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令和3年(2021年)は節分の日が2月2日になります




令和3年(2021年)は節分の日が2月2日になります


節分の日が、この2日になるのは明治30年(1897)2月2日以来124年ぶりだそうです。



節分は季節を分けるという意味で、本来は各季節の始まりである立春・立夏・立秋・立冬の前日それぞれを指しています。

立春の前の日が節分というのは、そのうちの「立春の前日」だけが今に残ったものだそうです。




真照寺の節分会ですが、今年は、この2月2日となります。


今回の真照寺節分会は新型コロナウイルス拡大防止による自粛ということで、護摩焚き所願成就御祈祷とお札受けのみとなり、豆まきは中止ということです。








尚、今年の初寅は2月23日(天皇誕生日)火曜日の祝日となり、飲食を伴う直会を取りやめて、コロナ対策を取っての護摩焚き所願成就御祈祷となります。





三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 05:15 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯 |
三春町要田ひまわり学級での三春の歴史講話 「戦国時代三春田村氏と田村家臣団



三春町要田ひまわり学級での三春の歴史講話

要田地区の高齢者学級「ひまわり学級」様から、講話の依頼があり、三春の歴史「戦国時代三春田村氏と田村家臣団」と題してお話をさせていただきました。


新型コロナ感染拡大防止という観点から飲食の中止、ソーシャルディスタンス、アルコール消毒等の対策をしっかりとっての高齢者学級例会です。



中世 戦国期の三春城主田村「田村武士団」  2021.1.20 

於要田ひまわり学級 三春昭進堂 髙橋龍一


・麒麟が来る “戦の無い国造”  150年戦争 室町時代初期より 広義では平安末期の源平時代までさかのぼる

自分の領地・土地を守る 名主に頼る 税(米による年貢・兵役・人足・雑務)

近隣の地侍や山賊が襲ってくる


田村地方は、平安時代から室町初期までは熊野大社の荘園

管理官が藤原~田村荘司は藤原姓とみられていましたが~記載なく不明

戦国大名田村氏が平姓(平氏)ですので、もともと平姓だったと推測されます。
一説では室町末期の南北朝時代に下向した橋本一族との縁戚もあり田村氏を名乗った~

田村の領主 田村麻呂の末裔とする 田村家を名乗ることが領主の証?

・洞 (内) 約100年 三春築城以来 3代

三春城主田村氏一族以外の配下・合力・与力の「武士団」形態で、旧田村領田村六十六郷(田村庄)と小野六郷(小野保)福原村で構成され、地侍・惣領である当主を中心にした田村武士団一族郎党の総称です。

田村三代清顕公の最盛期には、安積郡や安達郷、岩瀬(石背)郡、石川郷などの一部が含まれ10万石以上で131ヶ村。
江戸期の秋田藩政下では81ヶ村。

・織田信長による農兵分離政策と豊臣秀吉の刀狩及び太閤検地
 「農兵分離」が確立する前の中世武士団の所領とは、先祖代々伝わっている田畑・山林、屋敷など「命をかけても守るべき生活の基盤」との考え方が残っていました。

三春秋田氏 転入 給料
田村氏 土着 地侍の集合 力関係

最終的に信頼できるのが、一族郎党の洞

 また、洞は武家政権による力関係で国主・盟主の配下として合力・与力する一つの武士団というくくりで、後の江戸幕藩体制の確立に基づく近世大名における「家中」、家臣という位置づけです。





 
戦国時代の仙道(今の福島県中通り地方附近)は、中小の戦国武将・地侍がひしめく激戦区で、三春田村氏も、伊達(米沢)・蘆名(会津)・畠山(二本松)・大内(小浜塩松)・二階堂(須賀川)・相馬氏(小高)・石川(石川)・白川(白河)・岩城(平)など、周囲を敵に囲まれ、長年にわたり四面楚歌の状態が続いていました。

 三春田村家は、相馬氏、伊達氏と連携を図りながら、その状況下の中で、三春田村武士団の惣領として、一族や直臣、そして田村「洞」中の領主連合を形成して、戦国乱世を生き抜いていたと考えています。

・三春田村家初代 義顕の奥方は、磐城氏より
・三春田村家2代 隆顕の奥方は、伊達氏より
・三春田村家3代 清顕の奥方は、相馬氏より

 後に、豊臣秀吉の「奥羽仕置」に連座する「田村仕置」にて三春田村家は改易となり伊達家へ吸収されますが、秀吉からの旧田村領授領を辞退した伊達重臣片倉小十郎、豊臣政権五奉行の浅野長政らの計らいもあり、「内分分家大名」として田村家は伊達家の中で吸収・存続となります。
しかし、この時代はまだ地方での「農兵分離」が進んでおらず、大多数を占める旧田村家の家臣達は、先祖伝来の土地から離れるのを嫌い、さらに田村家の存続をできなかった伊達家を頼らずに田村領内の自分の所領にて帰農します。

 また、伊達家(白石片倉家)へ移籍した田村本家である牛縊(田村)宗顕はじめ、橋本氏、御代田氏、田母神氏、中津川氏、郡司氏等々、旧重臣11家(分家下士合計28家)も一族郎党の一部を旧田村領に残しています。

 時代が下り、蒲生氏、上杉氏、松下氏、そして江戸期の秋田氏と三春領主が替わっても三春田村氏の旧臣として「在郷給人」として「苗字帯刀」「御目見得」を許された大庄屋(割頭)・名主を代々務めて、明治維新を迎えます。

 尚、洞組織を集落として残したまま帰農した田村旧臣は武勇に富み、その家門を賞して「御屋形様」と呼ばれていました。

 現在でも、洞の形態が残っている例として、芦沢(現田村市芦沢)に鎮座する白山比咩(ハクサンヒメ)神社の例大祭に奉納される「芦沢の八ツ頭獅子舞」は、旧芦沢村の屋形洞、中洞、本郷洞、柏原洞、南洞、鞍掛洞、山田洞、横土洞の8洞(組)で獅子舞を今に伝えています。

宮田上洞・中洞・下洞





要田は、天正の三春城主田村清顕時代(約450年前)、熊耳館・熊耳太郎右エ門、笹山舘・笹山五郎右エ門の配下であった。

さらに、元禄11年寅(268年前)の秋田公時代の名主調べには、笹山-佐藤五左エ門、熊耳・岩崎長蔵、南成田-大内仁右エ門、荒和田-橋本善次右エ門とあり、その後天保15年には、南成田・橋本五郎左エ門から秋元四郎に変り、熊耳-安瀬半十郎、笹山-渡辺市郎治となっている。


鷹巣橋本氏~伊達に行かず三春に残った一族

・佐久間氏 佐久間信盛 比叡山・本願寺 末裔 宇賀神様 白山信仰 北陸の豪族

・青山氏 青山通り 旗本

・武田氏 武田信玄 弟の家系

・吉田氏 家臣 播磨赤松氏の一族常葉顕則

・真田幸村娘 片倉小十郎 白石城主 秋田家の墓

・秋田氏 安倍安東 十三湖 津軽 海賊 世界ペルシャ湾沿岸まで貿易
  三春初代の父實季 伊勢朝熊に蟄居 永松院墓所 

・浪岡氏・北畠顕家 青森

・荒木氏 先祖は、戦国丹波(兵庫県)を治めた荒木村重の一族 
薗部城(京都府園部町)主で荒木氏綱 光秀合力

・細川氏 応仁の乱総大将 細川勝元東陣 山名壮前 西陣の由来

・小野寺氏 桜田門 守衛三春小野寺 軍師小野寺慵斎三春脱藩明治期の書物
赤穂浪士小野寺十内 常陸国笠間(赤穂移封前の浅野家城地)二本松松下 加藤

・大高氏 まほら設計 赤穂浪士大高源吾

・大内氏
1588年(天正 16年)大内定綱帰参
伊達の脅威、会津葦名の脅威 天正十一年(1583)ころから、清顕の麾下に属していた大内定綱が本格的な反抗を開始するようになり、ついに定綱は二本松畠山氏を後楯として清顕と対立した。
以後、清顕と大内定綱の間で合戦が繰り返されたが、田村勢は戦うたびにことごとく大内方に敗れた。
ついに、清顕みずから兵を率いて塩松の千石森まで出馬して新城を構築した。対する大内勢も定綱みずからが出馬して、新城の城柵まで打ち破り、田村勢はここでもまた追い崩されてしまった。
相次ぐ大敗に清顕は「今は田村の運命窮りぬ」と敵中に駆け入ろうとしたが、新田民部に諌められて三春へ退いたという。

天正 13年9月、 政宗の攻撃を受け会津に逃走した大内定綱は、 伊達家を離反する際、童名方から松本図書跡を与え、家老にとりたてるという約束であったが、領地どころか扶持米さえ与えられない状況にあったため、高野親兼をたのみ、政宗に再度奉公したいと願い出た。

葦名牽制に役立つとの判断で帰参が許された。天正 16年3月の事である。(郡山市史1p500)

田村荘司と小山氏
田村氏は、南北朝の内乱に際して陸奥守北畠顕家に従い常に南朝方として宇津峰城に立てこもり、一年余にわたって北朝方の攻撃に耐えたが、ついに正平八年五月宇津峰城は落城し、奥州の南朝方の勢力は失墜します。

以後、陸奥の地は、足利幕府が、奥州管領、羽州管領(探題)を通じて直接支配しますが、関東公方、足利氏満のときに、関東府の支配下に置かれるようになります。
 
南朝方で行動したとはいえ、田村庄司家は一定の勢力を維持できたようです。

田村則義・清包父子のとき「小山義政の乱」が起り、嫡男の田村庄司父子は敗れた義政の遺児若犬丸を匿い、関東公方足利氏満に反旗を翻した。
この乱は、「田村庄司の乱」とよばれている。
応永三年(1396)、鎌倉公方足利氏満みずからが率いる討伐軍によって田村庄司家以下の叛乱軍は、敗走します。おやま~こやまと称する

その結果、田村荘の三分の一は、関東公方の料所となり、下総結城氏に預けられます。





三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 05:13 | comments (x) | trackback (x) | 🌸菓匠蒼龍 心洗洞刹記::地域貢献 歴史講話 |
本日、57回目の誕生日を迎えることが出来ました。




本日、57回目の誕生日を迎えることが出来ました。


これもひとえに家族、お客様、友人知人、スタッフの皆さんなど様々な方々のお引き立てのたまものです。


心より感謝申し上げます。



「自分で引いたレールもあるだろうし、人に引かれたレールもあるだろう。実はこのレールとは有縁無縁の様々なご縁に導かれた見えない力が作用してに構築された人生のレール。このレールに乗っていられるということは幸せなことだよ!」

人生に先輩からの言葉です。






心に響きました。

そして、私もそうありたく思います。








昨年の出来事を思い返していました。

仕事に、地域貢献に、趣味に、各種おつきあいに〜と動き回れたことに感謝しています。







「我が我がの我を捨てて、お陰お陰の下で生きろ」
我がという我儘を捨てて、お陰さまという感謝の気持ちで生きる」ことの大切さを示している言葉です〜

この人生、この語に尽きます。







コレも、全力で走られる身体を家族のサポートがあり、神仏やご先祖様の御加護のおかげだと思います。

コレは幸せということなんだと思います。



















今日(大寒の1月20日)を迎え、あっという間に、57歳になったような気がします。

銀婚式を迎えることが出来ました。









1月生まれの方に共通している感覚かと思いますが、新年と誕生日が重なります。









年が明けた一年間と、自分の一歳の一年間、そして商いの決算期がリンクして、今年はどんな良い年になるんだろう?とワクワクして新年を迎えることが出来ます。

ちょっと得した気分です。





仲間に助けられ、引き立てられ






中々大人にはなれません(^.^)






ジャズの演奏にアドリブという表現があります。
「アドリブ」とは『その時の自分の持ってる知識と技術、経験で即興で自分を表現すること』だそうです。
新型コロナ感染拡大の昨今だからこそアドリブを生かした生き方が求められているんだと思います。
コロナの一刻も早い早期終息を祈念して、日常の生活に戻れますことを願いたいと思います。






2種類の人間がいる。

やりたいことやっちゃう人とやらない人。

やりたいことやってきたこの人生。

おかげで痛い目にもあってきた。

散々恥もかいてきた。

誰かの言うことを素直に聞いてりゃ、今よりずっと楽だったかもしれない。

でもね、これだけは言える。

やりたいことやっちゃう人生のほうが、間違いなく面白い。 

俺はこれからもやっちゃうよ あんたはどうする?

  矢沢永吉語録~(日産自動車CMより引用)  



さて、ことしはどんな一年になるのか? ワクワクがしています!







孫みたいな豪栄道君と誕生会!


ジイジとバアバですよね?







仏道をならふといふは、自己をならふなり。



春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂  菓匠蒼龍


続き▽
| ryuichi | 04:57 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯 |
旧三春藩領内総鎮守「大元帥明王社」の旧仁王門の彫刻




旧三春藩領内総鎮守「大元帥明王社」の慶応4年竣工の旧仁王門の彫刻






正面には、二柱の龍が勇ましく刻印されています。






仁王様が収まる正面左側には麒麟が狂でお馴染みの「麒麟」が二柱






同じく、右側には唐獅子の二柱、和毬と戯れています。








梁と柱の結合部にある左右には「龍」の姿が・・・左右対称に設えられ口の開閉となれば「阿吽ノ龍」ということでしょうか?

こちらは口が開いているので{阿ノ龍}?





そして{吽ノ龍}



洋風な姿にめて仕方がありません。





田村大元神社随身門(旧三春藩総鎮守大元帥明王社仁王門)の裏右側

「海人/海士(あま)」です。

讃岐国(現在の香川県)志度の浦の海人が、藤原淡海 (不比等)と契って生んだ子(房前)を世に出すため、命を捨てて竜宮から宝珠を取り戻したという伝説。


我が子の立身のために死地におもむく、深大な母性愛、女の強さを壮烈に描いた物語が彫られています。

房前が大臣になった後、志度の浦へ行くと、海人が現れ、面向不背の玉を一人の海人が龍神から取り返した次第を物語って海中に姿を消し、房前が追善をすると母の亡霊が龍女の姿で現れ、「法華経」の功徳で成仏したことを示したという伝説にちなんでいます。






同じく門の裏 左側にあるのは、王佐の才をふるい、劉邦を皇帝にした名軍師「張良」の彫刻

中国漢の国の張良が、黄石公の落とした沓をささげて真心を示し、兵法の奥義を授かるという故事の一場面が彫られてあります。

漢の高祖の臣張良が黄石公から兵書を授けられた故事です。
馬に乗った黄石公、張良は沓を持って龍に乗っています。



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| ryuichi | 05:27 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春藩総鎮守 大元帥明王(現・田村大元神社)::大元帥明王社(田村大元神社) |
「宇賀神」さまが鎮座する境内に敷石を設置しました。




三春城下在鷹巣宇賀石にある「宇賀福神」さまが鎮座する境内に、御布施として敷石を設置奉納してみました。


かねてよりの、令和の宇賀石様周辺整備の中で境内の土質が粘土質ということで雪や雨が降るとぬかるんでいました。






それを改善して、大勢の方々に参拝していただこうと、思案していました。


そこで、当店女将の同級生で友人、中田町で石材業「MSコーポレーション」を営む佐久間氏に頼み込んで平らな切り石を分けていただきました。


おまけに、宇賀神様に配達も依頼して~ 

本当にありがとうございます。





当初は、茶の路地「茶室」へのアプローチのような丸い自然石での飛び石を考えていましたが、神様の社へ通じる参道です。

参詣に来られる老若男女の方々に参拝していただくのに足元の安心と安全を考えて、平らな切石をご覧のように敷き詰めてみました。


饅頭屋の私が見様見真似でしたもので恰好が悪いかもしれませんが、足元の安全を確保しました。







これも、”乗り掛かった舟”ではありませんが昨年の5月に宇賀神様の問い合わせがあったことから始まり、塵壺掲載やナニコレ珍百景に採り上げられ、三春町への珍百景採用謝礼金寄付、そして三春広報や、福島民報・福島民友にも掲載、そして、白岩高屋敷稲荷神社宮司様とも懇意にさせていただくようになったという、有り難いご縁がございます。






禅の師匠より「無一物中無尽蔵」ということを教えていただいています。
禅的な行為というものは、いっさいの果報を求めないことです。良い事、人のためになる事は自分自身のために行うものであり、功徳を求めての行為は布施ではありません。
心清らかな行為は、その行動の最中にすでに徳を積み幸せを感じているはずということだそうです。






先の駐車場整備に於いても三春城下で水道屋「吉村管工所」を営む吉村君にお世話になり駐車場整備もお世話になりました。

お陰様で、新型コロナウイルス感染拡大防止「コロナ禍」という昨今にあって、商売をさせていただけるのも、宇賀神様、そして高屋敷稲荷様のおかげと感謝しています。






高屋敷稲荷神社の鈴木宮司をはじめ、地主の橋本様、そして、隣の桑畑の地主の影山様、さらには迎えの空地の地主の佐久間様等々様々な方々の御縁と御奉仕、ご支援をいただき令和の宇賀神様周辺整備が進んでまいりました。





さらには、高屋敷稲荷神社に集う方々の様々な奉仕作業・・・・


そして、何かと奉仕していただいているLCサービスの佐久間君、根元看板店の根本君~


私はそれらの方々の少しでもお役にたてればとの思いで関わらせていただきました。



これで多くの方々に福の神「宇賀神」様に参拝いただき、その御利益が届きますようご祈念申し上げます。







ご縁と塵壺等での現代の皆様への紹介者の責任として、駐車場整備での交通安全確保、そして、ぬかるみ対策の石畳整備等々で参拝飲み仲間の安心安全に少しはお役立ていただければ幸いです。



この春には、樹齢500年と推測される「宇賀神さくら」も可憐な桜花を見せてくれることでしょう~

エドヒガンザクラの大きな桜です。

よく見ると一つの株から老若3本の幹が天に向かって生えています。

樹齢500年と目されるお婆さん、お母さん、孫娘と3代に亘る宇賀神桜です。













三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 04:27 | comments (x) | trackback (x) | 🌸宇賀石 宇賀福神さま |
猪苗代から会津若松城下の十日市縁起物「風車」が届きました。




今年も会津・猪苗代から会津若松城下の十日市縁起物「風車」が届きました。

羽の上には金文字で「福の神寿」の4文字が書き入れられ、細い竹を編んで骨組みを作り、赤、青、黒の鮮やかな色紙を張り付けた縁起物の風車です。





一つ一つの文字に「1年間、風車のようにまめに働けるように」との願いが込められているとのことです。


いつもありがとうございます。



春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍



| ryuichi | 05:03 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯 |
2021元旦 BOSSから年賀状が届いた~



BOSSから年賀状が届いた~



YAZAWA CLUBからの年賀状!



永ちゃんの直筆の2021元旦のサインと、「2021年はみんなに会えるよね!! 必ずね!!」とにメッセージが記されていました。



「20代で長者番付に出たけど、心がちっとも温かくない。

『神様、成功したら寂しさ、悲しさは消えるんじゃなかったの?』と聞いたら、神様が指さした。

見るとサクセスとは違う、もう一つのハッピーというレールがあった。

成功と温かくなることは別だったんだ」



幸福のレールに気づいたのは、いつだったのか?




永ちゃんかっこいい!




三春城下真照寺参道 おんかし 菓匠蒼龍


| ryuichi | 04:36 | comments (x) | trackback (x) | 🌸「前向きな自惚れ」永ちゃん、最高❣️ |