部には今でも最高級の材料を惜しげもなく使って、装飾や部材等々目を奪わんばかりの贅を尽くした造りとなっています。
当館は、令和2(2020)年に、国登録有形文化財に登録されました。
三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍
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