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令和7年の「旧暦端午の節句」は本日5月31日(土)





令和7年の「旧暦端午の節句」は本日5月31日(土)



三春昭進堂「かしわ餅」の今年の販売は、父の日の翌日 「和菓子の日」となる6月16日(月)までの販売とさせていただきます。


毎年、お客様から「美味しいんだから、もう少し長く販売したら?」とありがたいお言葉を戴きますが、和菓子屋として、日本の風習を大事にしたいと考えて、季節にこだわって行きたいと考えています。

なにとぞご理解を戴きますようお願いを申し上げます。








水まんじゅう「逃げ水」も販売開始です。








夏至

一年で一番昼が長い日で暦では夏の真ん中になります。
気温が上がって暑さも増していく頃ですね!

そして、夏至(げし)の約半月後には、暑さが本格的になっていく小暑(しょうしょ)を迎えます。

今から饅頭や大福などの小豆を食べて、暑さ対策をしっかりとして、夏を迎えましょう。



春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 03:40 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯 |
高屋敷稲荷神社「御田植祭(おたうえさい)」





郡山市舞木町にある高屋敷稲荷神社「御田植祭(おたうえさい)」。



御田植祭

令和7年6月1日午後1時

稲の豊穣を祈るお祭り。

​一の鳥居の前にある御神田にて、早乙女による田植えが行われます。巫女舞が奏でられる中、古代米といわれる赤米の稲の苗を植えていきます。


五穀豊穣、商売繁盛祈願!

明治維新より昭和30年代の町村合併まで三春町岩江村だったということで今でも三春の方々には「舞木の稲しゃま(もうぎのいなっしゃま)」と親しまれています。

さらには、県中地区にあたる仙道(現郡山市・須賀川市岩瀬村・田村市・三春町)の方々には「五穀豊穣」そして「商売繁盛」の神様としてご利益があり、舞地に大勢の方々は参拝に訪れる大変賑わっている神社様です。


週末には県外からも多数の参詣があります。





大勢の方々が奉納された「紅い鳥居」が多数建立されている景観も圧巻で、近年ではインンスタ映えする神社として人気もあります。

高屋敷稲荷神社の赤い鳥居。

田植え直後の田圃の水面に赤が映えています。


この時期しか見ることが出来ない逆さ鳥居が⛩見れます。








参道の朱鳥居は崇敬者の方々の祈願成就と神恩感謝により奉納いただいた≪奉納鳥居≫です。


現在、鳥居は約100基ですが、戦前は約4,000基もの鳥居が舞木駅(もうぎえき)まで連なっておりました。拝殿までの石段を登りきって見る景色は壮観です。








拝殿で祝詞を奏上申し上げた後、神饌田に移動、斎苗を植え付けます。









還暦祝奉納 

「朱の鳥居」「献灯燈籠」奉納 高屋敷稲荷神社



私事で恐縮ですが、御世話になっている高屋敷稲荷神社様へ還暦祝と日頃の謝意として「朱の鳥居」と「献灯燈籠」を奉納させていただきました。







”思い立ったら吉日”と・・・感謝と御礼として衷心より敬って奉納させていただきました。







還暦を迎えるにあたり、心身、そして、家庭、商売等々健やかにつつがなく過ごさせていただいた御礼です。


とにもかくにも感謝でしかありません。


家族、友人、お客様、そして、生まれ故郷である「三春」に支えられてここまで来ました。







三春城下 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍

| ryuichi | 03:07 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯 |
「最後の説法 大地玄亀大和尚」 石龍木童正孝大和尚著 

「最後の説法 大地玄亀」


塵壺407号  「最後の説法 大地玄亀大和尚」 石龍木童正孝大和尚著 令和7年6月発行

この本は、三春城下新町の曹洞宗天翁山州傳寺第三十三世中興石龍木童大和尚(老師)が、師匠である州傳寺第三十二世大地沙門玄亀大和尚の総見や接心での法話や提唱、そして最後の説法を録音したテープなどから文字を起こして編集され一冊の本にまとめられたものです。

禅に興味を持ち始めたころで、塵壺の参考にしたいと思い30年余前に、石龍老師の下へ、参禅とまではいきませんが、州傳寺歴史や禅の教えを乞いに出頭していた頃に禅の教示と共に手渡された一冊です。






また、州傳寺では、石龍老師より玄亀大和尚の禅僧としての人となりも伺っていました。

玄亀大和尚は、明治24年紀州下津町生まれ、大正3年岸和田梅渓寺住職大洞石雲老師について得度。大正9年鶴見總持寺に安居、5年の総持寺安居の後に送行。以降、埼玉、千葉、小浜等々、そして発心寺専門道場の単頭など参禅、住職、安居などの修業を重ねた禅僧です。

この東北の地に「禅」を根付かせたいという想いから、良寛さまや乞食桃水和尚のように、一切の名利を捨てて禅僧として、自ら悟りを求め努力するとともに、人々を仏道に導き救済するという「上求菩提下化衆生(じょうぐぼだい・げけしゅじょう)」の誓願を立て、三春城下でも檀用の少い州傳寺を選ばれて掛錫されます。



大地玄亀老師



また、本書の著者である州傳寺の前住職石龍木童老師も、玄亀大和尚の教えを下に州傳寺にて法名を継承されています。


仏道というと、普通一般の私たちは、私達の日常の生活とかけ離れた縁遠いもので、抹香・線香臭い陰気なものだと思ったり、あるいは特別な知識階級の人とか、極的保守的なもののように思っている人も多くありますが、玄亀大和尚は、本具仏性として坐禅といい、坐禅とは私達の日常の生活全てのことで、日常の外に仏道や禅はなく、朝から晩まで、晩から朝までする事なす事全てが仏道修行そのものです。


朝起きて顔を洗うこと、掃除をすること、食事を作ること、ご飯を食べること、仕事をすること、商売をすること、勉強すること全てに当てはまり、仏法即日常底、日常底即仏法、禅即生活、生活そのものが仏道であると説かれています。

また、「人」という文字を例えとして仏道を説かれ、一本を取れば必ず倒れる、一本では絶対に立てない、人間もまたその通りで一人では絶対に生活は出来ません。

我見我慢の心を一切捨てて、お互いに支え合わなければなりません。持ちつ持たれつして初めて人間世界が成り立っていきます。

この「人」という文字を学得して初めて幸福な家庭と文化国家が生れて来ます。

この「自他不二の道理」をよく心得て、お互いに和合して助け合う世界には、“闘争”とか、“戦争”とかいう汚い言葉や不平不満の声は無くなって、“有難いない”、“勿体ない”という麗わしいという言葉の下に「尊い汚れのない浄土」が建設されると説かれていました。



石龍木童大和尚から、道元の坐禅は、「只管打坐(しかんたざ)」であると教示されています。只管とは、ひたすら、余念を交えないという意味、打坐とは坐禅です。

つまりただひたすらに坐禅をするという意味で、あるがまま、自然の流れに身を任せ、ただ、ただ坐るだけ。

ひたすらに現実を見つめ、何も求めずに、ただひたすら坐(すわ)ることです。  

そして、禅僧の本懐とは、自分自身を最後の最後まで使い切って、その痕跡すら残さないことである。禅語の「破草鞋(はそうあい)」とは、長年の修行で履き破れた草鞋を、きれいに洗って刻んで、壁の下地に使ったり、そのまま畑に撒いて堆肥にして使い切る。

即ち、一切の妄想、執着を断ち切って、人知れず捨て去られる一足の破れ草鞋のように、自身を使い切り、その痕跡すら知られことも何もひけらかすことなく只々修行に励む大切さをご教示いただきました。


忙しい毎日を送っている私たちは、つい自分を見失いがちですが、そうならないためにも、意識して反省をする習慣をつけなければならないと思いますが、現実にはなかなかできません。

「艱難辛苦を我に・・・・」ではありませんが、人生というのは魂の修行の場だと思います。

いつまでも自分を高めるための良性なプレッシャーを追い求めながら新たな情熱を持ち続け、毎日ドキドキ・ワクワク高揚しながら日々を楽しく暮らして行きたいものです。



仏道というは自己を習うなり  自己を習うというは自己を忘るなり  自己を忘るるというは万法に証せらるるなり 
   
    さあ、坐ろう! 蒼龍謹白 拝  さすけねぇぞい三春!














三春城下御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍





 

天翁山州傳寺歴住大和尚

三春城下天翁山州傳寺は、寛永五年(1638)、松下長綱公が三春城主として二本松城より転封されて間もなく、父重綱公を開基として烏山天性寺第十一世勝岩長全大和尚を開山として建立されました。




山号・寺号

祖父 綱玄院殿天翁長参(柵)大居士

父  州傳寺殿永厳長譽大居士



當寺は、曹洞宗において「片法幢(各地)」として宗門の僧侶・雲水を養成する修行道場




歴住大和尚

開山 勝岩長全大和尚 
本寺烏山天性寺十一世 寛永十三年(一六三六)八月 九日示寂

二世 雲州元龍大和尚

三世 海岸道吞大和尚  
末寺船引満円寺を開山 承応元年(一六五二)十月九日示寂

四世 斧山龍鈯大和尚
末寺船引照光寺を開山


五世 龍骨愚海大和尚 同 船引照光寺二世


六世 釼室雲利大和尚

七世 大祐元慶大和尚

八世 綴山寛補大和尚

九世 中興 一輪通禅大和尚
  元禄十五年(一七〇二)寺院再建

十世 悦山易禅大和尚

十一世 享天始元大和尚

十二世 中興 寶厳興隆大和尚
 元禄四年 越後弥彦山の禰宜髙橋太郎右衛門光宣第三子 慈海(具海)
埼玉加須全久寺第六世
享保十九年(一七三四)五月十五日 再建 法燈をただす
明和五年(一七六八)十月二十六日示寂

十三世 天随口音大和尚


十四世 蜜岩単隆大和尚

十五世 無幻老卵大和尚
庄内大山祐性院より
 明和九年=安永元年万徳丈六堂消失 天明の飢饉・三春城下大火 
後・大阪吹田大雄寺~周防洞泉寺~岩国善住寺開山~興聖寺~
文化二年(一八〇五)十一月二日 鶴岡破鏡庵示寂

十六世 佛印寛翁大和尚 福島市陽林寺十六世より晋山


十七世 洞雲全岩大和尚


十八世 東州智海大和尚

十九世 中興 虎云都繡大和尚
文化五年(一八〇八)九月二十六日再建
御朱印高弐拾石 寺領坪数三千余坪 
後年の火災により消失 現存遺構 正面石段 葷酒禁制碑柱 歴代住職墓地燈篭

二十世 高雲得(徳)宗大和尚
糸魚川金峰山大雲寺より文政八年(一八二五)六月晋山 
天保十一年(一八四〇)十月二十四日退山
再度、金峰山大雲寺へ帰山

二十一世 佛智大康大和尚


二十二世 大応玉仙大和尚

二十三世 梥屋慶音大和尚

二十四世 玉掌珍了大和尚


二十五世 桐宗恵文大和尚

二十六世 天外田龍大和尚


二十七世 悟山霊秀大和尚
(詳細別記)


二十八世 徳順吞海大和尚 明治二十年(一八八七)八月
二十二日示寂(詳細別記)

二十九世 中興 泰庀活麟大和尚
明治二十一年(一八八八)二月晋山
明治三十七年(一九〇四)十二月二十九日示寂(詳細後記)


三十世 徳充戒藴大和尚昭和九年(一九三四)十月九日示寂

三十一世 祖田瑞苗大和尚
昭和十七年(一九四二)二月二十八日示寂


三十二世 即如玄亀大和尚  稟命1等布教師
昭和二十八年(一九五三)四月十七日示寂(詳細後記)


三十三世 現住 木童正孝衲 稟命1等布教師
昭和二十八年(一九五三)五月十二日晋山
平成17年十一月二十九日・三十日厳修

三十四世 現住 



| ryuichi | 16:15 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春城下新町::天翁山州傳寺 |
塵壺407号 「最後の説法 大地玄亀大和尚」 石龍木童正孝大和尚著 令和7年6月




「最後の説法 大地玄亀」


塵壺407号  「最後の説法 大地玄亀大和尚」 石龍木童正孝大和尚著 令和7年6月発行

この本は、三春城下新町の曹洞宗天翁山州傳寺第三十三世中興石龍木童大和尚(老師)が、師匠である州傳寺第三十二世大地沙門玄亀大和尚の総見や接心での法話や提唱、そして最後の説法を録音したテープなどから文字を起こして編集され一冊の本にまとめられたものです。

禅に興味を持ち始めたころで、塵壺の参考にしたいと思い30年余前に、石龍老師の下へ、参禅とまではいきませんが、州傳寺歴史や禅の教えを乞いに出頭していた頃に禅の教示と共に手渡された一冊です。






また、州傳寺では、石龍老師より玄亀大和尚の禅僧としての人となりも伺っていました。

玄亀大和尚は、明治24年紀州下津町生まれ、大正3年岸和田梅渓寺住職大洞石雲老師について得度。大正9年鶴見總持寺に安居、5年の総持寺安居の後に送行。以降、埼玉、千葉、小浜等々、そして発心寺専門道場の単頭など参禅、住職、安居などの修業を重ねた禅僧です。

この東北の地に「禅」を根付かせたいという想いから、良寛さまや乞食桃水和尚のように、一切の名利を捨てて禅僧として、自ら悟りを求め努力するとともに、人々を仏道に導き救済するという「上求菩提下化衆生(じょうぐぼだい・げけしゅじょう)」の誓願を立て、三春城下でも檀用の少い州傳寺を選ばれて掛錫されます。



大地玄亀老師



また、本書の著者である州傳寺の前住職石龍木童老師も、玄亀大和尚の教えを下に州傳寺にて法名を継承されています。


仏道というと、普通一般の私たちは、私達の日常の生活とかけ離れた縁遠いもので、抹香・線香臭い陰気なものだと思ったり、あるいは特別な知識階級の人とか、極的保守的なもののように思っている人も多くありますが、玄亀大和尚は、本具仏性として坐禅といい、坐禅とは私達の日常の生活全てのことで、日常の外に仏道や禅はなく、朝から晩まで、晩から朝までする事なす事全てが仏道修行そのものです。


朝起きて顔を洗うこと、掃除をすること、食事を作ること、ご飯を食べること、仕事をすること、商売をすること、勉強すること全てに当てはまり、仏法即日常底、日常底即仏法、禅即生活、生活そのものが仏道であると説かれています。

また、「人」という文字を例えとして仏道を説かれ、一本を取れば必ず倒れる、一本では絶対に立てない、人間もまたその通りで一人では絶対に生活は出来ません。

我見我慢の心を一切捨てて、お互いに支え合わなければなりません。持ちつ持たれつして初めて人間世界が成り立っていきます。

この「人」という文字を学得して初めて幸福な家庭と文化国家が生れて来ます。

この「自他不二の道理」をよく心得て、お互いに和合して助け合う世界には、“闘争”とか、“戦争”とかいう汚い言葉や不平不満の声は無くなって、“有難いない”、“勿体ない”という麗わしいという言葉の下に「尊い汚れのない浄土」が建設されると説かれていました。



石龍木童大和尚から、道元の坐禅は、「只管打坐(しかんたざ)」であると教示されています。只管とは、ひたすら、余念を交えないという意味、打坐とは坐禅です。

つまりただひたすらに坐禅をするという意味で、あるがまま、自然の流れに身を任せ、ただ、ただ坐るだけ。

ひたすらに現実を見つめ、何も求めずに、ただひたすら坐(すわ)ることです。  

そして、禅僧の本懐とは、自分自身を最後の最後まで使い切って、その痕跡すら残さないことである。禅語の「破草鞋(はそうあい)」とは、長年の修行で履き破れた草鞋を、きれいに洗って刻んで、壁の下地に使ったり、そのまま畑に撒いて堆肥にして使い切る。

即ち、一切の妄想、執着を断ち切って、人知れず捨て去られる一足の破れ草鞋のように、自身を使い切り、その痕跡すら知られことも何もひけらかすことなく只々修行に励む大切さをご教示いただきました。


忙しい毎日を送っている私たちは、つい自分を見失いがちですが、そうならないためにも、意識して反省をする習慣をつけなければならないと思いますが、現実にはなかなかできません。

「艱難辛苦を我に・・・・」ではありませんが、人生というのは魂の修行の場だと思います。

いつまでも自分を高めるための良性なプレッシャーを追い求めながら新たな情熱を持ち続け、毎日ドキドキ・ワクワク高揚しながら日々を楽しく暮らして行きたいものです。



仏道というは自己を習うなり  自己を習うというは自己を忘るなり  自己を忘るるというは万法に証せらるるなり 
   
    さあ、坐ろう! 蒼龍謹白 拝  さすけねぇぞい三春!








三春城下御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍





 

天翁山州傳寺歴住大和尚

三春城下天翁山州傳寺は、寛永五年(1638)、松下長綱公が三春城主として二本松城より転封されて間もなく、父重綱公を開基として烏山天性寺第十一世勝岩長全大和尚を開山として建立されました。




山号・寺号

祖父 綱玄院殿天翁長参(柵)大居士
父  州傳寺殿永厳長譽大居士



當寺は、曹洞宗において「片法幢(各地)」として宗門の僧侶・雲水を養成する修行道場




歴住大和尚

開山 勝岩長全大和尚 
本寺烏山天性寺十一世 寛永十三年(一六三六)八月 九日示寂

二世 雲州元龍大和尚

三世 海岸道吞大和尚  
末寺船引満円寺を開山 承応元年(一六五二)十月九日示寂

四世 斧山龍大和尚
末寺船引照光寺を開山


五世 龍骨愚海大和尚 同 船引照光寺二世


六世 釼室雲利大和尚

七世 大祐元慶大和尚

八世 綴山寛補大和尚

九世 中興 一輪通禅大和尚
元禄十五年(一七〇二)寺院再建

十世 悦山易禅大和尚

十一世 享天始元大和尚

十二世 中興 寶厳興隆大和尚
元禄四年越後弥彦山の禰宜髙橋太郎右衛門光宣第三子 慈海(具海)
埼玉加須全久寺第六世
享保十九年(一七三四)五月十五日 再建 法燈をただす
明和五年(一七六八)十月二十六日示寂

十三世 天随口音大和尚


十四世 蜜岩単隆大和尚

十五世 無幻老卵大和尚
庄内大山祐性院より
明和九年=安永元年万徳丈六堂消失 天明の飢饉・三春城下大火 
後・大阪吹田大雄寺~周防洞泉寺~岩国善住寺開山~興聖寺~
文化二年(一八〇五)十一月二日 鶴岡破鏡庵示寂

十六世 佛印寛翁大和尚 福島市陽林寺十六世より晋山


十七世 洞雲全岩大和尚


十八世 東州智海大和尚

十九世 中興 虎云都繡大和尚
文化五年(一八〇八)九月二十六日再建
御朱印高弐拾石 寺領坪数三千余坪 
後年の火災により消失 現存遺構 正面石段 葷酒禁制碑柱 歴代住職墓地燈篭

二十世 高雲得(徳)宗大和尚
糸魚川金峰山大雲寺より文政八年(一八二五)六月晋山 
天保十一年(一八四〇)十月二十四日退山
再度、金峰山大雲寺へ帰山

二十一世 佛智大康大和尚


二十二世 大応玉仙大和尚

二十三世 梥屋慶音大和尚

二十四世 玉掌珍了大和尚


二十五世 桐宗恵文大和尚

二十六世 天外田龍大和尚


二十七世 悟山霊秀大和尚
(詳細別記)


二十八世 徳順吞海大和尚 明治二十年(一八八七)八月
二十二日示寂(詳細別記)

二十九世 中興 泰庀活麟大和尚
明治二十一年(一八八八)二月晋山
明治三十七年(一九〇四)十二月二十九日示寂(詳細後記)


三十世 徳充戒藴大和尚昭和九年(一九三四)十月九日示寂

三十一世 祖田瑞苗大和尚
昭和十七年(一九四二)二月二十八日示寂


三十二世 即如玄亀大和尚  稟命1等布教師
昭和二十八年(一九五三)四月十七日示寂(詳細後記)


三十三世 現住 木童正孝衲 稟命1等布教師
昭和二十八年(一九五三)五月十二日晋山
平成17年十一月二十九日・三十日厳修

三十四世 現住 









三春城下御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍



| ryuichi | 03:11 | comments (x) | trackback (x) | 🌸「塵壺」 三春昭進堂 |
秘密のケンミンSHOW極! 東北の春をお届け!みちのく桜前線特集!青森&福島の絶景桜スポットをたっぷり探索




さくら~♪ さくら~♪ 

映り込み成功! 龍一、2秒 (^^♪




秘密のケンミンSHOW極! 5月29日(木) 21:00〜21:54  福島中央テレビ 読売テレビ・日本テレビ系全国ネット



お花見対決! 青森県VS福島県


桜咲く小さな城下町三春も登場!








悠大君とその友人も映り込みに成功!






さて、どのような放送になるか・・・







さくら~♪ さくら~♪






有縁無縁、様々なご縁に感謝して







やっぱり、滝桜だよね!







5月29日 夜9:00~放送!

東北の春をお届け!みちのく桜前線特集!青森&福島の絶景桜スポットをたっぷり探索

一度は行ってみたい桜名所1位「弘前公園」、日本三大桜のひとつ「三春の滝桜」に潜入

絶品花見メシ発見!屋台グルメ1位のコンニャク、名物グルメンチ、花見団子、高級海鮮も!






出演
司会:久本雅美(大阪府)、田中裕二[爆笑問題](東京都)

ケンミンスター
木野花(青森県)、古坂大魔王(青森県)、佐藤晴美(山形県)、白鳥久美子[たんぽぽ](福島県)、和田聰宏(福島県)、澤本夏輝[FANTASTICS](長野県)、亜生・昴生[ミキ](京都府)、カンニング竹山(福岡県










三春城下御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍




| ryuichi | 03:53 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯 |
本日火曜日は定休日となっています。



本日の火曜日は定休日となっています


またのご利用をお待ちしております。








真照寺の屋根替えも進んでいます



三春城下御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 03:18 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯 |
「三春昭進堂の麩まんじゅう」




「三春昭進堂の麩まんじゅう」

生麩(なまふ)独特のモチモチ弾力、初めて味わう食感、中の餡は、おたりまんじゅうと同じこしあんを使用しています。

低カロリーで緑茶にもコーヒーにも合います。









お餅にもお団子にもない生麩の織りなす独特の“モチモチ”感と“ツルン”とした食感をどうぞお召し上がりください。

上品な甘さの北海道小豆のこし餡を、たっぷりと入れて青笹で包みました。



賞味期限 製造日より、冷凍保存にて6ヵ月、解凍後は冷蔵保存にて1日。


10月までの夏季限定販売です。










三春城下の「柏餅」 2024


旧暦の端午の節句(今年の旧暦は6月10日月曜日)の翌週、6月第3日曜日までの販売となります。

春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 03:14 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯::季節のお菓子  |