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三春昭進堂「かしわ餅」の販売は、「父の日」である6月20日(日)までの販売となります。



三春昭進堂「かしわ餅」の販売は、例年ですと旧暦の端午の節句付近の土日までの販売となります。


本年、令和3年の旧端午の節句は、6月14日(月)ですが、週末「父の日」である6月20日(日)までの販売とさせていただきます。




毎年、お客様から「美味しいんだから、もう少し長く販売したら?」とありがたいお言葉を戴きますが、和菓子屋として、日本の風習を大事にしたいと考えて、季節にこだわって生きたいと考えています。

なにとぞご理解を戴きますようお願いを申し上げます。








6月から水まんじゅう「逃げ水」も販売開始です。















春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 03:51 | comments (x) | trackback (x) | 春陽郷三春 日暮硯::季節のお菓子  |
「銘盡」江戸期の刀工名参考書 後鳥羽院御宇奉行鍛冶結番次第  論語解集




宇賀神様の御縁となる「田村の庄」の著者である橋本史記様より「銘盡」後鳥羽院御宇奉行鍛冶結番次第という料紙漉返風の書物をいただきました。

旧書名「刀剣書」(仮題)とする、江戸期の刀工名参考書です。





「後鳥羽院御宇番鍛冶次第」







「山城内京系図之事」(以下、古来の諸国鍛冶の系譜集)





「近代之鍛冶上手之分」

「諸国同銘其外頭字寄分」(同銘のある刀工名を頭字毎に一覧にしたもの)等のきさいがあります。


天保頃江戸版の後鳥羽院御宇奉行人并鍛冶結番次第です。

尚、国書総目録には、寛永2年刊『後鳥羽院御宇番鍛冶之次第』あります。



図はありません。








無刊記ながら、江戸末期~明治初期に本山修験権大僧都に在った鷹巣威徳院春晃で、後の田村春衛の名が記された「天保十五(弘化1年12月改元)甲辰年八月」の記載あります。


この威徳院春晃とは、橋本氏のご先祖様にあたります。








書名にある「番鍛冶(ばんかじ)」は、鎌倉時代、後鳥羽院の命により、1か月交替で院に勤番した刀工で、「御」という敬称をつけて「御番鍛冶」(ごばんかじ)とも称されています。

勅撰集『新古今和歌集』で知られる後鳥羽上皇は、「承久の乱」承久3年(1221)、起こり、後鳥羽上皇の軍勢が、鎌倉幕府執政北条氏率いる鎌倉御家人衆に合戦で敗れ、隠岐に流されます。
この承久の乱の後に、南北朝時代の内乱が展開することとなります。






後鳥羽院は刀剣の製作を好んだとされています。

院は京都粟田口久国、備前国信房にその業を授けられ、承元2年、諸国から名のある刀工12人を召して番鍛冶として、水無瀬において毎月、刀を作らせました。





正月 - 備前国則宗
2月 - 備中国貞次
3月 - 備前国延房
4月 - 粟田口国安
5月 - 備中国恒次
6月 - 粟田口国友
7月 - 備前国宗吉
8月 - 備中国次家
9月 - 備前国助宗
10月 - 備前国行国
11月 - 備前国助成
12月 - 備前国助延









こちらは、「論語集解」です。

「平安東厓先生孝訂 武江書林 千鍾堂藏版」とあり 版心に「千鍾堂藏版」と記されています。

江戸期の日本橋通一丁目にあった武江書林 千鍾堂蔵版です。






嘉永二甲寅年三月1849年 北野内 橋本忠吉絽軌と記されています。


172年前の書物です。


橋本様のご先祖様が学ばれ子供たちに教授された教科書なんでしょう。


大切に拝読させていただきます。







論語の中で大切にしている言葉があります。

「人知らずしてうらみず、また君子ならずや」

人に認められようが認められまいが、そんなことを気にしてはいけない。君子というものは、そういうことにこだわらない人のことである。と解しています。

そうありたいと願っていますが。それが一番難しいところです。

宇賀神様への奉仕等もその通りです。

何百年ものあいだそこに在ったであろう「宇賀神様」と「宇賀神桜」です。

人知れずい誰かが手入れをしてきたものなのでしょう。

人が生きてくうえで特に大切にしたい陰徳の教えに通ずるものだと思っています。

今回、ご縁があり宇賀神様とその周辺整備に携わらせていただいたお陰で、橋本様、高屋敷宮司様はじめご縁をいただいた全ての方々に、改めて大切にしなければならないものを教えられ学ばせていただいています。


貴重な本をありがとうございます。









三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 04:11 | comments (x) | trackback (x) | 旧中妻村::宇賀石さま |
椚山舘 椚山 田村四十八舘 




椚山舘 椚山 田村四十八舘 


三春城主田村氏の臣 椚山利家(祐左衛門)の居住


椚山字十郎内に在りました。




三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:21 | comments (x) | trackback (x) | 田村四十八舘2 |
村上館 太田村  田村四十八舘 
太田 村上館  田村四十八舘 


旧逢隈村(現郡山市西田町)大字太田に在りました。


村上刑部之介の居舘と伝わっています。





三春昭進堂菓匠蒼龍 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 13:08 | comments (x) | trackback (x) | 田村四十八舘1 |
三春城下江戸中期の町屋




江戸時代中期の秋田藩政化での三春城下における町屋(商工業)は、明和八(1771)年の「町内屋号覚」によると、大町六ニ軒、中町四軒、八幡町一二軒、北町三一軒、荒町三〇軒、新町四三軒の計二ニ二軒で、塩問屋·肴問屋·紙問屋·たばこ問屋・鉄問屋·木錦繰綿 茶問屋、炭問屋をはじめ、麹屋、染屋、質屋、薬屋、太物屋(たんもの・呉服屋)·小間物屋·水油、素麺屋 などの店がしるされています。





城下町三春は、江戸街道や会津街道、岩城街道、相馬街道、二本松街道の大きな五街道が交わる物流・文化の中心地として栄え、主産業である米殺をはじめ、いろいろな品物の集散地でもあり、他領からは塩、瀬戸物·綿糸、砂糖、小間物、鍬(農耕具)など多くの物が入り、領内からは米や煙草や繭などが出て行きました。

これらの品々は、冥加金や運上金(営業税の一種)を藩に納めて特権を認められた商人によって売り買いされ、さらに物によっては役銭が課せられていた。







三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:09 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下歳時・風土記 |
夏の装い 三春藩所祈願所 眞照寺




この時期、爽やかな風に招かれるように参道を抜け山門をから真照寺山内に入ります。

三春藩主祈願所という経歴から真照寺の寺領は、三春城下で昔から一番清い場所に建てられたと考えています。







ご本尊が不動明王ということで、かつては水が沢山沸いていたんだろうと思います。


今も、本堂裏手にある方丈庭園の水芭蕉群生地や回遊式方丈池などには綺麗な湧き水があり、鯉が元気に泳いでいます。








また、三春城下は山間の谷間にありますので、真照寺山内は、夏でも時折涼やかな風流れ込んできます。


山内には、紅枝垂れ桜の老木「蒼龍」や大銀杏、そして大杉など、300年以上も木も同じ場所に植わっています。

目には見えませんが地下には、木の根がびっしりはりめぐらされているのだと思います。






木の根の保水力は高く、木の根自体も当然水分を多く蓄えています。

しかもその水分が常に循環しています。 





このような効果もあって、地面が冷やされて、空気もひんやりとするのだと思っています。

もちろん、マイナスイオンもたっぷりと漂っているんだろうなぁと思います。


周囲を原生林や竹林に囲まれた中にあり、水脈や風の通り方、色んな目に見えないものがあるのかもしれません。

昔の三春人はそういう事も分かっいてこの場所を選んだのでしょうね。








春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍



| ryuichi | 04:44 | comments (x) | trackback (x) | 春陽郷三春 日暮硯 |
四舘 田村四十八舘 牧野村



四舘 田村四十八舘 牧野村

七郷村大字牧野には、四舘の跡があります。


字竹之内の竹之内舘、佐久間因幡の居住

字牧野の牧野舘は、佐藤若狭の居住

字國ヶ坪の國ヶ坪舘には、渡邊加茂右衛門が居住

字深谷の深谷舘には、佐久間某が居住

四舘の舘主共に三春城主田村氏の臣にして、田村氏改易後帰農しています。

以後、子孫その地にて繫栄しています。



三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 04:25 | comments (x) | trackback (x) | 田村四十八舘2 |