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三春昭進堂「かしわ餅」の販売は、週末「父の日」である6月20日(日)までの販売とさせていただきます。



三春昭進堂「かしわ餅」の販売は、例年ですと旧暦の端午の節句付近の土日までの販売となります。


本年、令和3年の旧端午の節句は、6月14日(月)ですが、週末「父の日」である6月20日(日)までの販売とさせていただきます。




毎年、お客様から「美味しいんだから、もう少し長く販売したら?」とありがたいお言葉を戴きますが、和菓子屋として、日本の風習を大事にしたいと考えて、季節にこだわって生きたいと考えています。

なにとぞご理解を戴きますようお願いを申し上げます。








6月から水まんじゅう「逃げ水」も販売開始しています。








春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 03:58 | comments (x) | trackback (x) | 春陽郷三春 日暮硯 |
三春町まちづくり協議会中郷支部の皆さんによる「花いっぱい運動2021」の植樹です。







三春町まちづくり協議会中郷支部の皆さんによる「花いっぱい運動2021」の植樹です。













毎朝の滝桜までの散歩の沿道に植えられていて目を楽しませてもらっています。














楽内、柴原、滝、その他、各地区にあるんだと思います。















込木 田中坂








三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:26 | comments (x) | trackback (x) | 旧中郷村::込木・楽内・芹ケ沢 |
滝桜の種(実生)採取ブルーシート 2021




今朝も三春滝桜まで、朝の賛否に出かけますと、いつもとは様子が違います。





滝桜の枝下根本を囲うように、ブルーシートが敷き詰められています。



これは滝桜の種(実生)の採取の為のシートです。

滝桜保存会の皆様により、三春の桜守として千年後にも生き続ける桜を育てようと、苗木からではなく、種からの育成(実生)しています。






2008年に地元小学生が拾った種(約200粒)は、スペースシャトル・エンデバー号で国際宇宙ステーションに届けられ、日本のモジュール「きぼう」船内で、若田光一宇宙飛行士とともに4100回地球を回る8カ月半(08年11月~09年7月)の旅を行ったことでも話題になりました。









三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:06 | comments (x) | trackback (x) | 旧中郷村::瀧・根本 |
塵壺359号 奥州本宮宿太郎丸 「御菓子司 こやま」 令和3年6月発行 



    奥州本宮宿太郎丸 「御菓子司 こやま」
 
2019年の台風19号で中心部を流れる阿武隈川が氾濫し、甚大な浸水被害に遭った奥州本宮宿

私の母の里である太郎丸の本宮観音様前にある「小山菓子店」も例外ではなく、1986年「8.5水害」同様、浸水時には一階店舗兼工場が胸のあたりまでの浸水し、大変な被害となってしまいました。





テレビをご覧になった方もいらっしゃるかもしれませんが、水害から一年経って小山菓子店は、おばあちゃんと孫娘の営む「御菓子司こやま」としてリニューアルオープンして、お客様に愛される和菓子店として新たな一歩を踏み出し「本宮魂」を見せています。

小山菓子店の小山家は、明治の頃に新潟蒲原郡寺尾(現新潟市西区寺尾)の商家の末弟だった曾祖父が丁稚奉公に出されたのが本宮宿仁井田でした。

才覚があったのでしょう、奉公先の家付き娘と所帯を持ち今の太郎丸にあった二軒長屋で商いを始めます。

はじめは「油げ」や豆腐を手掛けていましたが、後に饅頭屋になり現在に至ります。

この辺は、当三春昭進堂と同じような経緯です。

目の前にある観音様や安達太良神社の祭礼、そして遠くは白沢岩角山高松寺の祭礼などには大八車に饅頭や油げ豆腐を積み込んで商いをしていたそうです。

曽祖父や祖父は、そのご尊顔から愛嬌があり、大変愛想が良く商売向きの人柄だったと聞き及んでいます。

私などは、よく「母親・本宮似で商売向き」と云われる所以なのでしょう。

先に他界した叔父は母の弟で、叔父も小山らしく愛想が良く、仕事が大好きな真面目な商人でした。


本宮は、阿武隈川などが中心部を流れる地理的な要因もあり歴史的に見てもたびたび川の氾濫・洪水浸水被害に見舞われてきましたが、その都度宿場の皆さんで力を合わせて復興し発展を遂げてきました。





母の里というものは、何年たっても何か特別な感情があり、本宮出身だと聞くだけで話が盛り上がります。

特に安達太良神社の秋まつりでの、蛇女,ロクロ首などの見世物小屋や、サーカス、そしてオートバイに乗って大きな樽の中をぐるぐる回るパフォーマンス、さらには全国チンドン屋大会が本宮で開催されたことなど、懐かしい思い出で話が尽きません。


この本宮宿の歴史は戦国時代に今の北町を中心として宿場町が形成されていましたが、秀吉の采配で越後より会津に転封した上杉景勝の重臣直江兼続から、この地を与えられた旧三春田村氏(田村仕置により改易)の臣小沼貞長が、安達太良川以南一帯の荒れ地を造成して南町を造り、以後、奥州街道、会津街道、三春街道、そして相馬街道の交わる交通の要所追分があり各地からの物資集散の中心地として発展してきました。






古くから「花の本宮」とうたわれ、奥州街道屈指の賑わいを見せており、その街並みは、阿武隈川支流である安達太良川を挟んで、江戸側(南側)の上町、中条、下町を「南町」、そして川の北側の荒町、中町、大町を「北町」と区分されていました。

その南町末が太郎丸という地区となります。

また、飯盛り女の多い宿場としても知られ、井原西鶴の「好色一代男」や「一目玉鉾」にも登場し、人形浄瑠璃にも「奥州街道の本宮なくば、何をたよりに奥がよい~♪」と謡われるほどでした。


天正13年11月17日に開戦した伊達政宗最大の危機とされる「人取橋の合戦」の舞台となる本宮人取橋は、本宮宿太郎丸にある今の観音堂から奥州街道と分岐し、五百川沿いの会津街道と瀬戸川とが交わる付近にあります。

この戦いは、同年10月8日、二本松城主畠山義継が、伊達政宗の父輝宗を拉致して伊達勢の追手によって輝宗と義継が同時に討たれるという事案が発生、政宗は父輝宗の初七日が明けると弔い合戦として田村氏・相馬氏の兵を合わせて一万三千の兵(人取橋戦へは7千が出場)を率いて二本松城攻めを開始します。

一方、伊達政宗の仙道(現福島県県中地域)進出を阻止と畠山氏救援のために常陸佐竹義重・義宣を中心に会津芦名亀王丸、須賀川二階堂阿南、岩城城主岩城常隆、石川城主石川昭光、白河城主白川義親・義広など仙道・南奥州の諸大名らが約3万兵にて迎撃し「人取橋」付近にて戦が勃発します。


戦いは圧倒的な数に勝る佐竹以下の連合軍が終始優勢で、伊達勢の老将鬼庭左月斎良直や伊達成実の善戦のお陰で、多数の犠牲者を出しながらも何とか本宮城へ帰還することが出来ました。

尚、この戦いで両軍合わせてあまりにも多くの人が討たれたために、「人取橋」と呼ぶようになったと伝わっています。









「太郎丸」という地名の由来ですが、耶麻郡太郎丸村(現喜多方市豊川町米室)を本拠とした会津芦名氏の家臣に太郎丸掃部(芦名氏庶子)という武将がありました。

天正13年(1585)5月、太郎丸氏は、伊達政宗が会津蘆名氏と戦った「関柴合戦」に際して同じ芦名家の家臣松本備中守が伊達政宗に内応しているという嫌疑があって政宗が占領している桧原への備えとして入田付村に派遣されますが、太郎丸氏もそのまま伊達勢の組下に加わってしまいます。

上記の人取橋の戦いの折にも伊達勢は本宮に本陣を置き最前線の高倉、青田原に軍勢を配して連合軍と対峙していますので、太郎丸氏も伊達勢組下として本宮に布陣していたと思われますが、この辺りに何らかの関りがあったのではないかと考えています。







蒼龍謹白  さすけねえぇぞい三春! 疫病撃退祈願 拝



| ryuichi | 04:00 | comments (x) | trackback (x) | 「塵壺」 三春昭進堂 |
「続埋木」(ゾクウモレギ) 今泉恒丸著 柿壷蔵版



「続埋木」(ゾクウモレギ) 今泉恒丸著 柿壷蔵版



「参考にしてくださいと」鷹巣の歴史家橋本史紀様より、先祖伝来の蔵書である貴重な古書をお預かりしました。


今泉恒丸(今泉与右衛門) 雅号 石巌山人 葛斎 

宝暦元年(1751年)、三春藩領常葉中町(現:福島県田村市常葉町)出身で、父親は三春藩の土着給人今泉楢右衛門

今泉家は、三春城主田村清顕の重臣橋本刑部少輔貞綱(顕徳)の嫡男で、今泉(現船引町今泉)、後に常葉で給人格(食録100石)とする信綱(今泉岡右衛門)の末裔と伝えられています。







恒丸は、小林一茶と交流を深め、浅草の札差「井筒屋」五代目で俳人夏目成美の主催する成美亭に出向いて歌仙(連句)を開催していたようです。

恒丸は52歳の時に他所の奥方だった女流俳人もと女(恒丸没後、京都で髪をそり、素月尼と改名)と駆け落ちして江戸表へ出ます。

下総、常陸地方で四千人を超える門下生を従えたともいわれています。


今泉恒丸と素月松尾芭蕉の次世代では、夫婦で最も著名な俳人でした。



先に史紀さんから頂戴した『鴛鴦(えんおう) 俳人恒丸と素月』(歴史春秋社)矢羽勝幸・二村博共著にも詳しく記載。








寛政10年(1798年)、恒丸が、会津、江戸、名古屋を経て大坂まで旅をした折の記念句集。 寛政11年(1799年)、刊行。


如月の末高田なる二竹庵のあるじをとふに、かしらいたきとて臥ながら病る身にほかほか来たり花の風といゝ出、心よげに笑ひかたる。
扨とゞむるまゝに春も暮ん頃、別れを告て下つけの國にこゆ。
卯月の五日ばかり黒かミ山の奥にて

  夏霧に打濡て深山ざくら哉










笠はほつれて面を焦し草の枕も熱くるしきに何くれとなくつかれしを、むさしの成美おふぢがいたハるにいこひける。
それの別荘はかつしかといふ處にありてすミだの川風吹こゆるに夏も紙衣のほしきまでなり。

蓮のさくはヅミにうつる嚏かな 成美

石にからりと春せミの殻 恒丸

成美は、俳人夏目成美のことで、浅草蔵前の札差で、通称「井筒屋八郎右衛門」






三春の俳人平田掬明(三春城下荒町 平田治右衛門俊雅) 天保2年(1831年)没、83歳




三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 04:14 | comments (x) | trackback (x) | 旧中妻村::宇賀石 福の神「宇賀神」さま |
約3週間ぶりの滝桜散歩でのごみ拾いです。2021・6




毎朝の日課である滝桜散歩で約3週間ぶりのごみ拾いです。

毎日歩いている行程なので、ポイ捨てされたゴミが気になって、ごみの場所を把握しています。



一昨日、2か所で大量のごみの放棄を見つけましたので、回収に入りました。


毎日、ゴミ袋をもって散歩すればいいんでしょうが・・・・







疲労回復の内服液の空瓶が20本が路上の端っこに、もう一か所は電話や電力会社の支払い延滞通知および使用差し止め通知書がブリブリ日破かれて捨てられていました。


相変わらずたばこの吸い殻や空き缶もチラホラ~


滝桜までの往復。

路上のごみを拾い~

自分の心の掃除をさせてもらっています。


そして、ごみ拾いでかがむというエクササイズ!いい運動です。




三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 04:08 | comments (x) | trackback (x) | 春陽郷三春 日暮硯 |
本日火曜日は定休日となっています。




本日火曜日は定休日となっています。


またのご来店をお待ちしています。







朝の滝桜ウォーキングを頑張っています。


約90分、一万歩を越えていきます



三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:04 | comments (x) | trackback (x) | 春陽郷三春 日暮硯 |