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三春大神宮境内参道最上部の「壽楽會」奉納石造灯籠 深間内久蔵(のちに基と改名)




三春大神宮境内への参道最上部に「壽楽會」が奉納、建立したと記された石造灯籠が一対あります。





戦前の建立らしく、皇紀元二千五百九十六年 昭和拾壹年 と年号が刻まれてあります。



帝都東京では、昭和11年2月26日に皇道派の青年将校が決起し、当時の元老や重臣らを襲った「昭和維新断行・尊皇討奸」を掲げて起こした未曾有のクーデター未遂事件「二・二六事件」が発生した年です。

奉納した方々のお名前を見ますと内藤傳之助、渡邊甚平、渡邊栄一、斧田撫臣、国馬長太郎、岡山又四郎…という三春の名士がお揃いで明記されていますが、その中に深間内久蔵の名前を見つけました。





深間内久蔵(のちに基と改名)氏は、孝明帝が即位した弘化3年、三春藩士深間内基時敬の長男として生まれたかたで、

明治11(1878)年、J.S.ミルの『The Subjection of Women』(1869年英国にて発行)を『男女同権論』の題で翻訳し、明治10年代の男女同権論争に大きな影響を与えた自由民権家です。





また、明治期に、三春は元より田村地方の若者が志を抱いて東京で勉学に励むことを扶けるために設立された学生寮「田村学生寮」建立に尽力され、千三百余圓の私財を投入し建設資金にし、藤泉賢四郎(後の大林組社長大林賢四郎氏が設計施工を請け負ったという記録されています。





明治元年11月、22歳の時に慶應義塾に入社した。義塾で英学を学び、明治9年に、高知立志学舎に英学教育員として招かれた。
立志学舎は、板垣退助・片岡健吉らによって結成された政治結社立志社が、民権思想普及のために設けた学舎で、深間内は自由民権運動の大きな影響を受けることになった。なかでも、女性が演説会に参加する様子をじかに見聞したことは、彼に女性の社会的地位に対する関心を喚起した。




明治維新後の、三春の教育
「日本の唯一の資源は人であり、人を育てるのは教育しかない」






「三春で学んだことを誇れる教育」 
かつて三春人は、教育、人間育成ということには驚くほどの力の入れようでございました。






尚、岡山又四郎氏は、音楽家の岡山直先生、そして、元小野町長秋田直孝(旧姓岡山直孝”氏のお父上様になります。


岡山先生は、三春小学校の他に、三春中学校、県立田村高校、そして町外の船引中学校や、伊達小学校、大槻小学校など様々な学校の校歌を作曲し、今も歌い継がれています。








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| ryuichi | 04:29 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春藩総社神明社(三春大神宮)::三春大神宮 |
平成版三春古蹟漫歩「月斎舘(椿館)」



月斎舘(椿館)


田村高校の東側一帯の丘陵を「月斎舘(げっさいたて)」、別称「椿舘」とも呼ばれています。
これは、室町時代末期、いわゆる戦国時代の三春城主田村義顕の弟で月斎と号した田村頼顕が、三春本城を護るために築かれたこの出城(舘)に居していたからです。

月斎は、当時としては長寿でしたので、一説によると田村義顕の甥顕氏と被っている云われることもありますが、二人の性格の違いからして頼顕一人とみるのが正しいんだろうと考えています。





義顕の三春入城は、永正元年(1504年)で、室町幕府11代将軍足利義澄の頃となります。

三春本城と共に、防備体制を構築するために、後に“田村四十八舘”と呼ばれる出城群も領内一円に築かれます。

その中でも、本城防御の要、鬼門とされる乾(戌亥)の方角(東北)にこの舘を築き、戦上手と評判の高かった弟頼顕月斎を舘主として置き、防備を固めました。

また、田村領内四十八舘の内、上移、丹伊田、木目沢、阿久津等の街道筋の要となる館には、月斎の息子たちを配していました。

月斎は、偉丈夫で豪傑肌の人と伝わっています。

兄である、三春初代義頼、二代城主である甥の隆顕、そして三代清顕(甥の子)を支え、仙道(現福島の中央部)に田村の武名を掲げていました。

そして、当時、石川、岩瀬、塩松(小浜)、を掌握し、田村領に敵を一歩も入れなかったと記録されています。

「陣場に月斎、田にひる藻、畑に地縛り、嫌いもの」と囃子詩に謳われる程、毅の武人として近隣の武将たちには恐れられていました。



文化面では、平窪(現いわき市平窪)にある、浄勝院(常勝寺?)所蔵の古文書の中に、天正6年、月斎が、子である宮内大輔に送ったとされる遺書が残っています。

雅号月斎という名前があらわす通り、その文筆を見ると文才の高さがうかがえます。

和歌を詠も、優雅さと、禅宗に帰依し法名も月斎とするなど、参禅する道心とを兼ね備えた武将でもありました。

月斎舘には、当時も椿が繁り春は丘陵全体が紅く彩られたといわれ、椿館と呼ばれる所以ともなっていました。


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| ryuichi | 04:04 | comments (x) | trackback (x) | 🌸戦国大名 三春田村氏 |
愛宕神社参道階段中段の灯篭 文久二年 川又彦左衛門




愛宕神社参道階段中段の灯篭


三春城下中町にある愛宕神社







その参道の100の石階段の中間に文久二年に奉納された石灯篭があります。






当時、三春城下検断職の「御本陣」当主川又彦左衛門氏が奉納しています。






文久二年(1862年)と云えば、江戸徳川幕府の末期、いわゆる「幕末」です。


この年、生麦村(神奈川県横浜市鶴見区)で、江戸に上った薩摩の島津久光の大名行列に、女性を含む4人の英国人が馬に乗ったまま割り込み、薩摩藩士に切られたという生麦事件が発生しています。

その11年前の嘉永6年(1853年) には浦賀沖に黒船来航。
そして、安政5年(1858年)からの安政の大獄、そして、翌々年の桜田門外の変~と幕末の動乱が次々と発生して行きます。






そのような世の中の不穏な様子も三春藩国元へは伝わってきていた時期です。

火伏の神様である「愛宕神社(当時は愛宕宮大権現)」へ城下の禍・戦乱回避を祈願して奉納されたものかもしれません。








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| ryuichi | 04:23 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春城下中町::愛宕神社 |
2020奥土湯幕川温泉「水戸屋」さんに湯浴み〜〜




奥土湯幕川温泉「水戸屋」さんに湯浴みに行ってきました。


驚いたことに、標高1300メートル、雲上の温泉旅館水戸屋付近では、鶯の鳴き声と共に、蜩の蝉しぐれが聞こえ、すっかり夏の装いです。








やはりここは落ち着きます。


巨大な瓢箪の形をした湯船にコンコンと降り注ぐ源泉の音


川のせせらぎ


本物の自然だからこそ奏でる自然の音色です。

そして、鶯が鳴き、蜩(ひぐらし)などの蝉の鳴き声、清流から響くせせらぎに身を委ね、優しい木漏れ日に照らされた葉が揺れる音…街中では聞き流してしまうような優しい音が「コロナ禍」忘れさせてくれます。


そういえば、東日本大震災の原発騒ぎの中もここの湯で癒されていました。







また、広大な森林の中、優しく流れる時間の中で静寂と恵みに包まれるように感じられます。

”雲上の隠れ家”という言葉がもっとも似合う温泉。

特別な何かがあるわけではないからこそ、雲上の温泉で宿で過ごす贅沢な時間。


私の定休日の定番です。








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| ryuichi | 04:00 | comments (x) | trackback (x) | 🌸物見遊山諸国見聞録::男の隠れ家 |
2020.5 お陰様で銀婚式を迎えることと相成りました。




お陰様で銀婚式を迎えることと相成りました。

これもひとえに、女房殿のお陰だと思っています。


心より感謝しています。

結婚したのは阪神大震災の年でした。


アッというあの25年でした。

また、その日三春城下は三春小学校の運動会だったように記憶しています。







夫婦二人三脚という言葉がございますが、文字通り三春昭進堂を夫婦二人で切り盛りしてきました。

スタッフも、常時一人から3人に増え、季節アルバイトは4~5人から2人へと経営基盤を固めてkました。


サラリーマンの家庭で育った妻は、妻として、二人の男の子を持つ母として、女将として、私共々三春昭進堂の大黒柱として支えてくれています。

数字に表せ切れないと思いますが、食事も1年365日、一日三食の25年分の外食も入れて9掛けにしても24637食、洗濯も家族分で一日2回だとしたら18250回です。頭が上がりません。

そして〜仕事です。女将として店頭販売から製造、経理~ 本当にお疲れ様です。

子供の世話も加味されると〜〜

感謝の言葉しか出てまいりません







また、昭進堂の古いジンクスやしがらみをすべて改善・改修しながら、新しい三春昭進堂の親戚付き合いも含めた歴史ともいうべきストーリーを歩いてきました。


結婚以来、毎朝、私の大好きな豆を挽いて入れてくれるコーヒー ・・








25年前の写真を見返すと、やっぱり若いっすね~ 









ありがとう💖~そして、今後ともよろしく~









あとは、本当の孫を待つばかりです。







I love you,OK ?

この世界に たった一人のおまえに 俺の愛のすべてを捧げる

抱きしめればせつなくなる 俺のこの腕でいつも幸せにしたい

I love you,OK

振り返れば 長くつらい道も お前だけをささえに歩いた

窓辺にともる灯りのように 俺のこの胸にいつもお前が燃えてる

求め合って生きていたい この世界のすべてが闇に消えても

I love you,OK!

見つめ合えば ただそれだけで解る 誓い合った言葉は

I love you

I love you,OK  矢沢永吉






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| ryuichi | 04:43 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春昭進堂菓匠蒼龍 ::三春昭進堂髙橋 |
三春大神宮「皇軍全勝・武運長久・日拝祈願」石塔




体力増進とダイエットのために早朝or夕方に散歩を開始して、早3か月になります。

体力は兎も角、体重はなかなか落ちてはくれません。


ここ一週間は、愛宕神社にもトライして、休憩なしで340?だったかの急な階段を休憩なしで登れるようになりました。







最近、朝の散歩コースに三春大神宮を入れています。


毎朝参拝が寺境内まで上がっていますと、普段は気が付かないもの期きずきます。

境内の石造鏡の近くにある「皇軍全勝・武運長久・国威発揚・東洋平和・日拝祈願」石塔もその一つです。

この石碑は、昭和14年に「内務大臣通牒ニ依リ本日ヨリ七日間毎朝皇軍ノ武運長久及国威宣揚祈願祭リ執行ス、毎朝参籠潔斎ノ上祭典ヲ行フ。」との公布により、全国の神社にて行われた「国威宣揚皇軍武運長久祈願祭」の際に建立されたものです。




昭和12年の盧溝橋事件をきっかけに始まった支那事変(日中戦争)は、当初の想定に反して長期化して泥沼化していきます。

これに伴って戦没者も増加し、国内では出征軍人に対する武運長久の思いも強くなっていきます。

出征兵士の武運長久記念のため、送り出した家族による寺社参りも盛んになまり、縣社三春大神宮も大鳥居建立や石段修復等の境内整備が進められました。





国として必勝ということなんでしょうが、参列された町長、区長以下の役員の方々も含めて子供を戦地に送るりだす親兄弟はもちろん祖父母も、その無事帰還を願う気持ちがこの石塔に込められているんだともいます。





また、境内の石造石鏡の周りや境内の入口付近に複数設置してある石の三宝(三方)か机、石柵の一部?のようなものがあります。





全てに寄進者の名前があり、石造鳥居付近には古物商小野寺、釜屋薬舗等、見知ったお名前の方々が寄進されたものもあります。






昭和に入り、戦時下ということもあり「国家神道」のもとで神社は国威宣揚、聖戦勝利、皇室崇拝などの祈願の場とされ、三春町民を動員した祈願祭、奉告祭がしきりに行われていたようです。







三春大神宮の古写真を使ったポストカードです。


お判りでしょうか、拝殿が茅葺のままです。

また、神楽殿が境内右にあります。


明治35年9月の三春大神宮裏山土砂崩れで、社殿及び神楽殿他の建屋が倒壊してしまいます。

この時には資料となる多くの文献が土砂に流され紛失してしまいます。






三春町史より


昭和6年に、その幣殿拝殿の再建が始めっていますので、昭和6年以前の写真が使われていると思われます。








昭和6年の再建時に三春城下の小学生が運び上げたという小石が本殿前に残ります。





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| ryuichi | 04:26 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春藩総社神明社(三春大神宮)::三春大神宮 |
小さな小さなお店「ちょっくら市」はお休みします




(๑・ิ◡・ิ๑)
小さな小さなお店「ちょっくら市」

新緑がまぶしい季節になってきましたね。

新型コロナウイルス感染症の拡大防止の為「ちょっくら市」は3月からお休みさせて頂いております。

お店の再開ですが
緊急事態宣言は解除になりましたが、まだまだ予断を許さない状況ではあります。

感染防止対策・密集は対応策を考えればOK。
密閉に関しては空気の流れは良い建屋なので(^_^;)心配は無いのですが、密接が・・・
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「ちょっくら市」は来てくださるお客様との会話を楽しんで販売してますので、お客様・memberが安心して過ごせるにはもう少し時間が必要かと。

楽しみにして頂いてるお客様には申し訳ありませんが、6月の「ちょっくら市」もお休みさせて頂きます。

memberも皆様と早くお会い出来るのを楽しみに、もう少し自宅での制作活動に励みます。 .
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・*・*・*・・*・*・*・*・*・*・



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#三春ちょっくら市
#ちょっくら市
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#福島県

| ryuichi | 03:52 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯 |