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三春物語580番 「富沢鎮守天目鷲神社」




三春城下の北二里余、旧富沢村。


戦国期には、富沢玄蕃が護る、田村四十八舘の北方守護の要である富沢館がありました。

その館の一角にあったとされる、富沢村鎮守天目鷲神社です。


社伝によれば「延暦年間中、坂上田村麻呂が東国を鎮圧して斎き奉ると言う」と記載され、田村麻呂の東征祈願の建立とされています。





旧神号を、鷲妙見大菩薩(鷲大明神)とされています。


旧富沢村社 天日鷲神社 御由来緒 調査書

御祭神 天日鷲神 社掌 飛田昭辰調進 (筆者現代文に調整・加筆)

往古由来鎮座の由緒不詳

但し明治十二年社書上の由緒によれば、「延暦年間中、坂上田村麻呂が東国を鎮圧して斎き奉ると言う」と記載され、田村麻呂の東征祈願の建立とされています。

旧神号を、鷲妙見大菩薩(鷲大明神)とされています。

其の後、延元三年 富沢舘主 富沢伊賀と云う者、神官にして武官を兼務し奥州鎮守府国主北畠顕家公に従って上洛致し、同年五月足利軍と激闘の末に顕家公は泉州阿倍野に於いて敗
戦、戦死す。


以後、富沢伊賀は流離潜伏し遂に阿州名東郡に至れり忌部神社の神官方に寄宿する事数年、然るに右社祭神天日鷲命奉斎に依って常に神事を賛助す。


然るに其の崇神篤志を賞して帰國の際に右社々蔵の水晶石を祖道とする。


以来、本国に携へ来り、「傳家ノ實器」と称せし所、遂に三春藩所の聞に達し、天保中覧に供せし所、その秀麗を称し来歴を思へ常に坐右を放○す。


然るに藩主世子数々夭折し遂に右水晶石を以て神に祭り子育て神と禰し、朝夕尊敬懈怠参る。


然る所、世子健全に成長し遂に万延元年の至り子育大神と書たる幟旗一流に金三両を添えて下附さられたり。


明治元年 天日鷲神社と改称す。


明治七年より同十五年迄 田村郡旧荒和田村、全青石村々社に列せられたり

明治三十五年十二月二十四

社掌 飛田昭宸(辰)










天日鷲命は、諸国の土地を開き、開運、殖産、商賣繁昌に御神徳の高い神様としてこの地に祀られました。

神話で知られているのは天照大神が天之岩戸に入られたとき岩戸の前で神々の踊りがはじまり、この神が弦楽器を奏でると弦のさきに鷲が止まった。

多くの神々が、これは世の中を明るくする吉祥をあらわす鳥といってよろこばれ、この神の名として鷲の字を加えて、天日鷲命とされた。




境内末社の天神宮さま



江戸時代の三春秋田藩政下では、この富沢村は、旧旗本五千石秋田家領に分地されていました。

尚、旗本秋田家の所領は 新舘村、荒和田村、大倉村、ツクモ田村、丹伊田村、石森村です。




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三春昭進堂 髙橋龍一

| ryuichi | 04:45 | comments (x) | trackback (x) | 🌸旧沢石村::富沢 |