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「ご長寿万歳!“孤高の軍師”田村宮内少輔顕頼月斎入道」 
 



塵壺394号 令和6年4月26日発行

   ご長寿万歳!“孤高の軍師”田村宮内少輔顕頼月斎入道 
 
滝桜の樹齢千年には及びませんが、群雄割拠の戦国時代に103歳の高齢になっても軍略・知略を用いて第一線に立って政務・戦闘指揮を執っていた生涯現役の武将が三春にいました。


田村宮内少輔顕頼(頼顕の記載もあり)がその人で、仏門に帰依して落飾「月斎入道」と称した戦国武将三春田村氏の参謀役の軍師です。


日和田八丁目(守山?)から、三春に城を築いた三春田村氏初代となる田村大膳太夫義顕(植顕)の弟です。

甥にあたる三春二代の民部少輔下総守隆顕、そして、三代となる大膳太夫侍従清顕をも補佐して三春田村氏を名実ともに一級の戦国武将に導いた立役者の一人です。
また、甥の田村右馬顕基入道梅雪斎、同右衛門清康、橋本刑部顕徳(月斎の次男?)らとともに「田村氏四天王」と称されていました。

月斎は、田村家中の最長老として重きをなしその子供達、

嫡男・顕重 出家して出羽秋田の宗輪寺に住持、

次男・上宇津志城主の宇津志(移)宮内少輔(太夫)顕康(顕貞)、

三男・新田城主 新田民部顕輝(土佐守顕成)、

四男・田村石見守顕朝、(橋本刑部少輔顕徳?)

五男・早稲川舘の早稲川右馬助顕純、

六男・阿久津舘の阿久津右京亮顕義、

七男・木目沢舘の木目沢善五郎顕継、

八男・大槻舘の大槻内蔵頭顕直(仙道表鑑・田村系譜等参照)

月斎の一族郎党で「月一統」と称される田村家中における一大勢力を構成していました。



 三春田村氏の最盛期の領地は田村郡を基本として仙道のほぼ全域に達していましたが、月斎は領土拡大に於いて田村家三世代に亘る歴代当主に仕えて家中で重きをなし、合戦においては最前線に陣取って戦の要となる「軍師」を務め、その勇猛さは周辺諸家に知られ、「畠に地縛、田に蛭藻、田村に月斎、無けりゃよい」(仙道軍兵記)と謳われるほどでした。



 先頭の最前線となる諸城の城主を勤めた後に、三春城下の本丸北西、橋本刑部顕徳の舘近くに“椿舘”と称された「月斎舘(現消防三春分署の北側)」を築いて三春御城(舞鶴城)及び城下防衛の要所を固めます。


 月斎は、戦国の教養人としても第一級で、天正六年五月、跡取りの宮内顕康のために一五ヵ条から成る家訓を記しています(世文書)。

今に伝わるのはそのうちの八ヵ条ですが、 博奕双六の禁止、狂言・綺語を慎しむべきことなど、一身を修めることについての厳しい戒めとあわせて、戦陣における敵打の厳禁、および、家中の喧嘩両成敗など、戦国の世を生き残る為に軍律秩序の堅持に関する事柄が記載されていますが、この家訓の文言からは、戦国時代を生き残る術に対する知識の高さがうかがえます。



 天正十三(1585)年十二月、田村家菩提寺福聚寺第九世・定南紹策大和尚は、月斎の求めに応じて「不思議以=天命、如期罷成候事、畢竟弓矢之冥一、夫月斎公者、[田村賀翁居士之第二子而、 或時遊三六芸之園、或時者志]」と記された一文を創っています。
 

さらに、月斎は、天澤寺第六世・心叟道存大和尚から仏道を習う参禅の者として「正徹」という諱(死後その徳をたたえて贈られる名)と「頂山」の号を拝受、そして「聖休」とも号した記載も残ります。

 晩年、平窪(現いわき市中平窪岩間)にある義姉の実家、岩城氏と縁の深い常勝院岩城寺所蔵の古文書の中に月斎が後継ぎである宮内大輔に送ったとされる遺書が残っていますが、その文筆を見ると文才の高さがうかがえます。


 和歌を嗜む優美さと、禅宗に帰依し法名も「月斎」とするなど、仏道心とを兼ね備えた第一級の戦国武将でもありました。

 月斎は長寿の武将として伝わっています。三春に本拠移し舞鶴城築城の永正元年(1504年)が元服後の17歳。以来、戦陣に明け暮れ会津蘆名氏、須賀川二階堂氏、常陸佐竹氏、岩城氏、相馬氏、伊達氏と戦国のとはいえ四面楚歌の中で知力謀略限りを尽くして激闘を繰り返し長い年月にわたって田村氏を守り抜きました。


 田村・伊達連合の最大の危機とされる天正13年(1585年)の蘆名・佐竹連合軍との合戦・本宮「人取橋合戦」では98歳で軍配を振るって田村勢を率いたことになります。さすがに、翌年の清顕死去以降に発生する田村家内紛や相馬・岩城氏からの領内防衛戦では三春城下より指図を出していたと考えられますが、最後に公の文書に記載されているのは、天正18(1590)年の「伊達治家記録」の二階堂氏滅亡後の処遇に関する文書で、長享元年(1487年)生まれの月斎は、この時なんと103歳!


  生涯現役、ご長寿万歳!  蒼龍謹白 さすけねぇぞい三春! 拝



生涯現役、ご長寿万歳!  蒼龍謹白 さすけねぇぞい三春!

| ryuichi | 18:36 | comments (x) | trackback (x) | 🌸戦国大名 三春田村氏::御春輩(みはるのともがら) 田村武士衆 |