2024-04-24 Wed
「戦の世に生きて~独眼竜政宗公正室愛姫様の生涯~」小林克巳 (著)
旧御木澤村出身の歴史家伊藤さんより、小林克巳先生の書かれた「戦の世に生きて~独眼竜政宗公正室愛姫様の生涯~」を献書として頂戴しました。
この作品は、先に三春町交流館「まほら」で公演された「愛姫をもっと知ろう」~琵琶と舞と歴民の藤井さんのおもしろ講話~
の元になった小説で、小林先生の依頼で伊藤さんが、資料提供と時代考証等のアドバイスをされた作品です。
小林先生は経歴が示す通り病院を経営されている現役の医者の傍ら様々な小説を世に送り出しています。
そして今回は愛姫
戦国時代と言えば、猛々しい武士たちの生き様に注目しがちですが、その影には彼らを支える力強くも温かい妻・女性たちの力強い姿がありその典型を三春田村氏の娘で伊達政宗の“愛姫(めごひめ)”法名・陽徳院の視線を通して描いた作品です。
愛姫について、妙心寺百五十三世住持で瑞巌寺中興開山導師の雲居禅師も「家庭をよく治め、慈愛深く聡明な奥方であられました」とその人柄を語る言葉が伝わっています。
愛姫こと法名・陽徳院は、永禄12年ころ(1569年)田村郡三春町に城を持つ戦国大名田村清顕の娘として生まれました。
そのころ田村氏は、蘆名(会津)・二階堂(須賀川)・石川(石川)・白川(白河)・岩城(いわき)など、敵に周囲を囲まれていました。
このような状況の中で、清顕は伊達氏と結ぶことによって家を守ろうと考え、娘である愛姫を当時米沢城主だった伊達輝宗の嫡男政宗に嫁がせます。
この縁談によって伊達氏の力を得て、田村氏は領地を維持することができました。
政宗と愛姫は一時夫婦仲が悪くなったと伝えられていますが、その後夫婦関係は修復に向かったと思われ彼女が京の聚楽第の伊達屋敷に移ってから、文禄3年(1594年)には後に松平忠輝の正室となる五郎八姫を出産しています。
それから、仙台藩2代藩主の忠宗、岩ヶ崎伊達家初代当主の宗綱、田村家の養嗣子となるはずだった竹松丸の4人の子を政宗との間に授かっています。
太閤秀吉・豊臣の天下となり聚楽第の伊達屋敷に住むようになってからも、今でいうファースト・レディー外交的な役割で政宗に京の情勢を知らせ「天下はいまだ定まっておりませぬ。殿は天地の大義に従って去就をお決め下さりませ。私の身はお案じなさいますな、匕首を常に懐に持っております。誓って辱めは受けませぬ」という手紙を送り、絶えず政宗を“内助の功”で乱世の伊達外交を支えていたと美談が伝わっています。
[著者略歴]
小林克巳
福島県立医科大学卒
同大第1外科
水戸赤十字病院外科
(現)医療法人社団克仁会理事長
茨城県医学会学術地域医療功労者賞受賞
茨城文学小説部門受賞「朱の大地」
《著書》
「秀吉と利休 ~相剋の朝~」
「信長と久秀 ~悪名の誉~」
「皇国の興廃 ~この一戦にあり~」
「朱の大地」
「邂逅」
「平成の徒然草」
三春田村氏は、豊臣秀吉によって奥羽仕置により改易になりましたが、愛姫のはたらきかけにより、孫にあたる宗良が田村氏を名乗り岩沼三万石の大名に取り立てられました。後に、所替えにより一関三万石を領し幕末まで続きました。
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| ryuichi | 03:55 | comments (x) | trackback (x) | 🌸戦国大名 三春田村氏 |
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